AIとともに歩んだライブラリアップデートの道のり/ vue-fes-japan-2024-link-and-motivation
転職して7年が過ぎたというのを読んで気づいたんだけど、そろそろ入社後9年が経過したらしい。僕は結構長い期間をここで過ごしたことになるんだなと思った。ちょっと以前のことを振り返ってみようと思う。言うまでもないけどこれは僕の書ける範囲での個人的な感想と体験談であって会社の見解等を表しているものではない。 きっかけ わりと重要でない Borgチーム (の周辺) いつのまにやらBorgという名前を普通に言って良くなっている。嬉しい。まあ当時もぶっちゃけ、秘密だから出してないっていうよりは、単に誰もアカデミア的なキャリアに興味が無いから出してなかったんだと思う(私見)。 さて、当時Borgというかクラスタマネージメントのあたりでは、コンピュータのリソースて適当にたくさん使ってるけど、これ節約したらすっげー支出減ったりしない?みたいなのがホットで、なんかとりあえず色々な人々が色んなことをやっていた。い
隣の席に入社2年になる若手社員がいる。私が半年前に今の部署に異動してから様子を見ていて、大変そうな状況になっている。まだ経験の浅いうちに、仕事のマネジメントをしてくれる人がいないというのはつらいことだなと思った。 自分が入社して配属された部署には、課の下に3、4人程度の「チーム」があってリーダーがいた。そのリーダーが部署間の調整や仕事の割り振り、メンバーの進捗を確認したり、あるいは物事の判断をしていた。メンバーにはきちんと仕事がフィルタリングされた状態で入ってきたし、業務の負荷量も把握してくれていた。だからメンバーは自分の作業に集中すればよかった。またメンバーが「いったいどういう背景や経緯でこの作業があるのか」と聞けばリーダーはきちんと教えてくれたし、あるいは「これはこうした方がいいのでは」といった提案も受け付けてくれていたから、「ひたすら作業ばかりをしてむなしさが募る」といったこともなか
現場のオペレーションを改善するために、最初に着手するなら何か?と聞かれたら、いつも「ふりかえり」から始めましょう、と答えています。かつてトラブルの起きているプロジェクトに入ったときも、まず始めたのは「ふりかえり」からでした。 「ふりかえり」とは、文字通り現場の活動を振り返って、改善のアクションを考えることです。反省会のようにも思えますが、すべてが終わってから反省する訳ではなく、現状分析を行って、うまく続けていくための未来を向いた活動です。 この記事では「ふりかえり」という習慣について、そして、ふりかえりを実践するにあたって、進め方とポイントについて紹介します。 ふりかえりの進め方”KPT”とは 上の写真は、私たちソニックガーデンで「ふりかえり」をしている様子です。ソニックガーデンでは弟子を採用していて、その弟子と師匠とのふりかえり風景です。このように、特別な道具はなにも必要ありません。必要
株式会社DMM.comラボに転職しました - arimoつくったメモ 上記のブログを読んでDMM.comラボに入社を決めました!といっていただける、という大変エモい事案が発生した。まじありがとうございます。 --------------------------------- 入社してからどんな感じだったかというと、DMMのプラットフォームをイジイジする人になるのかなーと思って2~3日コーディング規約読んだり社内ツールとかながめていたら新規案件(炎上気味)のテスターヘルプ要員としてガイジンさんのたくさんいるチームに入れられて、やいのやいの言いながらお仕事していました。 テスト仕様書をかくお仕事をしていましたが詳しい仕様を確認したいのとなんだかとってもコードが書きたくなったので「コードを書かせてくれ」とお願いしたらすぐに開発メンバーに入れてくれました。FuelPHPほとんど使ったことなかったけ
金曜日、KLab元CTOの仙石さんからありがたい話をいただきました。 話は、開発者の採用、教育、評価あるいは開発者の心構えなど多岐に渡りました。いくつも興味深い話がありましたが、個人的に一番聞いて良かったと思える話を紹介します。表題の件です。 若いプログラマの中には年をとってもマネージャになりたくないと言う人がいます。他人事ではなく自分もそのひとりでした。若い時にマネージャ志望のキャリアパスに語ることは、プログラマとしての自分の誇りを傷つける気がしていました。マネージャを偉いと見なす風潮が、技術に対する裏切りのような気分がしていました。技術者をマネージャより低いと位置づけるのが許せませんでした。 たぶんピュアだったのでしょう。そんな経験があるので、今でもピュアな若者は好きです。本物のプログラマになるには、技術だけに一心に向き合うピュアな期間が必要だと信じています。そして、技術に真摯に向き合
