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2006年8月31日のブックマーク (5件)

  • asahi.com:姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」 - 政治

    kurotokage
    kurotokage 2006/08/31
    ここで呆れてはいけない。こんな人物が都知事をしているという事実に戦々恐々とし続けるべき。
  • こんなビラが入ってました - debyu-boのブログ

    郵便受けに「教育研究会未来」というところが発行しているらしいビラが入っていました。 タイトルは「子どもたちに今、起きていること」。そしてその下に「行き過ぎた「性教育」がもたらしたもの」とあります。最近ネタに困りぎみな私へのプレゼントのようです。ありがたく頂戴しましょう。 ビラには「放っておけません!この現実を」というタイトルのもと、「これが性教育を受けたあとの福岡の現状です」として下のようなことが書いてあります。 ●中1兄が小6妹を妊娠させる●小1兄が妹の下着を脱がせて性行為の真似をする(多数例あり) 中1兄や小1兄が「行き過ぎた『性教育』を受けていたかどうかということは分かりませんし、受けていたとしてその影響かどうかはビラからは分かりませんが、このように断言するということは何かしらの証拠を握っているのでしょう。ええ、きっと。でもビラですからそんな細かいことまで書いていられないのです、きっ

    こんなビラが入ってました - debyu-boのブログ
  • どういう戦略を立てるか - 今日行く審議会

    9月の自民党総裁選が終わると、教育法の問題が再燃する。教育法の改正に意欲的な人たちが権力の中枢に座る。そういう状況の仲で改正を阻止するためには、どのような戦略を立てればいいのだろうか。 例えば、日教育学会の歴代会長の連名で出された「教育法改正継続審議に向けての見解と要望」(教育法「改正」情報センターのサイトで見ることができる)を、教育を専門としない一般の人たちが読んだとき、どれだけの説得力を持つだろうかということを考えてしまう。 今「教育」に対して多くの人が不満や危機感を持っている。そいう不満や危機感は教育法の改正に対して賛成か反対かという立場を超えて共有されている。そういう不満や危機感を無くすために教育法を改正すべきという主張は、一定の説得力を持つ。それに対して、改正反対の立場から有効な主張はほとんど出てきていない。 また、改正に賛成の側と反対の側との意見は大き

    どういう戦略を立てるか - 今日行く審議会
  • 本質と演出 - 玄倉川の岸辺

    ■ マニアは質を語りたがる 一般人は演出が気になる 靖国マニアと反靖国マニアは「靖国問題の質」について時に格調高く時に口角泡を飛ばして声高に主張する。 一般人は高邁な質論を聞かされても良くわからないし、もっとはっきり言えば興味がない。むしろ、「靖国問題」の舞台に登場するプレイヤーたちの演技や舞台の演出に目を引かれる。 いろいろ言われている亀田選手の試合にしても、もうすこし上手く勝利を(あるいは敗北を)演出していれば大方の視聴者は素直に「よくやった!」と喜んだはずだ。ボクシングの質を理解して批判できるマニアはそれほど多くない。 ■ 「ゲド戦記」もあれば「時かけ」もある 演技や演出の必要を知らないのは論外として、演出のやり方にもいろいろある。 2005年の中国における反日デモは大いに不興を買った。恐怖と威嚇の演出は失敗した。平成の御世の日人は心優しく一見すると柔弱だが決して腑抜けでは

    本質と演出 - 玄倉川の岸辺
    kurotokage
    kurotokage 2006/08/31
    “反日デモは大いに不興を買った。”それは「日本で」でしょ?中国国内では成功だったのでは?そして首相の靖国参拝もそれと同じ。中国では不興を買い日本では成功(?)した。比較のポイントがズレまくっている。
  • フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告 - macska dot org

    Filed under feminism, queer Posted on 2006/08/31 木曜日 - 02:00:40 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/152/trackback/ 46 Responses - “フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告” oji Says: 2006/08/31 - 06:31:21 - 興味深いやりとりのご報告を読ませていただき、ありがとうございます。 >自分の中に潜む異性愛中心主義に正面から向き合うことにはならず 自分の「中に」であれ、他人の「中に」であれ、「潜む」なにかを問題化するのは行き過ぎではないか、と個人的には思います。外にあからさまに出ているそれこそ「言説」をその

    フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告 - macska dot org
    kurotokage
    kurotokage 2006/08/31
    “彼女自身を含めミソジニーを持たない人などどこにもいない、自分の内外のミソジニーに抗い続ける人こそがフェミニストであるというのが真意であるということだった。”