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ブックマーク / k-natsuba.hatenadiary.org (56)

  • 第六回クリスマス声ヲタ会議 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    毎回名前の変わる、「クリスマスに声ヲタで集まってその年その女性声優の仕事でどれがよかったかを決めるイベント」が今年も行われました。 参加者はid:hokusyu、id:thir、id:gcbbs、id:UTSURO、id:kt-2007、ロサ。 まずは部門賞。 声優アニメオブジイヤー 屍鬼 声優は数だよアニキ。というわけでもないが、バランスよくいろんな声優を配置できたのは人数の多さあればこそでしょう。 スカイツリー賞 世紀末オカルト学院 出た声優は大体これがオブジイヤーという質の高さに。 エアオブザーバー記念賞 アマガミSS すごくよかったのだけれど今年から始まったタイトルじゃないしなあ、というところで、この謎の賞を。 MVP 花澤香菜 質と量が兼ね備わってどれが一番ともいえない声優に贈られる賞です。一番良かった声優と言うことではないのだけれど、まあそう言ってしまってもいいくらいにはなにも

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  • エロゲーにおけるセカイ系とは - 帰ってきたへんじゃぱSS

    セカイ系とはポストエヴァンゲリオン症候群のことだ、と言ったのは宇野常寛であり、そもそもぷるにえブックマークで提唱された時から、セカイ系とはエヴァ以降の、という問題意識がその根底に据えられていた概念だったはずだ。 超然主義的セカイ系論は、まずもって多様な方向の模索されたポストエヴァ的想像力*1が三大セカイ系*2的セカイ系へと収斂していく過程*3のダイナミズムを捨象してしまっており、セカイ系が来持っていた最も美味しい部分を失った、絞りかすだけを問題にする退廃的な態度であり、従って、ポストエヴァ性という時代的・文脈的制約を外したセカイ系論はすべて無価値であると言ってそう大きな取りこぼしはない。 このような切断を積極的に進めた笠井潔が一方で有栖川有栖のパズラー超然論を批判し大量死/大量生理論に拘って見せた、時代的・文脈的制約をこそ重視して見せたのは解せないのだが、バズワードをきっちり自分の守備範

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  • コンテンツ文化史学会第2回例会『ライトノベルと文学』@芝浦工大豊洲キャンパス - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://www.contentshistory.org/2009/09/14/528/ 行ってきました。 ・大島丈志「ライトノベルにおける日近代文学の受容」 『文学少女』と『半分の月がのぼる空』の宮沢賢治引用からライトノベルと近代文学の関係を考える、と言った発表。 発表者は文教大学教育学部国語専修、千葉大学の文学学士で千葉大学大学院博士。 http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901032935816600 所属学会を見るに国文学畑の児童文学研究者、といった位置づけか。 セカイ系に言及するに当たってぷるにえブックマーク*1を参照しない論は悉く無価値、という基準が俺の中にはあるのだけれど、冒頭、『銀河鉄道の夜』はセカイ系か否か、『半月』はセカイ系か否かを大変粗雑な手つきで論じる*2あたりからもう悪い予感は大爆発。 『文学少女』と『半月

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  • 『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    『シムーン』BD化交渉支援のつもりで書き始めたエントリだけれど、結局間に合いませんでした。なので、せめて翠玉の日に。しかも9月第四月曜深夜と言う緩さで。深夜? 要はかのオタ軽10のもっとヒドいような奴です。 『エヴァ』放映終了後の96年4月から『ヱヴァ序』公開開始の07年9月、ということは実質07年7月クール放映開始までの期間の、これを外す奴とは親しく付き合えないという作品を十選んでみました。基準は、『エヴァ』以降の問題意識をどれだけ引き受けているかと、『ヱヴァ』への道均しをどれだけ終えているか。 なんというか、客観性なんぞはあるわけはないのですが、少なくとも俺はこういうことを考えながらこの15年、アニメを見てきたのです。 笑えばいいと思うよ。 機動戦艦ナデシコ(1996年) 『エヴァ』以降の流行りモノ、と思われているものは、大体は『ナデシコ』が準備していた、というのは、これはアニメ史的

