日航機墜落事故/日航123便が操縦不能となり、迷走の末に群馬県の山中に墜落。乗員乗客524人全員の生存が絶望視された。しかし、翌日午前に川上慶子さん(12歳=当時)をはじめ4人が救出される。作家・山崎豊子氏はこの事故をモデルに『沈まぬ太陽』を著した お盆入り前日、観光客、帰省客で満席だったジャンボ機は、離陸から44分後に墜落する。乗員乗客524名のうち生存者は4人。この悲劇を風化させてはならない。事故直後に現場に駆けつけた3人の証言。 現場はどこだ!? 米田憲司 昭和60年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出し、4名が重傷を負いました。犠牲者には歌手の坂本九さんもいました。単独機の航空機事故としては史上最悪で、早いものであれから32年目の夏を迎えます。