サイエンスライティング | よい噺家が育つにはよい噺をふんだんに聞くことのできる状況がなくてはならない、とぼくは考える。豊かな土壌があれば、よいものが育つ。 落語というのは凄いものなんだゾとか、いかに素晴らしいかなどをいくら力説してみたってだめだ。その力説に心を動かされて落語界入りをした者がいたとしても、ただ“理屈好き”とか、説得されてしまったことに酔って“その気”になっちまった者であって、彼らにはいいとこ、そこそこの期待しか持てない。 理屈ではなく、ただただ芸の力に圧倒されて、よし! きっとああいう噺家になってやる! と心を熱くする若者こそ期待できる。 落語家論(柳家小三治) これ、引用文の中の「噺」を「科学」に、「噺家」を「科学者」にしても成り立つのではないか、と思いながら読んでいたのだけど、それだけじゃないな、と思った。どんな仕事でもそうかもしれない。 若者を迎える側としては、ただ