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  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    何故か、氷川へきるさんとご一緒する機会を得る。 蒲田の飲み屋で気付いてみたら8時間も色々語らっていたのだけれど、その中で氷川さんが強調されていた、はてなキーワード直しておいてよ、とまで言われたのは、「自分はあずまきよひこのフォロアーではない」、ということでした。 「女の子ばかり登場するギャグマンガを『あずまんが大王』以前から自分たちはやっていた。あずまさんはそこにあとからやってきた。その後自分たちが編集者に相手にされるようになったのは『あずまんが大王』があったおかげだとは思うが、フォロアーではない」というような趣旨。なるほど、と思う。 そんな理由で『あずまんが大王』のキーワードを編集しておきました。

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  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    最近のいろいろ。 また転びました。 右ひざ半月版損傷による膝抜けで。この前飛んだときにやってたっぽい。 しかし人は外傷どうでもいいが筋肉関節骨格にヤベエなんか来てる、という感覚をなかなか理解してくれませんね。ただの擦り傷のほうばかり心配される。 えー。 三上小又『ゆゆ式』asin:4832277944 かくのごとき作品の存在自体がまさに忌々しき事態であります。いわば萌え四コマの『Sense Off』。どの辺が? 考えすぎGirlsが大挙登場するところ? 成瀬の立ち絵のパーカーのざっくりした皺におおって思わされたような意味で地味に絵がうまいところ? ジャンルの成立する条件が人物の指向性と人物同士の関係性にあからさまに骨絡みになっているところ。 情報処理部という空間が三人、ことに縁によって極めて意識的に維持されていることを描き出している。縁が幼馴染の唯との間にゆゆこを敢えて挟んでいることにまさ

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  • [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ

    んーと。 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20061109/p1 奈須きのこよりも桑島由一・ヤマグチノボルあたりのほうがライトノベルとエロゲの越境者としては重要かと。挿絵描きに関しては竹井正樹あたりからもう越境してますね。 三重の『カナリア』ショック、ということを俺は常々言っているわけですが、もう一回繰り返しておきます。桑島由一・ヤマグチノボル・片倉真二という『カナリア』のメインスタッフは、テキストサイト華やかなりし頃のスーパースターであって、その彼らが揃ってエロゲーを作った、という、これが第一のインパクト。それから、出演声優陣*1が、エロゲに出ようとは到底思われないような面々*2であったのが第二の衝撃。そして第三のショックは、そのエロゲのノベライズが角川スニーカー文庫から出版された事です。なお、エロゲがノベライズされる、というのも結構ショッキングな出来事だった

    [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ
  • 帰ってきたへんじゃぱSS 「ストロベリー・パニック!」3

    “文学少女”と繋がれた愚者 (ファミ通文庫) 作者: 野村美月,竹岡美穂出版社/メーカー: エンターブレイン発売日: 2006/12/25メディア: 文庫購入: 10人 クリック: 90回この商品を含むブログ (304件) を見る 『友情』の読み筋があんまりにも俺と違って驚いた。 志賀直哉といえば日近代文学史上に名高いアレな人、ナチュラルにノー屈託に傲慢なイヤな人なわけで、大宮のモデルがどうも志賀らしい、という時点で大宮なる人物の解釈が、ほれ、アレじゃん? 裏で野島をものすごく見下していたに違いない、と思えてくるじゃん? 杉子も野島をキモがっているだけだしね。この二人がくっつくに当たって葛藤があった、という確証はどうしたって得られない、というか、そのように言い繕った原稿を見せ付けられるだけ。ここにある種の表現者特有の残酷さ、を見出すことは不可能ではないだろう。友情を裏切ったことも、創作の

