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歴史に関するkuroiseisyunのブックマーク (812)

  • 「中澤琴/中野竹子/林田民子」とされる女性の写真は芸者「深川のお松」の写真 - 電脳塵芥

    https://twitter.com/mokkorinight/status/1782546989827424268 というのがバズっていた。これに対しては歌舞伎、芸者のコスプレ写真だという指摘があって投稿者自身もそう訂正しているが、ただこの情報自体にソースはない。ちなみに投稿者は写真の女性を「中澤琴」ととして紹介しているが*1、「中野竹子」と紹介されたり*2、「林田民子」と紹介されたりと*3、かなり人物はブレて紹介されている。要はこの写真の女性は「誰か」わからないのである。結論から言うと、実際にこの女性は誰であるかは分からない。ただ沼田市を拠点にしたプロジェクトのJosyu Entertainmentという「中澤琴新徴組」ではこの女性を含む写真を「※写真はイメージです」というキャプションを付けながらも使用していたりと、注釈を付けながらもちょっと危うい使用をしている。 そしてこの写真だが

    「中澤琴/中野竹子/林田民子」とされる女性の写真は芸者「深川のお松」の写真 - 電脳塵芥
  • 民謡コレクション

    ここは、古くから歌い続けられている日民謡のページです。 ひと頃の「民謡ブーム」が落ち着いたようですが、ブームとは関係なく、かたくなに守られてきた民謡は、まだ生活の中に生きているように思います。 ここでは、わたくしがおすすめしたい、こだわりの民謡をご案内します。ついでに、わたくしのコレクション?のCDやら、の類もご案内いたします。 なお、掲載している民謡は、日の北から南から、隈無く…という訳ではなく、気まぐれにご紹介しているに過ぎません。

  • 消えた仁王像 出雲の「村の宝」がオランダで展示の謎 数奇な運命がむすんだ人々の縁:朝日新聞GLOBE+

    アムステルダム国立美術館のアジア館に展示されている仁王像。その故郷は島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺だ=2023年6月、筆者撮影 ヨーロッパ唯一の仁王像は、アジア館の目玉 アジア館地下ギャラリーの一番奥で、静かににらみをきかせて来館者を待ち受ける阿形像と吽形像は、身の丈2メートル37センチの木像だ。 美術館によれば、作者は不明で14世紀に造られたものらしい。阿形像の後頭部内側にある墨書から、すでに廃寺となった島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺(いわやじ)にあったものと判明している。 そして、この墨書と岩屋寺の古文書から、運慶や快慶を生んだ「慶派」の仏師康秀(こうしゅう)が像の修復を行っていたこともわかった。日の古美術は、出所を明かさずに売買されることが多いらしく、このように詳細が明らかになることは珍しい。 2004年、アジア館のチーフキュレーター、メノー・フィツキさんは、京都の古美術商でこ

    消えた仁王像 出雲の「村の宝」がオランダで展示の謎 数奇な運命がむすんだ人々の縁:朝日新聞GLOBE+
  • Fashion History Timeline | A hub for fashion research

    Vivienne Westwood and Malcolm McLaren's “God Save the Queen” T-shirt is a white, long-sleeve shirt with distressed elements and a bold graphic by Jamie Reid featuring lyrics to the Sex Pistols song. It has become an iconic representation of early British Punk style.

  • 資料から探るフィドルウェストの歴史 前編|Itsuki_shoemaking

    『資料から探る』シリーズ第3段。 今回、検証するのはフィドルウェスト。高級の意匠として知られるフィドルウェストを歴史的な資料、パテント、さらには裁判記録を用いて検証しました。 フィドルウェストの資料は多岐にわたり、ひとつのnoteにまとめるには長すぎるため、フィドルウェストのオリジンについて検証した前編と、『フィドル』という言葉の歴史的変遷と現代のフィドルウェストの由来について検証した後編に分けています。 なお、フィドルウェストには「フィドルバックウェスト」、「フィドルバック」と、国や筆者によって表記の違いがあるようです。日においては「フィドルバック」が一般的に使われているようですが、海外の文献だと「フィドルウェスト(fiddle waist)」が一般的なようです。ややこしいですが、今後特に注釈がなければフィドルウェスト=フィドルバックという前提で記述していきますので、よろしくお願いい

