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懐古に関するmamimu_memoのブックマーク (15)

  • デ・ジ・キャラットにハマる

    平成生まれだけど、デ・ジ・キャラットにハマった。 きっかけは今期に放送している令和のデ・ジ・キャラットを観たことによるものだ。 正直デ・ジ・キャラットに関してはその名前をうっすら聞いたことある程度で、他は何も知らなかった。 いや、というか当はちょっと軽蔑していたのかもしれない。 オタク向けコンテンツだと何処かで耳にしていたので「ああ昔の萌えアニメね」と認識していた。 耳の可愛らしい女の子ってだけで人気出るとか、昔のオタクってチョロいなwとさえ思っていた。 でだ。 なんとなくその令和のデ・ジ・キャラットを観てみたんだ。 圧倒された。 訳が分からなかった。 でも、面白かったのだ。 ハイテンポで繰り広げられる会話に、理不尽な怒涛の展開。 想像していた内容と全然違っていた。 不思議な魅力に取り付かれ、俺は4分の1話目を延々と繰り返し観た。 なんだかよく分からない…でも、すごく面白いのだ。 Yo

    デ・ジ・キャラットにハマる
    mamimu_memo
    mamimu_memo 2022/10/16
    うふふ。デ・ジ・キャラットは良いものだ。
  • 今の技術で「伺か」の凄いの作れんのかな

    目パチ、口パク、絵を動かす技術も色々出てきたし、合成音声も出てきたし。 はてブでコメント荒れたりするけど、好きなキャラクターが読み上げるってなると、もっとマシになりそうじゃん。 えんいー

    今の技術で「伺か」の凄いの作れんのかな
    mamimu_memo
    mamimu_memo 2022/01/15
    かわいかったな
  • ハイテク通り、テクノガーデン…30年前の未来都市・幕張新都心が懐かしくもカッコいい

    「近未来へのキーワード、マ・ク・ハ・リ。」 「21世紀をリードする房総新時代の幕開け」 『片田舎だった千葉が、「首都圏の中心」になるばかりでなく、世界に通じる半島になる。いま、“国際経済文化県”千葉が誕生する。』 1989年、バブルの真っ只中に街びらきした幕張新都心のキャッチコピーである。 千葉市、東京湾臨海部にまったくのゼロから作られた幕張新都心。 今歩いてみると、平成初期の雰囲気を色濃く残しており、その時代特有のかっこよさと懐かしさが混在する魅力的な場所だった。 何もない千葉の葦原がたった数年で未来都市へ…「幕張の奇跡」と呼ばれた都市計画 1991年、千葉銀行幕張支店発行のテレカ。今の幕張とほぼ変わらぬ街並みである 幕張新都心と聞いても、あまりピンとこない方もいるかもしれない。 実際に歩いてみる前に、まずは幕張新都心の成り立ちについて軽く紹介したい。 幕張テクノガーデンの展望レストラン

    ハイテク通り、テクノガーデン…30年前の未来都市・幕張新都心が懐かしくもカッコいい
    mamimu_memo
    mamimu_memo 2021/08/16
    良い。好き
  • ヴィレッジヴァンガードに対する思い入れや認識は世代によって全く違う感覚なのではないか?→様々な意見が集まる

    ちまき @chi_maki ヴィレッジヴァンガードを何か特別な店だと思っているのは多感な十代の頃にあの店に出会った中年だけで、物心ついた時からインターネットでマンガや音楽が楽しめる環境にあった若者世代にとっては、ただのイオンにある雑貨屋以上の存在ではない気がする 2020-07-13 21:50:23 ちまき @chi_maki まあでもよく考えると、情報環境の変化による影響は当然あるけど、若い人たちが昔より貧乏になった上に若者の数自体が減ったというのも影響が大きいだろうと思う 2020-07-13 22:05:50

    ヴィレッジヴァンガードに対する思い入れや認識は世代によって全く違う感覚なのではないか?→様々な意見が集まる
    mamimu_memo
    mamimu_memo 2020/07/15
    中高生の頃に地元に2つイオンができて、まあ思い入れのあるお店でしたよ。ラーメンズ見て相対性理論聴いてトイカメラ買って、いつか上京して東京の西のほうに住みたいなって夢見て、典型的だけど楽しかったよ〜
  • 中井寛一 on Twitter: "47年前の東京の若い女性たち。 1972年(昭和47年)にアメリカ人が観光客が撮影した写真。 かなり鮮明なカラー写真なので、この女性たちが今も元気でいれば、おそらく70歳ぐらい(70歳以上)というのが何となく信じられない。 https://t.co/ZGrFK369bl"

