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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (39)

  • 死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』

    死ぬときに思い出す小説の一つ。 あれを読めば良かったとか、これがまだ途中だったとか、未練は必ずあるはずだ。どんなに読んでも足りることはないから。そんな後悔の中で、エピソードや描写を思い出し、読んでよかったと言える作品の一つが、『イギリス人の患者』だ。 映画が公開されたときだから、20年以上前に読んだのだが、いま再読しても美しい。詩的で情緒豊かに紡がれる、四人の男女の破壊された人生の物語だ。 あらすじはシンプルだ。 第二次世界大戦の終わり、イタリア北部の半ば廃墟となった修道院が舞台となる。そこで生活を共にするのは、看護婦のハナ、泥棒のカラヴァッジョ、インド人の工兵のキップ、そしてイギリス人の患者となる。人生のわずかな期間にすれ違う男女が、自身の半生を思い出す。 ただし、けっして読みやすい、ストレートなお話ではない。 時系列は無警告で前後するし、エピソードの粒度や解像度はバラバラだ。後になって

    死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』
    maturi
    maturi 2024/06/24
    ユリシーズ、キャッチ22、イギリス人の患者
  • 『後味が悪すぎる49本の映画』を読んだら、なぜファニーゲームが大嫌いなのか理解できた

    精神的ダメージがありすぎて、読んだことを後悔する小説のことを、劇薬小説という。生涯消えないほど深く心を傷つけるマンガのことを、トラウマンガと呼ぶ。 劇薬小説とトラウマンガは、このブログで追いかけているテーマだ。 最近なら、 [BRUTUSのホラーガイド444] あたりが参考になるだろうし、最高傑作は、 [ス ゴ] の別冊付録で紹介している。許容範囲オーバーの激辛料理べると、自分の胃の形が分かるように、琴線を焼き切る作品を読むと、自分の心の形が分かるはず(痛みを感じたところが、あなたの心の在処だ)。 『後味が悪すぎる49映画』 は、この映画版だ。観ている人の気分をザワつかせ、逃げ道を一つ一つ塞ぎ、果てしない絶望に突き落とし、胸糞の悪さを煮詰める―――そんな作品が紹介されている(49は主に紹介される作品であり関連する他の胸糞も合わせると100を超える)。 ハッピーエンド糞くらえと

    『後味が悪すぎる49本の映画』を読んだら、なぜファニーゲームが大嫌いなのか理解できた
  • 「若い頃の自分に教えたいこと」を集めた名言集『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』

    40~60代のおっさん達に、「もし若い頃の自分にアドバイスができるなら、何を伝える?」と聞きまくって集めた名言集。 聞いた場所も、東京なら赤羽・上野、大阪なら新世界、名古屋なら栄の飲み屋街に限定してる。出てきた答えは、下品で下世話で下半身ネタだらけだけれど、心底その通り!と言いたくなる名言ばかり。 誰も教えてくれなかったけれど、長いこと生きてきて、ようやく身に沁みて分かった、何気ない一言が集められている。職場呑みの宴席とか、独りで入った飲み屋のカウンターで、こっそり教わる人生の教訓だ。 わかる人には痛いほどわかるやつで、分からない人は、きっと、幸せな人生だと言えるだろう。 人は、傷ついた分だけ、性格が悪くなる ラブソングとかで、「傷ついた分だけ、人は優しくなれる」というフレーズがある。手垢にまみれまくっているが、これはウソ。 あんなの心地いいだけで、タワゴトです。真実は真逆で、傷ついた分だ

    「若い頃の自分に教えたいこと」を集めた名言集『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』
    maturi
    maturi 2024/01/17
    おもにマイナス金利(デフレ)のせいなんだけど、際限なくサービスが悪化して続けていく銀行見るに、一生付き合っていけるかどうかは運しだいでは(あるいはコンコルド錯誤)
  • なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?

