今、「アジア主義」という言葉を聞いてどのような像が脳裏に結ばれるだろうか。「戦前の日本の帝国主義的侵略を、美辞麗句で粉飾した思想」というのが一般的なイメージだろう。確かに歴史的に振り返れば、このイメージは正しい。しかし失敗した思想として簡単に忘却できるかどうかは検討に値する。というのも、我々が想起する「アジア主義」とは具体的には太平洋戦争中(アジア主義者たちは「大東亜戦争」と呼びたがるだろうが)の「大東亜共栄圏思想」であろうが、これは竹内好が指摘するように、「アジア主義の無思想化の極限状態といえるもの(1)」であったからである。また竹内は、この「大東亜戦争」を「脱亜が興亜を吸収し、興亜を形骸化して利用した究極点(2)」とも指摘する。岡倉天心の「アジアは一つ(『東洋の理想』)」というスローガンがこの時代もてはやされたが、天心は多様なアジアの実態をよく知悉した上で、虐げられている一点において「