    帰ってきたへんじゃぱSS 「ストロベリー・パニック!」3
  • 2005-08-28

    違う話。 http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20050824/p3 http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20050828#p1 ハイスペック人間とロースペック人間の確執、と言えば『北斗の拳』のユダ編だと思うわけです。 美に拘るけれど結局頬骨出過ぎなユダ、南斗の歴史で最も華麗な技を持ち女装まで違和感なくこなしてしまうレイ。 もうなんかどう転んでもユダははなっから負けている。それはあのレイの試技を見て逃げ出してしまうシーンで明示されるわけだけれど、それ以前に初登場シーンからなんか美とか言ってるけどキモイ、てのがぱっと見で分ってしまうわけです。いや、ボーイ=ジョージの似顔絵なんですが。 あんな顔だから美に拘ってしまったのだろうけれどあんな顔だから拘った美には裏切られるしかなくて、そんな辛い人生を送ってきたんなら六星の平和を乱すのもやむをえん

    2005-08-28
    megyumi
    megyumi 2008/12/27
    >俺が『ネギま!』にはまりきれないのって結局絵の弱さだよなあ
  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    id:crow_henmiにお前らは陰でグチグチ言うだけでヒキョウだ言いたいことがあるんなら堂々エントリ立てろと煽られた気がしたので書いておくことにします。 http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080925/1222318237 イデオロギーは現実認知をゆがめるという見オタク中心に売れた作品はオタクの願望充足のために作られた願望充足的ソフトポルノだ。 現実逃避は否定されてはならない。 というイデオロギーがあって、そのために目前にある作品がどうであるかについての認知が大いに歪むという。 いや、ひょっとして作品は目前にはないのかも知れない。2ちゃんやふたばで拾ったコラしか見てないのかも知れない。ないと思うけど。 具体的に。 「オタク」的な心性を持つ人が「かわいい人形」を愛でる、しかも「マスター」と呼ぶ。こういう萌え萌えな設定や、無条件の愛を注ぐ姉とい

    ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS
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    終了番組まとめ。 ストライクウィッチーズ え、ネウロイの謎は? 二期を待て! ですね、わかります。 二期を待たすにはあまりよろしくない構成な気がするわ。だってネウロイを撃たなかった芳佳の行為と最後の母艦やっつけるのの話がつながってねえんだもん。 思春期防空隊、というジャンル。 思春期の少年少女/少年/少女だけが空を飛べる、彼らだけが”敵”と戦える、という世界観の作品のことね。 『シムーン』とか『トップ2』とか『スカイクロラ』とかこれとか。 なんかなにかあるジャンルな気がしているのだが起源がどこだかよくわかんないんだぜ。 マクロスF 中盤以降、「バサラはそんなこと言わない!」を連呼する祭りだったわけですが。 バサラなら、イヤなら歌わない。 バサラなら、プロだからとか言わない。 バサラなら、18話でアイくんに歌わせ23話でグレイスとレオンに歌わせている。 宇宙クジラよりはバジュラのがまだしも話

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  • 2008-09-24 -[偽史199X]僕は冬彦さんじゃないんですよ!- 帰ってきたへんじゃぱSS

    1990年代のフィクションにおける精神分析・心理学ガジェットの大流行の発端は、1991年6月日公開の映画『羊たちの沈黙』であり、国内の作品で言えば1992年のドラマ『ずっとあなたが好きだった』で取り沙汰された、マザコンの語であろう。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』の邦訳も1992年。ロバート・レスラーの著書が日に紹介され、プロファイリングの手法が広く知られるようになるのは1994年。このようなブームの総決算とも言うべき「マーダー・ケースブック」の刊行は1995年10月からで、『羊たちの沈黙』の構図に回帰した『沙粧妙子 - 最後の事件 -』も1995年。 「トラウマ」「コンプレックス」「サイコパス」「多重人格」などのおどろどおろしい術語は、『新世紀エヴァンゲリオン』以前に、市民生活を脅かすモンスターの存在原理として既に広く受け入れられていた。今読めば「ああ、綾波なのね」と言

