1973年のブレトン=ウッズ体制崩壊前後の大幅なドル安は、第二次大戦後の世界経済が最初に迎えた構造調整だった。戦争直後は、無傷のアメリカと戦災で荒廃した欧州・日本の経済格差は大きく、ドルと各国通貨の固定為替レートはその格差を反映した水準に決められた。しかし、欧州(特に西ドイツ)と日本の急速な経済復興・成長が進むにつれ、経済ファンダメンタルズと為替レートの乖離が拡大した。日独の実質的な経済水準はアメリカに接近したにもかかわらず、アメリカに比べたドル換算した物価や賃金は安いままだったため、アメリカは価格競争力で太刀打ちできなくなり、経済が変調を来したのである。アメリカ経済の競争力回復には、(1)日独の大インフレ、(2)アメリカのデフレ、(3)ドル安/円高・マルク高の少なくとも一つが必要であった。結局、(3)が選択されてアメリカ経済は立ち直り、その後も経済大国の地位を維持している(※1)。