第1 問題の所在 日本においては,弘仁元年(810年)に藤原仲成が誅殺されて後*1,保元元年(1156年)に源為義らが成敗されるまで,死刑が執行されることはなかったと理解するのが通説的な見解である(国史大事典*2)。この見解は,死刑が再開された際の『保元物語』*3の記述などにより,一般にも広く流布しているようである*4。 細かく言えば,水戸藩の『大日本史』*5以来,死刑が停止されていたのは「朝臣」(又は「公卿」)に対してのみであるとする反対説もあるのであるが(石井良助『日本刑事法史』*6),古くから批判されているように(瀧川政次郎『日本法制史研究』*7),そのように限定する史料的な根拠はないと思われる*8。 しかし,よく考えてみると,上記の期間内においても,例えば,東国に乱を起した平将門が,天慶2年(940年),下野国押領使の藤原秀郷*9に討殺されているし*10,刃傷沙汰を起した藤原斉明が