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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/srpglove (2)

  • 「ほんとう」の暴力性 - 高度に発達した気遣いは、気違いと区別がつかない

    「アニメを好きではないアニメファン」とは何者か。仮面オタクの実像を考える。(3278文字):海燕のゆるオタ残念教養講座:ゆるオタ残念教養講座 - ニコニコチャンネル:エンタメだが、ぼくにいわせれば、そもそも社会的評価を必要とするようなひとはたいしてその趣味を好きではないのだ。ほんとうに好きなら、世間がなんと非難しようと、自分の愛を貫くことができるはずだたかが演劇、と思うひともいるかもしれない。そういうひとは、残念だが、趣味がもたらす歓びを理解できないひとたちである。ほんとうに熱烈に何かを愛しているひとは、決して他人の趣味につばを吐いたりしない ぼくもそういった人間のひとりだ。ひとはくだらない遊びに夢中になって、人生を踏み外した哀れな男と思うかもしれないが、ぼくはいま、十分すぎるほど幸せである。 しかし、一方でたしかにまるで幸福にはみえないオタクもいる。しょっちゅうまわりに愚痴と悪口ばかりい

  • 「そんなー、まさかガブリエラ・ロビンの正体が菅野よう子だったなんてー(棒)」 - 高度に発達した気遣いは、気違いと区別がつかない

    ユリイカの菅野よう子特集で知ったというか、確認した。ガブリエラ・ロビンというのは、菅野よう子が手がける作品に、その初期からかなりの割合で参加し続けてきたボーカリスト・作詞家だ。その経歴は全く不明で、ライナーノーツなどに幾つか短いコメントを載せたことはあるものの、公の場には決して出てこない(ライブなどでは、来彼女の担当であるボーカル曲には、別の歌手が代役として立てられていた)という完全な「謎の人物」として菅野ファンには知られていた。しかし同時に、菅野よう子作品以外での活動が全く見られないため、その正体が菅野よう子人だというの半ば公然の秘密だった。公然の秘密である以上、誰もが事実を知り内心ではニヤニヤしながら、表向きには謎の人物という公式見解を尊重するという、送り手と受けてのヌルヌルした共犯関係がいつまでも続くものと思っていたのだが、この前のマクロスFのライブだか何だか(マクFよく知らない

    konstantinos
    konstantinos 2009/08/06
    気にしてなかったけど、そーなんだ。(棒)にならず驚いた。
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