    「謝ったら死ぬ病」をご存知だろうか? どんなに証拠を突き付けても、絶対に非を認めない人だ。 プライドの高さや負けず嫌いといった性格的なものよりもむしろ、過ちを認めることが、自分の命にかかわるものだと頑なに信じている。すなわち、「謝ったら死ぬ」という病(やまい)に取り憑かれている―――そんな人がいる。 もちろん、想像力が衰えて視野が狭く、無知な自分を認めたがらないような頑固者なら、可哀そうに思えども理解はできる。 だが、第一線で活躍する知識人や学者で、ものごとを客観視できるはずなのに、この病気に罹っている人がいる。それどころか、その優れた知性を用いてコジツケを考えだし、論理を捻じ曲げ、のらりくらりと言い逃れる。 なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか? ずばりこのタイトルの書を読んだら、疑問が氷解した。 それと同時に、「謝ったら死ぬ病」は私も罹患していることが分かった。「あの人」ほどは酷く

    なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?
  • 『ホラー小説大全 完全版』から選んだホラーベスト10

    スタージョンの法則というものがある。 SF作家のシオドア・スタージョンが「SFなんて9割クズだ」と貶されたとき「どんなものでも9割はクズだ」と返したという逸話に由来する。低俗で凡庸な作品の山に、傑作が埋もれている。 重要なのはその1割にどうやって巡り合うかなのだが、ホラー小説についてその1割を集大成したものが、『ホラー小説大全 完全版』(風間賢二、青土社)になる。 18世紀のゴシック小説から19世紀のゴースト・ストーリー、20世紀のモダンホラー、そして21世紀のポスト・ミレニアルホラーまで、欧米を中心としたホラー小説を渉猟し、「読者を怖がらせる」ことに優れた作品をもりもり紹介する(1割といえど大量にある)。 さらに、近代が生み出した三大モンスター(吸血鬼、フランケンシュタイン、狼男)と現代が生み出したゾンビにまつわる膨大な映画小説を紹介しながら、「なぜ”それ”が怖いのか」を、時代の集合的

    『ホラー小説大全 完全版』から選んだホラーベスト10
  • コーマック・マッカーシー5選

    くり返し読み返す作家は少ないが、コーマック・マッカーシーの作品はその中に入っている。特に『すべての美しい馬』は今度も何度も読み返すだろう。小説でしか伝えられない美と残虐を、確かに受け取ったと信じさせてくれるからだ。 アメリカ文学を代表する作家の訃報に接し、わりと衝撃を受けている。あたりまえなのだが、人生は期限つきであり、生きて、読んでいられる時間は思ったより短いことを、あらためて思い知らされたから。 ここでは、お薦めの作品を5つ、紹介する。世界には美と残虐が仲良く同居しており、剥き出しになった暴力と向き合うときにこそ、人間とは何かが見えてくる作品だ。 ザ・ロード 氏の作品を知らない人向けの入口となる一冊。他と比べると短めで、作風と世界観を味わうのにうってつけだ。 カタストロフ後の世界を旅する、父と子の物語。 ゾンビのいない終末世界だとこんな風になるのだろう。劫掠と喰人が日常化した生き残りを

    コーマック・マッカーシー5選
  • ルーク・スカイウォーカーの初登場までに17分もかかった理由『脚本の科学』

    面白い物語の法則として「主役はできるだけ早く登場させて印象づけろ」というものがある。 にも関わらず、最初の『スター・ウォーズ』はこのルールを破っている。小さな宇宙船を追跡する超大型戦艦から始まり、悪の親玉に捕まるお姫様を描き、辛くも脱出するロボットのコンビを描く。 メイン・キャラクターであるルーク・スカイウォーカーが出てくるのは、映画が開始して17分が経過してからになる。 一方、『スター・ウォーズ』のオリジナルの脚では、4ページ目からルークが紹介されるシーンがある。ほぼ冒頭から登場するのだが、このシーンは映画に入っていない。脚家のジョージ・ルーカスは慣習に従ってルークを冒頭で出しているが、監督のジョージ・ルーカスはそうしなかった。 なぜか? 様々な説が考えられるが、『脚の科学』によると、「その必然性が無かったから」になる。 いきなり始まる怒涛のバトル&追跡劇で息つく暇もない観客は「逃

    ルーク・スカイウォーカーの初登場までに17分もかかった理由『脚本の科学』
  • 経済学はどこまで信用できるのか『経済学のどこが問題なのか』

    経済学が、うさんくさい。 ネットで見かける経済学者の態度が偉そうだとか、オレサマ経済理論を振りかざす連中の断定口調が気に入らないとか、そういうのをさっ引いても、経済学そのものに不信感がある。何か騙されているような感覚がつきまとう。 この記事では、『経済学のどこが問題なのか』(ロバート・スキデルスキー、名古屋大学出版会、2022)をダシに、経済学そのものが抱える問題について、以下の構成で考察する。 ・自然科学の体裁としての数式・モデル ・現実との乖離の埋め方 ・経済学の何が問題か ・経済学のうさんくささ、クルーグマンは知っていた ・もし経済学者が馬だったら ・行動経済学の罪 ・経済学者への処方箋 ・経済学者は謝ったら死ぬのか 自然科学のフリをする経済学 例えば、経済学者が説明するグラフやモデルだ。 数式やパラメーターが出てくるので、自然科学の体(てい)を成しているように見える。パラメーターを