銀行系列の中規模SIerを退職し、 受託と自社サービスの開発を行っている小規模Web系に転職することになりました。 7/30が最終出社日でした。8/1からは新しい勤め先へ向かいます。 1.これまでやったこと 2.これからやりたいこと 3.なぜ転職しようと思ったのか なお、3はいわいる自分語りを含む上に長いのでご注意ください。 読ませる知り合いもいないのに何故書いた。 1.これまでにやってきたこと。 オープン系の基幹システムの保守開発に携わり4年ほど。 Java、COBOL、ExcelVBAをメインにやっていました。 もちろんSQLも普通に書いたりしつつ、触ったことのあるDBはOracle、PostgresSQL、SQLServer。 業務知識は主に流通系。Web開発とかもやりました。Javaでstruts1.Xとか、ASP.NETとC#とVBとか。 それと個人的欲求に基づき、Android
「御社と契約します。」の言葉をお客様から頂いた瞬間が一番の喜びです。このお言葉を頂くために日々精進しています。私が成長を実感した点は『タスク管理能力』です。限られた時間の中で目標を達成するために、自分が「何をすべきか」「何をしないか」を考え仕事を効率的に実行していけるようになりました。 学生の皆さん、自己をしっかり持って就職活動に励んでください。周囲の意見を聞いたりすることも重要ですが、最終的な判断は必ず自分自身で下してください!一緒に世界一のサイト作りを目指せる日を楽しみにしています。 マーケティング部では、「お客様に満足して頂けるコンテンツは何か」を考え、実際に企画から制作まで全て自分達で行います。 自分が企画したコンテンツを見たお客様から、「ありがとう」との声を頂けるときが、一番やりがいを感じます!仕事を通じて、特に「考える力」と「実践力」が短期間で身についたと実感しています。
「プログラミングをビジネスの手段だと捉えるエンジニア」こそ優秀だと定義するけんすう氏。その代表格としてCrocosのCTO Sotarok氏を挙げ、「いまの時代、最も投資すべきは自らのスキル」と語る。近い将来、技術の価値は下がる。その時カギになるのは、自分の仕事の幅をどこまで広げられるかー。 「優秀なエンジニアの定義とは?」ー nanapi けんすうに訊く![1] から読む 「チャレンジの数」と「優秀さ」は、比例する。 ― 「優秀なエンジニア」と言われて、パッと頭に浮かぶ方っていますか? 他社でいうと、Crocos の Sotarok(株式会社クロコス CTO 柄沢聡太郎 氏)はずば抜けて優秀ですね。 以前ブログにも書いたんですけど、もともと僕のサイトを彼がハックしてきたのがきっかけで友達になったんです。その後 GREE に入社して、Crocos を立ち上げて1年半で Yahoo! JAP
SIerはなくなると言われて久しいです。僕もそれは間も無くやってくる現実だと思います。少なくとも、従来型のSIという仕事自体はなくならないけど、そのやり方は大きく変わると思っています。いくらクラウドだSaaSだなんだといっても業務要件を自動で書いてくれるわけではなく、何が正しいかの判断もしてくれません。今までにもまして、何を組み合わせてどう作るかを考える必要がでてくるし(従来であればスクラッチで作ります!ってのが出来たものもそんな金かけるなんてアホかと言われる世界です)、そうなるとエンジニアは広範な知識と経験を持って勝負しなければなりませんね。 しかし、いわゆる上流の工程が今にもまして重要になる反面では、下流の仕事が減っています。コアロジックさえ設計書に書いておけば、それ以外は自動生成されてテストしするだけだしテストも自動化されてるよ〜なんてことになるといわゆる大量な作業をもくもくとこなす
