幕末、諸外国と修好通商条約が結ばれて一気に開国すると、それに反対する人びとによる外国人排斥運動(攘夷)が盛んになった。過激な攘夷運動の盛り上がりは諸外国を警戒させ、やがて米仏艦隊による長州報復攻撃、英国海軍と薩摩との薩英戦争、さらに英国による日本侵攻作戦の立案、そして長州征伐と連動しての下関戦争と対外戦争の危機が顕在化していくことになる。本書は主に英国側の資料を中心にして当時日本が直面していた対外戦争の危機について具体的に描かれた一冊である。 奉勅攘夷と横浜鎖港問題日米修好通商条約とそれに続く安政の五カ国条約によって諸外国に対し神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と領事裁判権、関税自主権の放棄、片務的最恵国待遇などが約されると、日本中に攘夷の嵐が吹き荒れ、外国人に対するテロ行為が頻発。文久二年(1862)、島津久光の行列を遮ったとして英国商人リチャードソンらが殺害されると、英国との間で緊張が高ま