    資料から探るフィドルウェストの歴史 前編|Itsuki_shoemaking
  • 資料から探るスニーカーの歴史|Itsuki_shoemaking

    前置きこんにちは。普段は主にInstagramで活動しています。そちらでは作りやに関する考察をしているのですが、大量の文章や資料をポストするにはインスタは適さないことがあり、このたびnoteを避難所的に使ってみることにしました。 ここにたどり着く方はInstagramから誘導されてきた方がほとんどではないかと推測しますが、私の普段の活動をご存じない方は、よろしければインスタで @itsuki_shoemaking のIDで検索してみてください。 リンクはこちら↓ https://www.instagram.com/itsuki_shoemaking/ スニーカーファンの間で起源とされている説題に入ります。 これはInstagramで50ページ以上に渡ってポストしたスニーカーの歴史のまとめです。 ふと、スニーカー(英"sneakers")の歴史が気になり検索をかけてみたことから検証が始

    資料から探るスニーカーの歴史|Itsuki_shoemaking
  • 書籍「ゲームの歴史」について(12/終) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による、先日絶版・返になると発表があった『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (12)は3巻の第22-24章とあとがきを扱ったものになり、今回で最後になる。 いつもの2倍ぐらいの長さがあるので、覚悟して読んでいただきたい。 該当のの引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。 シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。 『ちょっとは正しいゲーム歴史』を国会図書館に納しましたゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲーム歴史』できました書籍「ゲーム歴史」について(

  • 特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」

    『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞された京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さん。次々と新しいテーマで著作を発表されている藤原さんを小社にお招きし、編集部のスタッフを中心に勉強会を行いました(2019年10月11日)。 講演のテーマは「切なさ」。芸術や学術を停滞させるアパシーの蔓延からいかに抜け出せるのか? 欧米の新しい歴史研究や、戦争貧困のなかで生き死んだ民衆、とりわけ子どもたちの事例に注目することで、現代史の過酷さに迫るとともに、「切なさ」を糸口にした歴史学の可能性を考えるという内容でした。 藤原さんの熱いトークを前編・中編・後編の3回にわたってお届けします。 研究のキーワードとしての「切なさ」 世界思想社さんには、かれこれ十何年前からお世話になっております。1960年代の研究という研究班を人文研でやっていたとき、私は雪印乳業の社史を分析して、牛乳の近代日史みたいな

    特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」
  • 100年ぶりの大発見 数奇な人生を歩んだメアリーの暗号を解く

    1840年にアンリ・セルールによって描かれた、多くの宝石を身につけたスコットランド女王メアリー・スチュアートの肖像画。フランスのベルサイユ、ベルサイユ宮殿所蔵。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES) スコットランド女王メアリー・スチュアート(1542〜1587)は、秘密のメッセージを送る達人だった。暗号解読者たちは何世紀にもわたって彼女の暗号技術に悩まされてきた。彼女が残した手紙が解読されるたびに、学者たちはそこに記された情報に胸を躍らせてきた。 特に重要な手紙は、彼女がイングランドで19年にわたって幽閉されていた時期に書いたものだ。メアリーはフランスの高官に数十通の秘密の手紙を書いていて、なかには、スコットランド女王の座を取り戻し、従姉妹であり政敵でもあるイングランド女王エリザベス1世を廃位させる陰謀に関する機密情報も含まれていたと考えられている

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  • 人吉シンポジウムについて | 南蛮の華―岡美穂子の研究ブログ―