    47年前の東京の若い女性たち。 1972年(昭和47年)にアメリカ人が観光客が撮影した写真。 かなり鮮明なカラー写真なので、この女性たちが今も元気でいれば、おそらく70歳ぐらい(70歳以上)というのが何となく信じられない。 https://t.co/ZGrFK369bl

    中井寛一 on Twitter: "47年前の東京の若い女性たち。 1972年(昭和47年)にアメリカ人が観光客が撮影した写真。 かなり鮮明なカラー写真なので、この女性たちが今も元気でいれば、おそらく70歳ぐらい(70歳以上)というのが何となく信じられない。 https://t.co/ZGrFK369bl"
  • ここは増田のホ~ムペ~ジ

    いらっしゃい あなたは 001000 人目のお客様です! ようこそ~~~~三三三三三三 Menyu ・自 己 紹 介 増田当の姿がわかる!…かも(汗 ・日 記 ( 工 事 中 ) 日々思ったことを徒然なるままに書いていこうとおもいます。 ・ひ と こ と 掲 示 板 キリ番報告などにお使いください ・掲 示 板 交流メインです。 ・チ ャ ッ ト 管理人は毎週火曜日の19時にいます! ・L I N K お世話になっているサイトです。 [W e b 拍 手] ↑押して頂けると励みになります [人 気 ラ ン キ ン グ][ H P リ ン ク 連 合][日 記 カ テ ゴ リ ー ラ ン キ ン グ] ↑一日一回クリックお願いします ・追 記 : カ ウ ン タ ー 増 や す の が 辛 い の で カ ウ ン タ ー は こ の 追 記 で 更 新 停 止 し ま す 。

    ここは増田のホ~ムペ~ジ
  • 20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ

    1996年の夏、わたしは6歳で、小学1年生だった。 宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家や近所の公園や児童館にゲームボーイ片手に集まって、ポケモンのレベル上げにいそしんだり、近所の年上のお兄ちゃんにどうしてもここから先にいけないんだよ~って泣きついたり、同じジムリーダーに何回も挑戦したりしてた。チューペットをくわえて濡れた手でAボタンを押す、通路なんだからここで集まらないどきなさい、って怒られる。 ……まさか20年経って同じことをしていると思わなかった。思わなかったよ。 2016年7月22日、ポケモンGOが存在する世界がはじまった。 22日は朝から歌舞伎座で「七月大歌舞伎」を観ていて(市川海老蔵さん、当に当に格好よかった)午前中からリリースの喧騒は横目に見ていたけど、歌舞伎座の場内は集まる皆様の年齢層もあって至って静かだった。誰もポケモンゲットしようとしてなかった。今思えば

    20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ
  • ラーメンズが7年ぶり復活! NHK BS『小林賢太郎テレビ8』に片桐仁が出演

    お笑いグループ・ラーメンズが、7年ぶりにコントを披露することが25日、明らかになった。6月26日(22:00~22:59)にNHK BSプレミアムで放送される『小林賢太郎テレビ8』に、相方の片桐仁が出演する。 この番組は、普段は舞台で活動するラーメンズの小林賢太郎が、年に1回テレビに登場してコントを披露するもので、今回が8回目の放送。ラーメンズは、2009年の公演「TOWER」を最後にコンビでの活動が休止状態となっていたが、今回、片桐が出演することで、7年ぶりに復活を果たすことになる。 同番組ではほかにも、俳優・大泉洋が登場し、小林とコントを繰り広げる。

    ラーメンズが7年ぶり復活! NHK BS『小林賢太郎テレビ8』に片桐仁が出演
  • 【廃墟探訪】Web廃墟都市・旧ジオシティーズを歩く

    青ソファ、黄ソファ、赤ソファの三色からなる「徳ソファ」から分離したうちの一人。三人がふたたび一人に戻るとき、大勝利が待っているという。 こんにちは。インターネット、してますか? 私はインターネットが無いと死にます。 1995年暮れのWindows95発売とともに訪れたインターネットブームから、もう20年近くになります。 ……って改めて書くとオッサンたる私としてはギョッとするわけですが、「2000年以降は、最近」という感覚ももういい加減捨てないとヤバイですね。2000年だって(この記事を公開した時点で)15年前です! さて、そんなインターネットブームに湧いていた頃はまだお父さんのタマキンの中にいたアナタももう立派な成人、というくらい日でも歴史を紡いできたインターネットの世界ですが、それゆえに既に過去のもの、消滅したものも沢山あります。 日の一般ピープルのネット黎明期について体験してきてい

