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フェミニズムとトンデモに関するkurotokageのブックマーク (10)

  • 深夜のシマネコBlog: 弱者隔離への欲望

    ●私は今までウヨ厨のいうような「日の家族を崩壊させたがっているサヨク」の存在など、ふざけた妄想に過ぎないと思っていました。 そしたらいましたね。当に。 「記憶と歩行」06/08/11のコメント欄より。 terutell 『その、赤木さんという方が、どうして、強者男性に、養ってくれ、といわないのか、わからないんです。別に、生活のために強者女性と結婚しなくても、生活のために、強者男性のなかから気の合いそうな人を選んで友情に基づいた共同生活を送ればいいんではないでしょうか? なんで女性に要求するの?』 serohan 『おはようございます。 terutellさんのコメントに、共感をしながら読んでいました。 >女の人が「男を慰めたり支えたり」することを生き甲斐にしているんではないかと、思っている男性は多いと思いますよ、 当にそうだと思います。おそらく、赤木氏も無意識のうちに、そのような概念が

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    kurotokage 2006/08/22
    “うひゃあ!! 本当にいるよ、家族概念を崩壊させたがっているサヨクが。”あのコメントからなんでこんな結論になるのか。これこそレッテル貼りじゃないのか。あまりにヒドい。
  • 純粋なココロ 2.0: 「フェミニズムはみんなのもの」だって、騙された俺がバカだったよ

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao ・コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑 http://macska.org/article/151 (※改行の関係で引用が読みにくいので、原文に当たることを推奨) フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。わたしはフェミニズムが女性だけのものだ

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    kurotokage 2006/08/11
    読解力が無いようにしか思えないのだけど、それは私に読解力が無いからかな。
  • 深夜のシマネコBlog: 『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その1)

    ●「成城トランスカレッジ!」によると、私が火をつけた(と自慢してもいいだろう)「弱者男性に対する問題」という火の手が順調にのびているようでなにより。みんな張り切ってやって欲しい。 と言いたいところだが、飛び火した先での議論のレベルがあまりにも低くて辟易しているのが正直なところ。 まぁ正直、最初っからそれ以上の期待はしてなかったんだけど、やはりというかなんというか、単純に「弱者男性をどうするか」「弱者男性と男女平等論の関わりは」という話に終始してしまっていて、私が書いたことの一部要素だけを勝手に抜き出して、さもそれが問題の質であるかのような「雑談」になってしまっている。 で、このような論点の捻じれ構造を別の例で例えてみましょうか。 ゲームをしていますよと。 そのゲームは、サイコロを1個振って、1の目が出れば勝ち。他の目なら負けというルール。 ただし、直接賭ける人間はサイコロを振ることはでき

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    kurotokage 2006/07/28
    このような人に“左翼”を、“弱者”を名乗って欲しくない。“左翼”や“弱者”が勘違いされる。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    木場公園の隣に咲く河津桜|春の訪れを感じる 春の陽気を感じながら、カメラを片手にゆったり散歩。 木場公園の隣に咲く“河津桜”は、見頃を過ぎても美しかった。 木場公園の隣に咲く河津桜 多くの観光客が訪れているのは、海外でも桜の開花情報がシェアされているからだろう。 後ろのマンションが日らしさを引き…

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    kurotokage 2006/04/11
    私は男だけど蓮舫の話し方は好き。朝生で見て思わず惚れそうになってしまった。
  • 総論・ジェンダー論 : 群馬県伊勢崎市議会議員 伊藤純子

    2006年02月14日02:31 カテゴリ政治信条 総論・ジェンダー論 伊藤純子です。拙ブログへの書き込み、TBをお寄せいただきありがとうございます。しかしながらこの数日、思わず目を背けたくなるようなコメントを見かけるようになり、心を痛めていました。投稿者のなかには『投稿欄の封鎖』を示唆する方もおられましたが、それは私の意に反することなので、封鎖はいたしません。どうぞ、ご理解のほどを。 『封鎖しない』というのは、私の意思表示。とあるフェミニストのブログが‘反フェミニズム’‘反フェミニスト’たちの猛撃に遭い、コメントもなければ、記事更新さえもしていない、という実態を目の当たりにしたからです。攻撃を恐れ、投稿欄を封鎖してしまったら、そのフェミニストと同じになってしまうでしょ。拙ブログでの一連のフェミニストたちのコメントを顧みれば、良識のあるひとならきっと理解してくれるはず、そう信じています。

    総論・ジェンダー論 : 群馬県伊勢崎市議会議員 伊藤純子
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    kurotokage 2006/02/16
    人の意見に耳を貸さず延々自説を垂れ流す様はとても“男らしい”
  • macskaへの反論1-3

  • この論争の原点、および名誉毀損について ( macska への反論 1-4)

    フェミニズム 29 (2-4)この論争の原点、および名誉毀損について ( macska への反論 1-4) (平成18年1月26日初出) 来の主題から逃げるな この論争はすでに来の論点からはずれてしまっている。macska は論争の当初の主題である「生得的性差と文化的性差の関係いかん」という論点をまともに論ずることができず、枝葉末節な論点に逃げ込んで、そこでフェ理屈をこねまわしている。 第一に、 macska は私が挙げた数々の弊害、とくにアイデンティティーの問題にはまったく触れずに、性同一性障害という言葉に拘泥している。しかし、その問題はもともとたった一つの分類法を macska が持ち出して金科玉条にしたものであり、同じ土俵上でも他の分類法がいくらでもありうるし(それらの分類法も確固としたものではない)、観点が違えばまったく異なる体系の分類法がありうるのである。私があえて mac

  • macskaへの反論1-3

    フェミニズム 29 (2-3)単なるハッタリ屋 ( macska への反論 1-3) (平成18年1月21日初出) macska がただちに反論を出した。ヒマがないと言うにしては、熱心なことである。よほど負けん気が強いのだろう。しかし中身はごまかしばかりである。読者もいいかげんうんざりしてきていると思うので、簡略に問題点だけを指摘する。 この者が言っているのは、要するにただ一つのこと、私が大げさな言葉でデマゴギーをふりまいた(それを批判されたら、表現を矮小化して当たり前のことを言っているように変えた、だから卑怯だ)ということだけである。具体的には、「洗脳」「性同一性障害」という大げさな表現を使うデマゴーグだと非難している。 私が言わんとした大切な内容からすると枝葉の問題だし、読者の皆さんはうんざりするかもしれないので、すでに質は分かったという人は、ここから先は読んでいただく必要はない。た

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    kurotokage 2006/01/22
    「ジェンダーフリー教育の実態」の根拠は?
  • macskaへの反論2

    フェミニズム 29 (3) 「双子の症例」と「ジェンダー論」の関係 ── 『ブレンダと呼ばれた少年』の打撃をフェ理屈でごまかす人 ( macska への反論 2 ) (平成18年2月5日初出) はじめに macska とのこれまでの論争は読者を裨益するところが少なかったのではないかと反省した。その主たる原因は macska が単に一つの言葉の意味に固執するだけで、自分が表題に掲げた主題さえ論じないという、まさに木を見て森を見ずの議論を行ったために、内容を深めることができなかったことにある(その論争の総括は改めて論ずる)。 したがって、この論文においては macska に対する批判よりも、主題について解明することを主たる目的にする。その方が、せっかく読んでくださる読者の関心に応えることになろう。 論文の主題は、フェミニズムの丸とも言うべき「ジェンダー」論である。すなわち「ジェンダー」論の

  • 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いmacska女史の「ハエ叩き実践中?」 - Bruckner05's room - 楽天ブログ(Blog)

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