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ルールに関するmaruyoyoのブックマーク (2)

  • Redirecting

    maruyoyo
    maruyoyo 2017/03/28
    データバーとか矢印とかあったのかー
  • 考察 ニセコルール滑走の自由はどのように守られた - KODAMA NISEKO(コダマ)

    ニセコの山に関わったたくさんの皆さん、「ニセコ雪崩調査所」関係者、そして新谷暁生氏、中力ドミニク千秋氏に心からの敬意を表します。 文・写真=沼尻賢治/KODAMA 1:スキー場の生い立ち ニセコアンヌプリに初めてスキーリフトが架かったのは1961年12月のこと、『ニセコひらふスキー場』がオープンした年でした。板を渡しただけのシングルリフトが2。標高510メートル付近まで上がれたそうです。当時はまだ圧雪車などなく、すべて未圧雪のゲレンデ。そもそも自分で上って、滑ることが当時のスキーの基でしたら、当たり前かもしれません。 1964年の東京オリンピックを契機にスキー場の整備も進み、圧雪車も導入、リフトも増設されてゆきます。『アンヌプリ国際スキー場』がオープンしたのもこの年です。 1982年、『ニセコ東山スキー場』(現在のニセコ・ヴィレッジ)オープン。この時期から標高1000メートル以上のリフ

    考察 ニセコルール滑走の自由はどのように守られた - KODAMA NISEKO(コダマ)
    maruyoyo
    maruyoyo 2017/02/27
    “このルールの特徴は、なんでも「禁止」してしまう日本の社会にあって、おおよそ語られないような「滑走の自由を尊重する」という姿勢を掲げたことです。それだけでも奇跡と言っても言い過ぎではないでしょう。”
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