    【廃墟探訪】Web廃墟都市・旧ジオシティーズを歩く
  • オタクが融解した、「げんしけん」二代目が、つらい - たまごまごごはん

    「げんしけん」は大好きなマンガのひとつです。 だからこそ、すきだからこそ。 つらい。 今の斑目ハーレム編、めちゃくちゃ面白いです。 個人的には17巻を読んだ上でも「やっぱり笹原妹じゃないかなー」派です。 ってくらいに楽しんでいます。 でもさ。 これもう「オタク」じゃないんだよね。 「へたれ男子の恋愛物語」として面白いだけになってしまった。 - これは「げんしけん」のストーリーテリングの問題ではないです。 時代が変容したからです。 「オタク」という存在が、無くなってしまった。 それだけのこと。 - 「げんしけん」一巻は2002年。 2002年のアニメ挙げてみましょうか。 「キングゲイナー」「おジャ魔女どれみドッカーン!」「シスタープリンセスRePure」「灰羽連盟」「最終兵器彼女」「まほろまてぃっく」「東京ミュウミュウ」「朝霧の巫女」「アベノ橋魔法☆商店街」「あずまんが大王」「ラーゼフォン」

    オタクが融解した、「げんしけん」二代目が、つらい - たまごまごごはん
  • 本が好きだった。本のことしか考えてこなかった人生だった。 親は教育熱心..

    が好きだった。のことしか考えてこなかった人生だった。 親は教育熱心なひとで、物心ついたときから近所の公立図書館に連れられて育った。 一方、実質母子家庭のような家庭環境で、そこまで裕福でもなかったうえに、完璧主義者の母親であったので、自分でお小遣いをもらって好きなものを買うという環境でもなかった。 母については、わたしたちのために苦労してきたのだなと申し訳なく思うし他にも色々思うところはあるのだけれども、それは題ではないのでここには書かない。 とにかく、娯楽のない状況だったので、図書館を借りるか、サンテレビの野球中継を見るかくらいしかお金のかからない趣味はなかった。友達漫画を貸してもらったりもしたけれども。正直、そのことをさして不満にも思わなかった。 (我が家にお小遣い制度というものはなく、欲しいものがあればその都度申告して買ってもらうという方式だった。だけは何も文句を言われな

    本が好きだった。本のことしか考えてこなかった人生だった。 親は教育熱心..
    mamimu_memo
    mamimu_memo 2014/09/12
    分かる。ハリポタと電子探偵団と戯言シリーズのキャラに囲まれて過ごしたあの頃。
  • みんな、ものづくりは嫌いなの?

    http://anond.hatelabo.jp/20140825071636 こういう記事があったけどさ、州の学校の夏休みの自由課題って「自由研究」固定なの? あ、全部自分語りというかブコメの拡張なので無視してください。 いや、自分の通ってた学校は、自由研究も、工作や書なんかのアート作品でもよかったからさ。 小学生だったのもう14年も前だから、今の学校の状況はわからないんだけど。 「研究」もいいけど、ゼロから物を作る(これも研究?なのか)のもすてきだよ。 そういうのを楽しめる子なら、子どものパトスにまかせるのも良いと思うんだけどなあ。 自分は作ることが大好きだったので、とにかくめっちゃ楽しんでた。 宿題(ドリル)は全く無計画なのに自由課題はスケジュール立てて計画を練るくらい。 ちょっと覚えてる限り回想する。 まず大前提。小3くらいから立ててた自分ルール。 ①工作キットは使わない。 ②コ

    みんな、ものづくりは嫌いなの?
  • 平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。

    Nightmare City どうも、平成(初期)生まれです。 相当数の日人が多かれ少なかれネットに関わっているわけで、もうメディアの「ネットで話題」という言葉は「日で話題」ぐらいの意味しかない (あなたの知らないインターネット - 脱社畜ブログ) 日常的にネットに接していると、意外と忘れがちなこと。何でもかんでも “ネットで” と一括りにするのは、たしかにおかしい。考えてみれば、昔からWebサービスはそれぞれが別個のコミュニティを持ち、住み分けがされていたように思う。2ちゃんねるの「住民」に代表されるように。 たまには、自分の知らないインターネットを見にいくのも楽しいのかもしれない。 閉鎖的なコミュニティにとどまるよりは、普段からさまざまな価値観に触れていたほうがいいように思う。特にWeb上では、似通った価値観を持った人たちが自然と同じ場所に集まりやすいから。 そんななか、ふと「僕の

    平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。
  • あの頃のネットは自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった

    http://anond.hatelabo.jp/20121209000955 自分がネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。 特に個人サイトが消えてしまったのが哀しい。 個人サイトは、その個人がネットという世界で表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。 整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。 サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。 でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。 いつの間にかGoogleは、検索単語を

    あの頃のネットは自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった
  • はじめてホームページ作ったよ!

    アクセスしてね。 URLは file:¥¥¥C:¥Users¥kurokishi¥Documents¥HomePages

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