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ブックマーク / www.hattorimichitaka.net (6)

  • クルーズ客船の黒海離れ進む : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    こちらのニュースによると、世界のクルーズ旅客船会社が、黒海への就航を取り止める動きが広がっているということである。2014年12月に欧州(EUということか?)の旅客船会社は、ロシアのクリミア編入を理由に、クリミア半島で旅客サービスを行うこと、クリミア半島に寄港することを禁止した。こうしたことから、たとえばブルガリア第2の港ブルガスでは、31あった寄港申請のうち、12がキャンセルになった。オデッサ、ヤルタ、ソチといったその他の港に停泊できないことから、黒海でのクルーズを各社が取り止めているという。 関連して、こちらの記事によれば、ウクライナの法律で禁止されているクリミアのセヴァストポリ港に寄港したあと、ウクライナのヘルソン港に寄港したツバル船籍の船(Kanton号、5,000t、貨物船の模様、船主はトルコ企業か?)が、ウクライナの検察の決定により接収されるといった動きも生じている。

    クルーズ客船の黒海離れ進む : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ
  • クリミアに蹴球の風景戻る : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    サッカーウクライナ・プレミアリーグではこの週末に第24節が行われたが、FCセヴァストポリとタヴリヤ・シンフェロポリはそれぞれ地元でのホームゲーム開催にこぎ着けたようだ。個人的には、もう半島でのウクライナ・プレミアの試合開催は無理ではないかと思っていたが、思いのほか早く復活したものだ。セヴァストポリはヴォルスクラ・ポルタヴァを迎え、1:0で勝利。一方、強敵のドニプロ・ドニプロペトロウシクを迎えたタヴリヤは、0:2で敗戦を喫した。 ネット番組を眺めてみた限り、サポーター同士の衝突などは特に生じず、ゲームそのものは平穏に開催されたようだ。ただ、土のチームや取材班がクリミアに移動するのが、一苦労のようで。ドニプロの選手が前日バスでシンフェロポリに辿り着くのには、9時間くらいかかったそうで、深夜に到着すると、選手は「疲れた。寝る」と言ってホテルに入って行った。また、キエフの放送局の取材班が現地に

    クリミアに蹴球の風景戻る : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ
    konstantinos
    konstantinos 2014/04/07
    “ただ、ロシアが完全に実効支配してしまったため、現在クリミアの治安はかなり良いようで、その意味では現在はドネツィクなどのウクライナ本土南東部の方が治安上デリケートなのかもしれない。”
  • クリミアの観光業 ―Discover Crimea? : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    1年半前にクリミアに出張に行った時に買ってきたクリミアのDVDを、改めて眺めたりしているところである。しかし、ロシアウクライナ圏のこの手のDVDって、粗悪なものが多い。このクリミアのやつも、画質が悪く、内容も雑なので、全然旅情が湧いてこない。 ともあれ、観光業は、クリミアにとって最重要産業と言っていい。こちらのニュースで、2013年のクリミアの観光業の実績が伝えられている。当時のクリミア自治共和国保養・観光省の発表によると、2013年にクリミアには590.3万人が保養・観光に訪れた。2012年には613.4万人という過去最高を記録していたが、それに比べると3.8%低下した。ただ、2013年も良好な数字であったことに変わりはなく、これは主にオフシーズンの観光客受入増の賜物だという(冬に19%増、春に18%増、5月の連休時に30%増)。 一方、こちらの情報によると、2013年にクリミアを訪れ

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  • ケルチ海峡の境界画定問題 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    ウクライナロシアの南部国境を成し、また黒海からアゾフ海に入る入口でもあるケルチ海峡は、従来はその西側がウクライナ領のクリミア半島、東側がロシア領のタマニ半島となっていた。この海峡は地形が複雑であり、その境界線画定が長らく両国間で懸案となっていた。しかし、ロシアがクリミアを力ずくで編入するに及んで、現時点では海峡の両岸をロシアが実効支配した格好になっている。 こうした状況を受け、こちらのニュースによると、ロシアのS.ラヴロフ外相は3月21日、クリミア編入条約を上院で批准した際の会議で、ケルチ海峡はもはやウクライナとの交渉の対象にならないと発言した。外相は、アゾフ海および黒海の領海画定交渉を再開するのには若干の時間がかかるだろうが、その際にケルチ海峡はもはやその対象ではない、と述べた。 それに対し、こちらのニュースによると、ウクライナ外務省で国境画定問題の特任大使を務めているL.オサヴォリュ

    ケルチ海峡の境界画定問題 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ
  • ケルチ海峡大橋は2~3年で完成 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    こちらのニュースによると、クリミア共和国政府のS.アクショーノフ首相は、ロシア土とクリミア半島を隔てているケルチ海峡に橋を架ける建設作業が2~3年で完了するとの見通しを示した。ケルチ海峡大橋のプロジェクトロシアウクライナで長年話し合われてきたが、2013年12月に建設に関する協定が両国間で調印された。これにより、ロシア・ノヴォロシースクとウクライナ・ヘルソンを結ぶルートが、450kmにまで短縮される。先週V.プーチン・ロシア大統領は閣僚らに対し、橋は自動車道路と鉄道の両用になると述べた。M.ソコロフ運輸相は、所要年数は3.5年、建設費は500億ルーブルと見積もっていた。 なお、こちらのニュースによると、橋の技術設計作業を担当する業者を選定する入札が3月27日行われ、7社が競合した結果、ギプロトランスモスト橋梁調査・設計研究所が勝者となった。 ブログ・ランキングに参加していますので、

    ケルチ海峡大橋は2~3年で完成 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ
  • 随分寛容だったヤヌコーヴィチ体制 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ

    引き続き、ウクライナのフォトギャラリーを小出しにしていこうと思うのだけれど、これは2011年12月のキエフの中心街の様子。ちょうど、ティモシェンコ前首相に有罪判決が言い渡された直後だったので、彼女の解放を求める野党勢力の街頭活動が活発化していた時だった。 それにしても思うのは、ヤヌコーヴィチ大統領は確かに一族の蓄財とか悪事は大っぴらに働いたと思うのだが、その割には言論・結社・集会等の自由は普通に認めていたということだ。そうした政治的な権利は、特にオレンジ革命以降、当国に定着しており、今さらそれを覆すことはできなかったということだろうが、それにしても随分寛容な政権だったと感じる。下に見るように、ヤヌコーヴィチ人形に囚人服を着せて晒し者にするような所業は、「独裁国家」であれば不可能であろう。逆に言えば、自らは悪事を働きながら、言論やデモを野放しにしていたら、いつかは政権が倒されてしまうのは必然

    随分寛容だったヤヌコーヴィチ体制 : ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ
    konstantinos
    konstantinos 2014/03/26
    “自らは悪事を働きながら、言論やデモを野放しにしていたら、いつかは政権が倒されてしまうのは必然であり、相当脇の甘い政権だった”
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