    経済学はどこまで信用できるのか『経済学のどこが問題なのか』
  • 新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー)

    歴史とは現在と過去との終わりのない対話である ・世界史とは各国史をすべて束ねたものとは別物だ ・すべての歴史は「現代史」である 名言だらけのE.H.カーの名著。 昔は「教養を身につけるため」と有難がっていた。今でも教養課程の必読書とされているかもしれない。文系理系関係なく読むべき名著といえば、『理科系の作文技術』とこれだろう。 ところが、新訳を読むと、がらりとイメージが変わった。「教養を身につける」という体裁よりも、むしろ、ユーモア満載、毒舌たっぷり、ハラを抱えて大笑いできる一流の講義になる。 論敵をあてこすり、酷評し、嘲笑する。死者を皮肉り、(歴史学も含めた)人文学を軒並み張ッ倒し、強敵は名指しで祭り上げ、しかる後にメッタ斬り。 母親の膝のうえで学んだ子どもっぽいナイーヴな学説だとか、成績が「可」ばかりの学生みたいな史観だとか、めずらしく階級的感覚の低い発言だとか、嫌味と毒舌のオンパレ

    新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー)
    maturi
    maturi 2022/09/24
  • 料理観を揺さぶり、変化させる『料理の意味とその手立て』

    自炊歴も30年になると、料理も適当になってくる。 テキトーという意味ではなく、あり合わせのものでなんかするイメージ。レシピ通りに作らないし、調味料も目分量になる。代わりに、費と洗い物の最小化を目指したり、極限までサボったり、変わった料理に挑戦したりする。 自分の中で、「料理とはこんなもの」という料理観みたいなものが出来上がっている。そのため、普通のレシピは、レパートリーを増やすためにチラ見する程度になる。 一方で、私の料理観を揺さぶり、変化させるようなもある。何気なくやってた一手間が、実は深い意味を持っていたり、伝統&科学に裏打ちされた質が見えてきたりする。 ウー・ウェン著『料理の意味とその手立て』が、まさにそんな一冊だ。 中国家庭料理を紹介しているのだが、いわゆるレシピ集というよりも、料理についての考え方をまとめたエッセイと言ったほうがしっくりくる。料理する人には見慣れたことかもし

    料理観を揺さぶり、変化させる『料理の意味とその手立て』
    maturi
    maturi 2022/08/13
  • 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』

    水の中には、すごい遺物が眠っている。 考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。 それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。 縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態) ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑 古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置) 元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器 中世のヴァイキング船が丸ごと 縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。 砂や

    水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』
  • 経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』

    経済学は「科学」だろうか? 頻繁に書き変わる教科書は、物理学のと好対照を成す。経済学の研究者は好きなことを勝手な方法で分析し、主張し、何やら数式モデルは出てくるけれど、再現性も説得力も無さそうに見える。 わたし自身、もう経済学の勉強はしていない。なぜなら、やればやるほど分からなくなるから。 現実を追いかける教科書 例えば、経済学の教科書は数年で書き変わる。 『クルーグマン国際経済学 理論と政策』が象徴的だ。3~4年で更新され続け、今冬12版が出る。更新のたび、理論が書き変わり、モデルが追加されてゆく。 世界金融危機やブレグジット、中国の台頭といった新しいトピックに対応していると言えば聞こえはいいが、その度に新しいモデルやパラメーターを導入し、既存の理論との整合性を(ムリヤリ?)取る。 そしてひとたび、想定外の事象が起きたら、「ブラック・スワン」などというカッコイイ名前を付けて説明できたこと

    経済学は「科学」なのか?『社会科学の哲学入門』
    maturi
    maturi 2021/11/02
  • 面白い物語の「面白さ」はどこから来るのか? 「物語の探求」読書会