    2008-09-24 -[偽史199X]僕は冬彦さんじゃないんですよ!- 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 秋田禎信『誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない』 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない 作者: 秋田禎信,中川いさみ出版社/メーカー: サンクチュアリパプリッシング発売日: 2008/04/01メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 37回この商品を含むブログ (30件) を見る サブカルチャー的想像力では、就職の問題系は、「既にしている」状態と「まだしていない」状態のどちらかが描かれるのみで、その過程はブラックボックス化されていた、と言っていいと思うのだけれど、その就職に真っ向から切りかかった問題作。 出てくる企業や人物はみな奇矯で理不尽で、いかにも秋田という面白さなのだけれど、この奇矯で理屈の通じない感じは実は現実に存在する企業体にも多かれ少なかれ存在しているものであって、理不尽に理不尽にも踏み込まされることで決定的な変質を被るという就職活動の通過儀礼性をよく描き出しているとも言える、ある意味生真面目な作

    秋田禎信『誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない』 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 声優批評入門 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    主宰のthen-dさんより転載の許可が出ましたので、then-dさん編集の同人誌Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』に寄稿しました文章をここに公開します。 then-dさんのウエブサイトはこちら↓ http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/ なお、『永遠の現在』は残部僅少の由。慌てて通販に走るよろし。 (ついき) 当時から残ってた誤謬を潰したお。 (ついき) 通販はもうないそうです。次のイベントでお買い求めください。*1 参加イベントは 評論系オンリー同人誌即売会「TokyoBookManiax」(10月12日(日))「GameDeep」に委託 コミックマーケット75(12月30日(火))「theoria」 とのこと。 「声優批評入門」 夏葉薫 序 稿の目的は、ギャルゲーとは質的な隣接関係にありながら、その存在を活字メディアからもブロゴスフ

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  • 秋田禎信『RD 潜脳調査室 Redeemable Dream』 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    RD 潜脳調査室 Redeemable Dream 作者: 秋田禎信,士郎正宗出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/08/05メディア: 単行購入: 2人 クリック: 24回この商品を含むブログ (32件) を見る TVアニメと同じ舞台、やや前の時間軸での事件を描くスピンオフ。なので波留さんはまだ寝てます。 仕事に対してどのように情熱的であれるかについてのお話。凝り性(アーティスト)と中毒の二人のダイバーの生き様が、リアルとバーチャルの境目、自己同一性などなどのいかにもなテーマを絡めて描かれる、いまどき至極真っ当で良質なサイバーパンク。 バディっていうんじゃなんだけど、同僚に対するリスペクトが普通に存在していてよい感じな人間関係の職場だと思いました。 不満を言えば、上山弟によるムチムチな挿絵がついてなかったことくらいか。

    秋田禎信『RD 潜脳調査室 Redeemable Dream』 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 2008-07-02

    熱はほぼ引いた。 美瑛に行ったことは殆ど*1ないのだけれど、北海道の景色そのものにはそれなりに馴染みがある身からすると、知っているものがアニメの中に出てきた、というだけでたまらなく心地いい。上川だけじゃなくて北空知も綺麗だよ。ビジュアルな表現の喜びってまずはそういう、俺の知ってるものがここにある、というところにあるわけで、その意味でこの写真とみまごうばかりに書き込まれた背景は成功だと思います。 ロングのfixってのはつまり景色を見せてやりたいってことであって、あとは最低限の説明として人物の表情がクローズアップされる。その中間にあるものを描くつもりがあまりないという、いまどき珍しいくらいにセカイ系な絵作り。 あとは今花澤香菜に花澤弁で喋らせたらそら可愛いに決まっていて。それはそうと、花澤香菜には恐らく標準的な北海道人のスピードで話すことはできないような気がする、なんとなく。そんな早口で喋られ

