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軍事と災害に関するminaraiのブックマーク (5)

  • 自衛隊の体験入隊に行ったら大変なことになった。

    へたれ @Hetare_wexy 今回、2/27-3/2までの期間で自衛隊体験入隊、その後3/3-3/5までの期間で東北地方の自衛隊慰問へ行きました。 へたれ @Hetare_wexy きっかけはたいしたことなくて、戦車に乗れるとかスキー訓練が出来るとか聞いて面白そうじゃんwwwってノリでいったんよ。そしたら予想以上のことだったわけで...

    自衛隊の体験入隊に行ったら大変なことになった。
  • asahi.com:ピースボートと陸自タッグ 女性用品を配布-マイタウン宮城

    石巻市で5日、陸上自衛隊と国際交流NGO「ピースボート」が共同して被災者に救援物資を配った。難民キャンプ訪問や対人地雷撤去運動などもする同団体と陸自が組むのは初めてという。 配ったのは2トンの生活用品。女性用下着や生理用品もあるため、陸自が女性ボランティアの多いピースボートに協力を呼びかけた。 青いゼッケンをつけたピースボートの女性8人が被災者に応対し、迷彩服姿の陸自隊員はトラックからの物資補給役と、初めは分業。女性たちが応対に追われ始めると、隊員も中に入って手伝った。 陸自の石場達也3佐(51)は「うちも女性隊員がいるが、あちこちの部隊から引っ張ってこないと、数がそろわない。助かります」。ピースボートの浅井美絵さん(31)は「こういう事態じゃなきゃ実現してませんよね」と笑っていた。7日にも同市で協力して支援物資を配る。(伊藤智章)

    minarai
    minarai 2011/05/10
    冗談と思ったらマジだった。ほええ・・・
  • 【軍事情勢】米軍将校も疑問の「逐次投入」 自衛隊、異例10万人動員の舞台裏+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    ≪首相補佐官に自衛隊将官を任用せよ≫ 懇意の米軍将校から質問された。 「東日大震災の渦中に、日に害意を抱く国家が侵攻もしくは特殊作戦部隊・工作員による騒擾(そうじょう)を敢行した際の防衛計画は当然、立案済みと思料する。が、大震災に自衛官10万人も動員して対処できるのか」 確かに、全自衛官の半数を大震災とはいえ非有事に関与させている現勢は、軍事合理性に照らし極めて異常な事態だ。「兵力の逐次投入」という、兵法の最下策を勘案しても、だ。自衛隊の名誉にかけて、きちんと説明した。尋常でない10万人動員 「自衛隊最高指揮官・菅直人首相(64)の単なる大向こう受けを狙ったパフォーマンス=思い付き。動員は元々、大災害時の動員計画を立てていた自衛隊側の積算に依(よ)っていない。従って交代もままならない」 利敵行為になるので詳述できぬが「仮想敵正面」でさえ「かなり」割き、各地に割拠する「偉い自衛官」まで軒

    minarai
    minarai 2011/04/25
    地震と一番無縁な九州総局長の記事。政府を完全肯定する気も無いけど、この記事は酷過ぎる
  • 静かに立ち去った米軍

    [仙台空港で瓦礫を片付ける米軍兵士] 《Update 4:Answering the Call》 《Update 3:災害派遣の現場》 《Update 2:フィールドデー作戦》 《Update:Thank You USA》 巨大地震・津波で破壊された仙台空港が4月13日[水曜日]に再開した。 たった一か月で再開にこぎ着けたのは驚異的だ。この復旧活動を実質率いた米軍の活躍について NY タイムズが報じている。 NYTimes.com: “Quietly, U.S. Troops Help Japan Reopen Sendai Airport” by Martin Fackler: 13 April 2011 *     *     * 米軍は残っていなかった・・・ 4月13日[水曜日]東北最大の都市仙台の空港から民間機が飛び立った。3月11日の巨大地震以来始めての民間機だった。しかし空港が

    静かに立ち去った米軍
    minarai
    minarai 2011/04/15
    在日米軍に限らず、各種支援援助してくれた国・地域・組織がものすごい数って事を忘れちゃいけないよなぁ
  • 阪神・淡路大震災と自衛隊 part1 - リアリズムと防衛を学ぶ

    阪神淡路大震災は多くの人々にとって忘れ得ぬ災害です。あまりにも衝撃的な、あまりに悲惨な出来事でした。拙ブログで先日掲載した記事「なぜ災害時に軍隊・自衛隊が活躍するのか?」で、頂いた反響の多くが阪神淡路大震災の際のエピソードに関心を寄せられたものでした。 今回から4回に分けて、阪神淡路大震災における災害派遣について書きます。今回は、震災発生直後の即応体制焦点をあてます。その朝を、政府は、自治体は、そして自衛隊はどのように迎えたのでしょうか? ○ 午前5時46分 「1995・01・17・05・46 阪神大震災再現 」には、被災したさまざまな人の声が記されています。その中の1つは、例えばこのようなものです。 「ゴー」という音と同時に天井が落ち、階上の冷蔵庫やなべが落ちてきた。しゃがんだままの状態で生き埋めになった。 「助けて」と三〇分近く大声で叫び続け た。近くに住む若者に助け出されたが、家の物

    阪神・淡路大震災と自衛隊 part1 - リアリズムと防衛を学ぶ
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