古来より、塩や海産物、山の幸などを運ぶために庶民たちが往来した、通称「塩の道」をご存知でしょうか。荷物の運搬が新しい道路や鉄道等に取って代わられて以降、忘れられつつあったこのような街道が、今、観光客たちの人気を集めています。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、そんな塩の道のひとつ、新潟県糸魚川市と長野県松本市を結ぶ千国街道が詳しく紹介されています。 小谷村、白馬村に多くの遺跡が残る 塩の道「千国街道」 古代の昔から塩や海産物を内陸に運ぶ道が形成されていた。これはまた反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもあった。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼るしかないから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くあった。 かつて、馬子や牛方、歩荷(ボッカ)などによって、塩とともに生活物資や民衆文化までが往来した街道が
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