    2008-07-02
  • true tears - 帰ってきたへんじゃぱSS

    美しく敗北せよ。 ■ 一番俗っぽく言うのならば、独立独歩の立派な不思議ちゃんがアート系バカボンに引っ掛けられて捨てられてちょっと大人になる、というシンプルなお話。『天夢航海』の「まわっていく流れ」とか大好物なので個人的には無問題ですが。 邪気眼的または中二病的な思春期の衒いと驕りを殊更に見下すよりはそれはそれでありかななんて軽く髪をなびかせてみたい向きなので、これはいい青春の甘い記憶と苦い痛みの物語ですねと言う。 すなわち、少女と少年の問題系。 敗北主義者の苦くてタフなサバイバル。まっことトレーズ様って結局何、というのがこの15年のアニメの主題だったのであるなあ。 ■ ギャルゲーのアニメ化はわりと必然的に、女の子の失恋モノになります。わりと。 http://d.hatena.ne.jp/imaki/20041118#p1 ■ シムーン脳をガンガン回して言えば、『true teaes』とは『

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  • アニメの四竦み - 帰ってきたへんじゃぱSS

    俺の観察によれば、作画マニアは声優、声ヲタはプロモーション、プロモーションヲチャーは文芸、文芸派は作画でアニメが売れると思ってしまいがちである。という四竦みはちと綺麗すぎるわけでは無論あってややこじつけの感がぬぐえなくはないのだけれど、作画マニアが声優でアニメは売れる、と主張している現場には幾度か行き会ったことがあるし、心ある声ヲタたちにとって声優の良し悪しがアニメの売り上げに大きくは関与しないことは常識であり、であれば現代社会の常識として売り上げの決定要因として広告展開を持ち出すのも声ヲタの習い性、お話が面白くないと、と主張するプロデュースサイドの人間、お話が破綻しているのに絵が綺麗なだけのアニメが売れていると主張する物語重視タイプのオタクにも心当たりがあるのでまあ、そんなに外してもいないのだろうとは思っている。 無論、これはアニメの作品としての寿命をかなり致命的に左右するアニメの売れ行

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  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    ともよちゃんに先に書かれた。 http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20080522 例えば、タイトルを2分割して別途有料で販売するなんてのは忠誠度を下げるだけだ。信者というものをまるで判っていない。 とまあ、そんなわけで『醜悪祭』商法のはなし。 商法としては下の下、というのはともよちゃんの書いている通り。なんだけど、多分、そもそもこの件の背後には、商法と称されねばならないような何者かの意志は働いていないのではないか、と思うのですよ。 なんせ、誰も得をしていない。むしろ損をしている。ナントカ商法と世に言うものが成り立つのって結局誰も損引いてないからで、掴まされたファン、信用失った編集部、薄いしか出せず印税少ししか入らずしかも不調のところに批判を加えられた作家とみんなが損こくような商法なんてありえないわけです。 三者ともに何

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  • 藤村歩語り 2008-05-04 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    バーチャルネットプティスールevatakaたん2X歳が藤村歩語りがプチブームだ、と言っていたhttp://d.hatena.ne.jp/evataka/20080504#p1ので、集めてみた。基はてな。村シャカイのニンゲンだからな。ところで俺は遠藤綾は無論エロ高貴だとして、今期は黄金世代最後の大物・升望がいいと思うんだ。あと新井里美。 http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20080414 とにかくハイテンションな演出で、凶華様がひたすら喋って喋って喋り倒す。藤村歩への依存度が極端に高い作品だ(笑)。 moonphaseの人らしい無難なまとめ。 藤村歩に具体的には依存しているが、同じスピード感の出せる声優ならばそれなりにこの作品は成立するだろう、という視点はあまり忘れたくはないところ。それがマシンガンが出世につながりにくい理由だし。 http://keieswo

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