    昨日、人吉でのボランティアが終わりました。結果としてはかなりモヤモヤが残る感じ。長崎で日人がユダヤ教徒と接触する機会はあったけれど、この施設に関しては、八代の妙見宮由来もしくは大内氏の妙見信仰由来の北辰/真武神信仰ではないかという説を披露しましたが、基、誰も受け入れてない感じでした。会場でアウェー感満喫。私に期待された役割は、現実的な実証ではなく、「これはまさしくミクヴェでしょう」「そしてアルメイダが伝えたのです。きっと」と言って差し上げることだったみたいです。「あ、これ北辰では?」と気づいたのが5日ほど前だったので、大急ぎでパワポを作り直してその時点で入れられる情報を詰め込みましたが、今日になって見つけた「これほぼ確定じゃない?」みたいな情報は入れられませんでした。もちろん直接の証拠ではありませんし、仮説に過ぎません。11月5日立教大学で開催される「日と東アジアの〈異文化交流文学史

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  • 中世ヨーロッパにおける騎兵の優越|旗代屋

    稿は『十四世紀の歩兵革命』の記事と合わせて読むことを推奨する。 中世ヨーロッパは、騎兵が優越的な立場を築いていた時代として知られている。この「騎兵の優越」の概念の中で、戦争の主役は馬に乗り騎槍を水平に構えて突進する騎兵である。そしてその認識は、中世末期から近世初頭にかけて強力な投射兵器が戦場に現れると「騎兵の優越」が失われ、歩兵と砲兵が力を発揮する新時代が到来したという、不正確な理解へとつながる。 もちろん実際の展開は、そのような単純なものではなかった。ここでは中世の騎兵が一般に思われているほどに圧倒的な存在ではなかったことを示し、その文脈の中で再定義された中世ヨーロッパにおける「騎兵の優越」を明確にする。 「騎兵の優越」の論点 中世ヨーロッパにおける「騎兵の優越」には大きな主題が四つ存在する。一つは時期的な議論で、いつから始まったのかという問題である。次の二つは表裏の関係にあるが別個

    中世ヨーロッパにおける騎兵の優越|旗代屋
  • 父から学んだ「分解」が職業に。世界にただ一人の「衣服標本家」

    フリーランスキャリア生き方 デザイナー、パタンナー、販売員などファッション業界にはさまざまな仕事があります。しかし、その中でも「衣服の分解」を仕事にしている人は世界を見渡してもおそらくただ一人しか存在しないでしょう。その人が、「衣服標家」の長谷川彰良さんです。 長谷川さんが衣服標家の仕事を始めたのは、100年以上前の洋服の精巧な作り、品質の高さに感動したことがきっかけです。その構造を解き明かし、魅力を伝えていきたい。そうした想いから独自にアンティーク服の型紙(洋服の設計図)を作成し、「半・分解展」という展覧会を開催しています。 世界にただ一人の「衣服標家」はどのようにして生まれたのでしょうか? 洋服が教えてくれるフランス革命 東京の郊外、近くに小川の流れる住宅地に、世界に一人しか存在しない「衣服標家」長谷川彰良さんのアトリエはあります。クローゼットにずらっと並ぶ、普段目にしないよう

    父から学んだ「分解」が職業に。世界にただ一人の「衣服標本家」
  • 五胡十六国時代に匈奴の皇帝赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が巨大な城を築くのに使った「謎のコンクリート」の正体

    石灰に水をかけて蒸気を発生させ、砂と粘土を結合させたセメント類似の工法が、漢籍に「蒸土」という名前で記録されていた。五胡十六国のひとつ夏を建国した匈奴出身の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が築いた「統万城」の歴史

    五胡十六国時代に匈奴の皇帝赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が巨大な城を築くのに使った「謎のコンクリート」の正体
  • 弥助の番組見た感想 | 南蛮の華―岡美穂子の研究ブログ―

