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ブックマーク / note.com/hajime_yamazaki (3)

  • Hajime Yamazaki(山崎元)|note

    「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)  さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これに対応して、一方で「希望」も捨てないことが、共に重要だということが、もともとの筆者の主張であった。 この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまで出来ること、と「人生の通算成績」は死後に持って行くことは出来ないということの二つの強力な事実によって支えられている。 とは言え、「予想」される持ち時間が、急に短縮されてしまった場合にこれにどう向き合うかは精神的にもハードな作業だ。 筆者は、先ず2023年の3月に再発が分かった時に余命平均ベース

    Hajime Yamazaki(山崎元)|note
  • 「癌」になって、考えたこと、感じたこと(1)|Hajime Yamazaki(山崎元)

    〜発病の経緯と検査について考えたこと〜 <癌発見の経緯> 2022年の6月くらいから、喉の調子が今一つだと感じていた。不調だと感じた部位は喉の少し奥と、耳の下のリンパ腺の辺りだった。細菌が感染しているような感覚だったので、近所の内科医院を受診した。コロナが問題の頃であったせいだろう。医師は、一切私に触ろうとせず、おそるおそるライトで私の喉を数秒照らしただけで、「抗炎症剤を出しておきますので、様子を見てください」と言った。 10日くらい経って、悪くもならないけれども改善が見られない。次には、耳鼻科を受診して、内視鏡で喉を見て貰った。鼻から細い管を入れる耳鼻科の内視鏡は楽な検査だった。画像を見せても貰ったが全く異常はなかった。 耳鼻科の医師は「念のため、道も見て貰った方がいいのではないかと言って、近くの胃腸専門の病院を教えてくれた。 ベッドが2、30床くらいの胃腸専門の病院だったが、内視鏡の

    「癌」になって、考えたこと、感じたこと(1)|Hajime Yamazaki(山崎元)
  • 10代の頃、私を作った3冊の本|Hajime Yamazaki(山崎元)

    先日、音楽家の坂龍一さんが亡くなった時に、彼に関連する記事を何か読んだ。心に引っ掛かった一節が見つかったのは、娘さんでミュージシャンの坂美雨さんへの朝日新聞のインタビュー記事だった。美雨さんが、若い頃に「一流」を求める父に反発を感じたことがあったというエピソードの中のものだ。親子のやり取りは大半がメールだったという。 美雨さんが言う、 「同じころにもう一通。『僕が今、つくっているものの98%は、10代で吸収したもので成り立っている』と。彼には、私が大事な時期を有意義に使っていないように見えて、不満だったのでしょう。すごく焦りました。私の10代って、あと1年しかない。なんで今言うの!」。 (朝日新聞「【アーカイブ】(おやじのせなか)坂美雨さん 『一流目指せ』に反発も」。朝日新聞デジタル2023年4月2日。【2008年6月1日朝刊34面】の記事との注釈がある) 「今、つくっているものの

    10代の頃、私を作った3冊の本|Hajime Yamazaki(山崎元)
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