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2018年11月28日のブックマーク (5件)

  • 宮嶋茂樹氏 “戦友”勝谷誠彦さんの死に「しばらくガセだと思った」 | 東スポWEB

    肝不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去したコラムニストの勝谷誠彦さん(享年57)の通夜が28日、同市の阪神平安祭典会館でしめやかに営まれ、勝谷さんの“戦友”で「不肖・宮嶋」ことフォトジャーナリストの宮嶋茂樹氏(57)が弔問に訪れた。 勝谷さんは8月、アルコール性の劇症肝炎と診断され緊急入院した。9月30日にツイッターで「奇跡的な復活が見えてきました」として活動再開を報告し、イベントやラジオ番組収録にも参加したが、26日に容態が急変。この日、息を引き取った。 「不肖・宮嶋」の名付け親である勝谷さんとの付き合いは20代のころ、マニラの合法バーで出会ったことから始まった。湾岸戦争やカンボジアのPKOなどでともに活動してきたという。 そんな“戦友”の訃報は人づてに聞いたそうで「しばらくガセだと思った。自分の目で見て当だと実感しました」と無念さをにじませた。最後に会ったのは今年の夏だったそうで「相変

    宮嶋茂樹氏 “戦友”勝谷誠彦さんの死に「しばらくガセだと思った」 | 東スポWEB
    kiyotune
    kiyotune 2018/11/28
    東スポ宮嶋さんコメント。宮嶋さんの方がむしろ早死にしちゃうんじゃないかというくらいはよから頭真っ白になってだけど意外と節制してんのね。20年くらい外見変わらない。
  • 追悼・勝谷誠彦 “恐るべき新人”だった文春時代 | 文春オンライン

    突然の訃報だった。コラムニストとして活躍した勝谷誠彦氏が11月28日、肝不全のため亡くなった。57歳だった。勝谷氏のひとつ先輩にあたり、文藝春秋でともに編集者として働いたノンフィクション作家の柳澤健氏が、死を悼み、思い出を綴る。 ◆◆◆ 初めて会ったのは1985年の春、場所は創刊直前の『Emma』編集部だった。 勝谷誠彦は早稲田大学おとめちっくクラブ出身。私が大学時代にまんが専門誌『ぱふ』に関わっていたと聞くと、竹宮恵子ファンクラブ『さんるーむ』会員番号No.1の会員証を見せてくれた。私は目を丸くして驚いたが、そんな反応をするのは、当時の文春社内でも私くらいだったろう。 勝谷も私も、文藝春秋ではあまりにも異質な存在だった。定年までつとめ上げるのは最初から無理な相談だった、と今は思う。 兵庫県尼崎市の医者の息子で、幼い頃は神童だったが、灘高に入って落ちこぼれた。 一浪して入った早稲田大学第一

    追悼・勝谷誠彦 “恐るべき新人”だった文春時代 | 文春オンライン
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    kiyotune 2018/11/28
    まだ信じられない
  • 「天才的で優秀」「何でもできる人」 勝谷さん偲ぶ声続々(1/3ページ)

    28日に死去した、コラムニストの勝谷誠彦さん(57)。突然の訃報に、勝谷さんを知る芸能界や文学界の関係者から惜しむ声が相次いだ。 ■あの「毒舌」、実は… 「柔らかいものから硬いものまで、何でも書ける。彼に任せておけば大丈夫という安心感もある、優秀な書き手だった。早すぎる」。勝谷さんの文芸春秋記者時代の上司で、30年来の親交がある「月刊Hanada」編集長の花田紀凱(かずよし)さんは死をいたんだ。 平成元年に発覚した女子高生コンクリート詰め殺人事件。週刊文春は加害者少年たちの実名報道に踏み切り、大きな議論を巻き起こした。取材したのは勝谷さん。被害者が置かれた悲惨な状況に触れ、実名での報道を強く訴えたという。 「とにかく徹底的に取材するタイプだった」(花田さん)。カメラマンと長時間の張り込みを行い、高校球児の飲酒や喫煙をスクープするなど、泥臭く、粘り強い取材もこなした。 コラムニストとして鋭い

    「天才的で優秀」「何でもできる人」 勝谷さん偲ぶ声続々(1/3ページ)
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    kiyotune 2018/11/28
    宮嶋さんのコメントあった
  • 勝谷誠彦さん、享年57。我が心の師匠、永遠の旅立ち – アゴラ

    コラムニストの勝谷誠彦さんが28日未明、亡くなった。享年57歳。関係者が明らかにした。勝谷さんは8月22日に腹痛を訴えて緊急入院。2007年1月から毎朝続けてきた有料配信メール日記を初めて休載し(配信は代筆で継続)、劇症肝炎の療養に入っていた。その後、一時退院したが、10月下旬から再度、療養生活に入っていた。 勝谷さんは1960年、兵庫県生まれ。早稲田大学在学中からフリーライターとして活動し、編集プロダクションを設立。1985年に大学卒業後、新卒入社した電通を数か月で辞め、文藝春秋に転職。花田紀凱氏が当時編集長だった「週刊文春」の記者として活躍した。文春時代は、フィリピンのマルコス政権を民衆が倒したエドゥサ革命(1986年)や、三井物産マニラ支店長誘拐事件(同)、湾岸戦争(91年)など海外歴史事件を相次いで取材。また、在籍当時の週刊文春は、1989年の東京・足立の女子高生コンクリート詰

    勝谷誠彦さん、享年57。我が心の師匠、永遠の旅立ち – アゴラ
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    kiyotune 2018/11/28
    文春の不肖宮嶋の記事からの読者で有料配信以前からの日記の読者でもありますが、ここ数年はちょっと痛々しくて日記も読むのやめてメディアで名前を聞くにとどめてた。この記事の写真誰かと。RIP / さるさる日記
  • 勝谷誠彦氏 28日未明に死去 57歳 公式サイトが発表(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

    コラムニストや写真家として活躍した勝谷誠彦(かつや・まさひこ)氏が28日午前1時48分、生まれ故郷の兵庫県尼崎市で死去した。57歳だった。同日、公式サイトで発表された。 公式サイトには「勝谷誠彦は11月28日に死去いたしました 勝谷誠彦は、2018年11月28日午前1時48分、生まれ故郷の尼崎で57歳の生涯を閉じました。生前、応援していただきました皆様、お世話になった皆様に厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。」と記された。 勝谷氏は8月21日、毎朝メール配信する有料配信コラム「勝谷誠彦の××な日々。」で「腹痛と膨満感で、3分ほども座ってられない」「まえ屈みだと、右脇腹に激痛が走る」などとつづり、緊急入院。アルコール性の劇症肝炎と診断されていた。

    勝谷誠彦氏 28日未明に死去 57歳 公式サイトが発表(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
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    kiyotune 2018/11/28
    まじかー