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歴史とアイヌに関するkokogikoのブックマーク (2)

  • アイヌ学の誕生 - 我が九条

    におけるアイヌ学の権威と言えば金田一京助がまず思い浮かぶだろう。金田一によるアイヌ学について少し考えてみたい。 金田一とその弟子に当たる知里幸恵・知里真志保については丸山隆司氏の『〈アイヌ〉学の誕生ー金田一と知里と』(彩流社、2002年)に多くを拠っている。 金田一京助はアイヌ研究に入るきっかけを次のように述べている。 普通に行つてゐたら国語の研究者とでもなつてゐた所だつたらうと思ふ。が国文学に行かず、国史に行かず、国語から滑つてアイヌ語の専攻へ這入つたのは、やはり一には自分の性分からであらうが、又一には不思議な縁が自分を此の方向へたぐつてゐた事が、今に至つてはつきりとたどられる。 夢多き青年時代をわけもなく酔はした「天才」というような語のひびきが、いつしか我々を酔はしめなくなった時、英雄時代の夢から醒めて平凡な全体性、「民衆」といふものの力がより多く我々の注意を惹き我々の心をうつやう

    アイヌ学の誕生 - 我が九条
  • 要するに,明治日本は盗賊の論理で動いていた訳ですね - Danas je lep dan.

    『正論』の12月号に,また的場センセイ*1が論考を寄せていらっしゃると聞き,早速読んでみた。『正論』2008年12月号所収の,的場光昭「『単一民族』否定論の押し付けに異議あり――中山発言に小躍りした面々に問う。批判に名を借りたアイヌ反日化の“悪意”はないか」(pp.230-237)。 そもそも,「和人に奪われた土地や資産」という観点がおかしい。平成十三年当時の教育出版の中学歴史教科書にも,「土地を所有する観念のなかったアイヌの人たちの土地を持主のない土地として没収し国有地にして奪った」という表現がみられた。所有する概念のない者から奪うということ自体が矛盾であり教科書の表現としては不適切だが,実際には奪うどころか明治三十二年制定の北海道旧土人保護法により「北海道舊土人ニシテ農業ニ從事スル者,又ハ從事セムト欲スル者ニハ一戸ニ付土地一萬五千坪以内ヲ限リ無償下付スルコトヲ得」としたのである。(pp

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