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大学院と大学に関するmittyuのブックマーク (2)

  • 研究は失敗するのが当たり前 - 発声練習

    私のボスが最近言った言葉「研究は失敗するのが当たり前。たくさんの失敗の中からたまに成功が見つかる。」 はてな匿名ダイアリー:毎日死ぬことばかり考えている僕のような人間が自殺するんだと思うを書いた人は専門家の助力が必要だよ。大学院生なら大学の保健センター、会社なら産業医のところへすぐに行きましょうよ。 追記 この書き方だと「研究」という行為自体が失敗するように思えてしまうので訂正。ハーバード大学医学部留学・独立日記:常に暫定的な答えがあると考えた方が生きやすいとハーバード大学医学部留学・独立日記:暫定的な答えとしての納得解は言葉のイノベーションでかかれているとおり、まず、仮説をたて、その仮説に基づいて情報を収集し、次に仮説を検証するという行為を繰り返してちょっとずつ前進するのが研究行為の通例です。 「失敗するのが当たり前」はこの「仮説をたて、その仮説に基づいて情報を収集し、次に仮説を検証する

    研究は失敗するのが当たり前 - 発声練習
    mittyu
    mittyu 2009/04/15
    その通りなんだけど、それを分かってても動けない人には動けない理由があると思う。どうしたらいいのかは分からないのですが…
  • 大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Contax T2 @Sterling Hall of Medicine, Yale University この間の「人を育てるラボの特徴」というエントリについて、ブクマコメントで頂いたこと、 >大学院教育において、どうなったら「人が育った」と評価できるのか、その基準も合わせて教えていただけると嬉しいかも。「研究を進めるための実務的な能力」が身についたということでO.K.?(pollyannaさん) について少し考えてみたいと思う。 これって「大学院教育って(受け手側からすると)何のためにあるのか」という極めて重要な課題そのもの。深遠かどうかはこのエントリの後で考えて頂くとしても、大事なテーマであることは間違いない。 で、ここでは日の大学院と米国の大学院をちょっと分けて考えてみたい。前エントリにも少し書きましたが、私個人として、某旧帝大と某Ivy schoolの間で、ラボがどうというより

    大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
    mittyu
    mittyu 2008/10/28
    院生として、アメリカで育成されるような力が必要と感じ、手前の工夫でいろいろやってきた。しかし日本にはそれを「無駄な努力」「もっと実験しろ」と遮られる空気もある。これで世界レベルとか言ってる始末。
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