いろいろと気になることがあり、自分でも確かめてみましたが、牧口常三郎が、「教育勅語、あれは最低のものです」とかたった言葉が「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と改変されている。「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」には、端的に言えば、解釈として教育勅語を「ヨイショ」する「余白」がのこされた記述なのだけど、こう改変することは、牧口常三郎が「教育勅語」に「殺された」ことを「鬱陶しい」と考える勢力が創価学会のなかで力を持っている方々の中にいるという話ですかね(呆 1. 森川幸ニは昭和十六年の入信であった。十七年十月、男の子の一人が亡くなった時、初代会長牧口常三郎がわざわざ葬儀に来て、初めて牧口を知った。彼の弟も入信し、早くから幹部と目されていた。十八年六月、創価教育学会弾圧の折、弟は神奈川で検挙された。だが、家庭の信心の破綻から忽ち退転して出所した。以来、神奈川方面は、終戦になっても、学会との