    まぁ、やっぱりテレビ仕事には、割り切りが必要だなと思うわけで。アカデミアでは許容されない歴史叙述(いわゆる歴史ロマンていう幻想)の方が、概して一般にはウケる、という現実を、アカデミアの研究者がどう乗り越えていくのか、という切実な問題を日々考えるべき責務を思い出す契機にもなるということ。一般の歴史認識と歴史学の常識は乖離してても良い、とは思いたくないから。そして歴史学界の常識が、当に正しいか、なんていうのは分からない。去年のNスぺの戦国の時も、この説は使わない方が良い、この史料はこういう別の意図で書かれたので、そこには結び付けられない等々指摘したのですが、結局正体不明(肩書詐称)の外国人にそれを語らせて話を繋げ、一般の人に相当間違った認識を植え付け、その上許可なく私の名前を最後に入れてた(私が監修したと勘違いする人がおるやもしれん)、という点で、激オコなんですわ。ドラマとか漫画とか、虚構

    弥助の番組見た感想 | 南蛮の華―岡美穂子の研究ブログ―
  • 『土偶を読む』を読んだけど(1)|縄文ZINE_note

    『土偶を読む』というが話題だ。発売前からNHKに取り上げられ、SNSではここ数日、「土偶の謎がわかった!」、「土偶って植物だったんだ」、「すごい」という声が溢れている。アマゾンのランキングでも今見たら品切れ状態で5位。坂道シリーズの写真集くらい売れている。そんなを今から「くさす」のはなかなか勇気がいることだ、しかし、売れてなかったらわざわざ触れたりしなかっただろう。 当初は期待していた。人類学者が考古学の知見を得て「土偶」を読み解くのは「新しい角度」だ。こういうのは大好きだし、縄文時代は従来の考古学とは違う視点を持った様々なジャンルから読み解くべきだと、以前からずっと思っている。 さらに、このが出る1,2年ほど前に、著者の竹倉さんの熱烈なサポーターのような方から、竹倉さんの講演を聴きに来ませんかと連絡が来たこともあり(日程の都合で行けなかった)、その熱量がすごくて、そこまで言うな

    『土偶を読む』を読んだけど(1)|縄文ZINE_note
  • 浮世絵が陶磁器の包み紙として海を渡ったのは本当?という話。|太田記念美術館

    浮世絵に関心がある方なら、浮世絵がヨーロッパへ輸出する陶磁器の包み紙として使われていたという話を、どこかで聞いた記憶があるのではないでしょうか。それがきっかけとなって、浮世絵の素晴らしさがヨーロッパに伝わるようになった、と。 もう少しちゃんとした説明ですと、フランスの版画家であるフェリックス・ブラックモンが、陶磁器の緩衝材として用いられていた『北斎漫画』をたまたま発見。浮世絵の魅力を仲間たちに伝えたことをきっかけとして、「ジャポニスム」と呼ばれる日美術ブームが、ヨーロッパで始まったと伝えられています。 浮世絵は、もともと日において、安い値段で販売される紙屑同然のものでしたが、その芸術的な価値がヨーロッパの人たちによって初めて見出されるようになったという文脈でも、この話はしばしば語られています。 皆さんはこの話を聞いた時、どのような様子をイメージしたでしょうか?現在、陶磁器を持ち運ぶ際、

    浮世絵が陶磁器の包み紙として海を渡ったのは本当?という話。|太田記念美術館
  • 休館だった展示を学芸員さんにお願いして見せてもらったら学会での論争になっている石板があった「ケルト語存在したのか...」

    m-take @takeonomado 博物館に着いたら「考古学展示は休館」。でも「このために日から来たので、何とか〜」とか言い始めた瞬間、既に鍵を持って歩き始めていた学芸員さん😭フェニキア人のアルファベットで書かれたケルト語と言われ、今この瞬間、学会での論争になっている石板。(他にも多数) pic.twitter.com/3K1aHm8MQ9 2020-12-30 22:14:12 m-take @takeonomado 博物館に着いたら「考古学展示は休館」。でも「このために日から来たので、何とか〜」とか言い始めた瞬間、既に鍵を持って歩き始めていた学芸員さん😭フェニキア人のアルファベットで書かれたケルト語と言われ、今この瞬間、学会での論争になっている石板。(他にも多数) pic.twitter.com/3K1aHm8MQ9 2020-12-30 22:14:12 リンク Wiki