    面白い小説・マンガ・映画ゲームに没頭しているときは分からない。だが、お話が終わった後、あらためて、なぜそれを面白いと思ったのかは、気になる。 その物語の「面白さ」はどこから来たのか 誰にでもウケるのか(「面白さ」は一般化できるのか) 「面白さ」は再現できるのか そんな疑問を抱えていたら、面白い読書会があったので、参加してきた。 「物語の探求」読書会(ネオ高等遊民サークル) タケハルさん(脚家) スケザネさん(シナリオライター) ネオ高等遊民さん(哲学Youtuber) Dain(ブロガー) 小説漫画映画、舞台、ゲームなどジャンルの垣根を越えて、「物語」について考えるオンライン読書会。たとえば、「ラストで感動させる仕掛けはどう使われているか」「物語世界に巻き込む外的焦点化とは何か?」など、物語を創る側の視点から考える。 第1回の課題 『物語の力 物語の内容分析と表現分析』 高田明典

    面白い物語の「面白さ」はどこから来るのか? 「物語の探求」読書会
  • 物語を作る側の視点から『ズートピア』の面白さ、怖さ、凄さを語り尽くす

    物語に夢中になったことはないだろうか? 小説やマンガ、ゲーム映画や舞台など、素晴らしい作品に出会ったとき、あまりの面白さに、あっという間に時が過ぎる。お話が終わり、我に返った後、あらためて、なぜそれを面白いと思ったのかは、気にならないだろうか。 その物語の「面白さ」はどこから来たのか なぜ、自分が、そこを「面白い」と感じたのか その「面白さ」は一般化/再現できるのか こうしたテーマを視野に入れ、古今東西の「面白い」作品について語り合う。これはという作品を取り上げ、物語を作る人、楽しむ人、広める人など、様々な視点から「面白い」について語り合うオンライン会だ。 「物語の探求」読書会(ネオ高等遊民サークル) タケハルさん(脚家) スケザネさん(シナリオライター) ネオ高等遊民さん(哲学Youtuber) Dain(ブロガー) 今回の課題作は、『ズートピア』。2016年に公開されたディズニー

    物語を作る側の視点から『ズートピア』の面白さ、怖さ、凄さを語り尽くす
  • 辺境と文明が逆転する『遊牧民から見た世界史』

    中国がなぜ中国かというと、世界の中心を意味するから。 中国皇帝が世界の真ん中にあり、朝廷の文化と思想が最高の価値を持ち、周辺に行くにつれ程度が低くなり、辺境より先は蛮族として卑しむ華夷思想が根底にある[Wikipedia:中華思想]。 しかし、蛮族とされている遊牧民から見ると、舞台はユーラシア全体となる。遊牧生活によって培われた軍事力で圧倒し、スキタイ、匈奴の時代から、鮮卑、突厥、モンゴル帝国を経て、大陸全域の歴史に関わる。中心と周辺が反転し、中華は一地域になる。 視点を反転することで、いままで「常識」だと考えてきたことが揺らぎ、再考せざるを得なくなる。歴史を複眼的に眺めるダイナミズムが面白い。『遊牧民から見た世界史』は、その手がかりを与えてくれる。 「モンゴル残酷論」の誤り たとえば、「モンゴル残酷論」これは誤りだとする。 モンゴル帝国といえば、暴力、破壊、殺戮というイメージが付きまとう

    辺境と文明が逆転する『遊牧民から見た世界史』
  • 「感染する自由か、監視された健康か」というレトリック『現代思想5:感染/パンデミック』

    「健康」という言葉には色が無く、中立的な善のように見える。 しかし、誰も反対しない中立的な言葉からこそ、先入観や政治色を押し付けることができる。無条件に「よい」だと認められるからこそ、レトリックに気づきにくい。 たとえば「感染する自由か、監視される健康か」と迫られるときには、そのレトリックの向こう側を考える。わたしは、二者択一を迫るメッセージには、無条件で警戒している。あるはずの他の選択肢を覆い隠してしまうことを、恐れている。 情報が近すぎるし、早すぎるから、立ち止まって吟味したい。 LINEによる健康調査 引っ掛っているのは、LINEの健康調査だ。 厚生省による新型コロナ対策のための調査として、LINEを用いたアンケート調査がある。5/1より複数回にわたって行われ、わたしも回答している。 立ち止まって考えたいのは、これが大きな議論や反発がされることなく、なんとなく受け入れられているように

    「感染する自由か、監視された健康か」というレトリック『現代思想5:感染/パンデミック』
    maturi
    maturi 2020/05/16
  • 致死性ウイルス感染症が日常を浸食するプロセスを描いたSF