ネットを巡回していたら、またもや悲惨なニュースに出会ってしまった。以下に内容を引用する。 女性SE、過酷勤務で死亡…勤務先に賠償命令 情報処理システム会社の福岡事業所に勤務していた福岡市のシステムエンジニアの女性(当時31歳)が急死したのは過酷な労働が原因として、両親が同社合併後にできた「アドバンストラフィックシステムズ」(本社・東京)に対し、慰謝料など計約8200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、福岡地裁であった。 府内覚裁判官は「死亡と会社の業務との間には因果関係がある」として、同社に計約6800万円の支払いを命じた。 判決によると、女性はシステム移行などを担当。2007年2月の時間外労働が約127時間に上った。3月に仕事上のミスなどが原因で自殺未遂をした。約1か月間休養を取った後に復職したが、深夜残業など過酷な勤務が続き、5日後、東京出張中に致死性不整脈で死亡した。福岡中央労
情報処理システム会社の福岡事業所に勤務していた福岡市のシステムエンジニアの女性(当時31歳)が急死したのは過酷な労働が原因として、両親が同社合併後にできた「アドバンストラフィックシステムズ」(本社・東京)に対し、慰謝料など計約8200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、福岡地裁であった。 府内覚裁判官は「死亡と会社の業務との間には因果関係がある」として、同社に計約6800万円の支払いを命じた。 判決によると、女性はシステム移行などを担当し、2007年2月の時間外労働が約127時間に上った。3月に仕事上のミスなどが原因で自殺未遂し、約1か月間休養した。その後復職したが、深夜残業など過酷な勤務が続き、5日後、東京出張中に致死性不整脈で死亡。福岡中央労基署は09年、労災認定した。 同社側は「亡くなる直前に約1か月の連続休暇を取得しており、死亡と業務に因果関係はない」などと主張した。しかし、
繰り返される「SE」の自殺 先週末、こんなニュースが一部で騒がれていました。SE、過労でうつ病→自殺…労災認定 - 大田労基署 :日本経済新聞 コンピューターのシステム開発などを手がけるピーエスシー(東京都港区)のシステムエンジニアの男性社員(当時29)が2011年に自殺したのは「長時間労働によるうつ病が原因」として、大田労働基準監督署が労災認定したことが31日分かった。 【中略】 男性は06年に入社し、システムエンジニアとして大田区内で勤務。 プロジェクトリーダーに就いた10年11月ごろから労働時間が急増し、11年6月に自殺した。同12月に遺族が労災申請した。 弁護士によると、労基署は、男性が11年5月下旬にうつ病を発症したと判断。 発症4カ月前の1カ月の残業時間が、前月の倍以上の136時間に急増し、2週間以上連続して勤務していたことなどから労災と認定した。 なんとも痛ましい話ですが
ポール・グレアム「面倒な仕事の無視」 http://blog.livedoor.jp/lionfan/archives/53580166.html いちばん危険なのは、面倒な仕事を嫌がる気持ちの多くが無意識であることだ。無意識に、面倒で嫌な仕事が伴うアイデアが浮かばなくなってしまう。これが「面倒な仕事の無視」だ。 The most dangerous thing about our dislike of schleps is that much of it is unconscious. Your unconscious won't even let you see ideas that involve painful schleps. That's schlep blindness. このコラムには本当に大切なことが書かれている。近年ずっと感じてきた違和感が、文章になっている。面倒な仕
今年採用した新卒者は、ウチぐらいの規模の会社ではめったに取れないレベルの猛者たちだ。 一人はTOEICのスコアが930台で、一人は年間の読書量が2000冊(200の間違いじゃない。2000なのだ)で、もう一人は特定されるのでここには書けないある大会の優勝者だ。 こういう人を集めたら何かすごいことが起きるかというと、集めただけでは別に何も起きない。 彼らにはどこかで目を覚ましてもらわなくてはならない。「目を覚ます」というのは、例えば この会社で要求される技術はたいして難しいものではない。勉強すれば1日で理解できる程度のことが大半 先輩は昔から何でも知っていたような顔をしているが、実はここ1,2年で覚えた技術で仕事をしている だから、先輩が10年目でようやくできるようになった技を、1年目の自分があっさりものにできてもおかしくない といったことに気付くことだ。 本当は大して難しくないのに...
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