    休館だった展示を学芸員さんにお願いして見せてもらったら学会での論争になっている石板があった「ケルト語存在したのか...」
  • 「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖

    ※現在は修正が入りました! 迅速な対応に感謝します(2020/10/06追記) 醤油が大好きな人としては歴史改ざんなんてされてはたまらないという事例がありました。2020年9月30日に朝日新聞のサイトで公開されたこちらの記事です。 www.asahi.com 10月3日にはYahoo!に掲載されて、より多くの人が読むようになりました。そこで「当なの?」と問い合わせがきてとんでもない記事に気がついた次第です。 news.yahoo.co.jp 一体何が問題なのか。 それは最初の章の以下の部分です。 戦時中に大豆の供給が逼迫(ひっぱく)して、その代替品としてカイコのさなぎ、しかも油を採取したあとの搾り粕(かす)から醬油(しょうゆ)が作られたことを知ったときは衝撃でした。さらにその後、アミノ酸液に味つけしただけの化学的な『アミノ酸醬油』が出回るようになり、醬油が来の味を取り戻すには長い時間が

    「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖
  • 感染症対策はなぜ見落とされてきたのか-保健所を中心とした公衆衛生の歴史を振り返る

    ■要旨 新型コロナウイルスの感染が再拡大する中、感染症に対応した医療制度改革の必要性が論じられている。中でも、感染症対策の最前線を担った保健所の機能強化が争点となっており、感染症対策に脆弱な医療制度の課題が浮き彫りとなっている。 では、なぜ感染症対策に対して脆弱なのだろうか。言い換えると、なぜ感染症対策は見落とされてきたのだろうか。歴史を振り返ると、保健所を中心とした公衆衛生システムを整備する際、日は結核対策を重視してきた。このため、どこかのタイミングで、あるいは何らかの理由で感染症対策が軽視されるようになったと言える。 そこで、レポートでは感染症対策を含めた公衆衛生の歴史を振り返ることで、感染症対策が見落とされてきた背景を探る。具体的には、一部で指摘されている行政改革による影響だけでなく、疾病構造の変化、公的医療保険の拡大、国民の意識変容、地方分権の影響など様々な要因を挙げる。その上

    感染症対策はなぜ見落とされてきたのか-保健所を中心とした公衆衛生の歴史を振り返る
  • 《時系列でたどるシトナイ伝説》 - 違星北斗研究会

    ツイッターで書いたことですが、見にくいので、こちらに再度UPします。 ※だいたいは、ヤオさんの調査を元にしています。こちらも併せてごらんください。 《時系列でたどるシトナイ伝説》 ★まず「白龍伝説」があった もともと小樽の祝津にある赤岩という山に、白龍が住むという伝説があった。 明治ごろ。龍というくらいだから、和人を中心としたものだっただろう。 ●明治初期 「明治初期、修行僧が洞窟に篭もって修行をしていた際に、天に昇る白龍を見た」という伝承あり。 https://t.co/1g29gwqfVJ?amp=1 ●明治9年 「玄武丸事件」 開拓史長官黒田清隆が軍艦・玄武丸の艦上で酒に酔っ払い、玄武丸の大砲を、小樽の祝津の赤岩に向けて撃った。 運悪く祝津の民家に当たり、一人の少女が亡くなった。(史実) →その際、なぜ黒田が祝津の赤岩山に向けて、大砲を撃ったかには諸説あるが、 そのうち一つが、 酔っ

    《時系列でたどるシトナイ伝説》 - 違星北斗研究会