    もし、致死性ウイルス感染症の封じ込めに失敗し、パンデミックになるとしたら、それはどのようなプロセスをたどり、わたしたちの日常生活に、どう見えるのか? テレビやネットの情報は、日常の観点が少ない。 せいぜい、手洗いうがいの励行を促されるぐらい。緊迫した現場や、人種差別的な言動を目にして、不安だけは募るのに、この事態が進行していくと、わたしの日常をどうなっていくのか、想像するのが難しい。 では、最悪の場合、わたしたちの日常は、どうなっていくのか? 最悪が浸する日常『復活の日』(小松左京) 小松左京『復活の日』が、参考になる。 生物兵器として開発されたMM-88ウィルスを搭載した小型機が、冬のアルプス山中に墜落する。やがて春を迎え、ウィルスは爆発的な勢いで世界各地を襲い始める。未知の致死性ウイルスに、人類はなすすべもなく倒れてゆく―――というお話だ。 小松左京は、日常が浸されてゆくプロセスを

    致死性ウイルス感染症が日常を浸食するプロセスを描いたSF
  • 物語に感動するとき、その力はどこから来たのか?『物語の力』

    物語に魅了されるということは、どういうことか。「感動した」「心が震えた」と手垢にまみれた言葉があるが、その心を震わせる力はどこから来たのか? これが書のテーマになる。 「心を震わせる力=物語の訴求力」として、どのようなときに訴求力が発生するかについて、物語論の研究成果を解説する。書では詳細に分けているが、ざっくり以下の場合になる。 回復と獲得の物語:自分が直面する問題に対する解決や、到達したいと願うゴールへの筋道が描かれているとき 疎遠と帰属の物語:自分とは異なる価値観が提示され、自分の価値観が揺さぶられるとき 物語の役割 小説映画における物語は、現代では消費されるものという意味合いが強いが、昔からの神話や民話の役割を担う側面もある。それは、物語を通じた、価値観や規範の伝達だ。 物語では、何か問題を解決したり、何かのゴールへ向かって進む。その背景にあるものは、「これは良くない状況であ

    物語に感動するとき、その力はどこから来たのか?『物語の力』
  • 運が通れば道徳は引っ込む『不道徳的倫理学講義』

    たとえば、高速道路に「たまたま」飛び出した人をはねて死なせてしまったとする。ドライバーは「注意して運転していれば避けられたはず」として、過失の度合いが図られる。 あるいは、通勤中、「たまたま」通り魔に襲われたとする。「過失」を無理やり探すなら、その道を選んでしまったことになるのだろうか。 この「たまたま」が厄介だ。 それまでの善行・悪行に関係なく、「たまたま」悪い目に遭う。悪い結果になっていないのは、偶然に過ぎないのに、結果が「たまたま」悪ければ、悪い原因が遡及される。 理想の世界では、善人には報酬が、悪人には報復が与えられる。災厄に見舞われた人には埋め合わせとする幸福が与えられる。 だが、現実は違う。善悪と幸不幸が同期しない。現実は、むしろ運に左右される。そのため、善悪を語る場から、運を排除しようとする。 宗教や神話は、「神意」や「天命」と呼ばれる神の意志=運命を取り入れ、前世や来世の因

    運が通れば道徳は引っ込む『不道徳的倫理学講義』
    maturi
    maturi 2019/08/26
     いんがおうほう
  • 『会計が動かす世界の歴史』はスゴ本

    シャーロック・ホームズの金銭感覚や、ダーウィンの資産活用から、会計と革命の意外すぎる関係、複式簿記から解き明かす知性の進化など、歴史を縦横に行き交い、ミクロからマクロ経済まで自在にピントを合わせながら、人類の歴史を損得の視点から紐解く。 パッケージから、最初は「簿記の歴史」や「会計の世界史」という印象を持った。だが、書の焦点深度はもっと広い。そして、めちゃめちゃ面白い。これは、お金と人との関わり合いをドラマティックに描くだけでなく、それを通じて「お金とは何か」ひいては「価値とは何か」についても答えようとしているからだ。 「お金」が人を作った? 誤解を恐れずに言うと、「お金」が人を作ったといえる。 逆じゃね? と思うだろう。壱万円札を作ったのは人だし、その紙に「壱万円分の価値がある」(ここ重要)と信じているのは人だから。なぜ壱万円に壱萬円分の価値があるかというと、壱萬円の価値があるとみんな

    『会計が動かす世界の歴史』はスゴ本
    maturi
    maturi 2019/02/10
    http://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/27568 ルートポート ダイアモンドオンライン