1881年(明治14年)、明治天皇は国会開設の勅諭を出し、1890年(明治23年)に帝国議会が開設されることが決定した[5][6]。井上馨は1886年(明治19年)、首都改造計画である官庁集中計画を主導し、その一環としてヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンに国会議事堂を設計させた[6][注釈 2]。彼らはネオバロック様式(英語版)の1案を提出するも、当初想定されていた外壁の切石調達が疑問視されたこと、日本在住の西洋人が和風建築との調和を訴えたこと[7]、また、エンデとベックマン自身が来日して日光・奈良・京都を巡ったことで、1案の骨格を変えずに表面の意匠を和風にする2案が再提出された[7][8]。しかし、1887年(明治20年)に発案者である井上が失脚したため、官庁集中計画は立ち消えとなり[9]、この国会議事堂案も実現することはなかった[6]。 議会開設の期日に間に合わせるため建設され