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問題です。以下の文章のまちがいをさがしなさい。(制限時間1分 初級編) 平和の道標 ここは平和の社杜です。 このお社は護国神社といいます。日本の平和と美しい山河や家族を護るために戦争で亡くなられた静岡県出身の約七万六千人の方々を、神様としてお祀りしてあります。私達が豊かな生活が出来るのは護国神社の神様のおかげです。神様は仲良しの子供が大好きです。「ありがとうございます」と感謝の心をもってお参りしましょう。 平成十一年三月吉日 静岡県護国神社 解説です。 「平和の社」ではありません。 護国神社は靖国神社を頂点とする国家神道の地方拠点でした。よって、境内には「軍神」に纏わる展示もあります。人を如何にして「納得して死に追い込むか」のシステムの一環です。到底平和の社、などと呼ぶ事は出来ません。 「日本の平和と美しい山河や家族を守るために戦争で亡くなった」わけではありません。 日本は自ら戦争を仕掛け
反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵本として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日本人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日本は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、
大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日本軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住本麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム
このところずっと八重山の戦争マラリアのことを調べている。陸軍中野学校のスパイが各離島に派遣され、軍命令で住民をマラリア猖獗地帯に強制疎開させた。亡くなった数じつに3647人。戦後補償を求めたら「マラリアで原因という証拠を見せろ」水俣と同じ、福島でも同じことが起きそうだ。
【ベルリン=工藤武人】第2次大戦末期、英米軍による空襲で壊滅的被害を受けたドイツ東部ドレスデンで13日、空襲から70年の追悼式典が行われた。 ドイツのDPA通信によると、空襲被害の象徴である「聖母教会」での式典には、市民ら1000人以上が参列し、平和を祈念した。 ガウク独大統領は演説で、「我々は、誰が戦争を始めたかを知っている。どんな時もドイツが主導した戦争の犠牲者のことを忘れてはならない」と戒めた。 ドレスデンは、バロック様式の歴史的建造物が残り、芸術の盛んな都市。空襲は、ナチス・ドイツの敗色がすでに濃厚だった1945年2月13日から15日にかけて実施され、少なくとも2万5000人が死亡、爆弾や焼夷(しょうい)弾などで約11万5000棟の建物が破壊された。 欧州での都市を標的にした無差別空襲の代表例とされる。ほぼひと月後の同年3月10日未明には、東京大空襲が実施された。 式典会場の聖母教
文献:1.日韓関係を記録する会編「資料・細菌戦」一晩聲社一 2.高杉晋吾「731部隊細菌戦の医師を追え」(徳間書店〕 3.常石敬一「医学者たちの組織犯罪」(朝日新聞社) 4.「日本伝染病学会会誌」、「京都大学70年史」
MIYAZAKI – A monument in the city of Miyazaki built to glorify Imperial Japan's occupation of Asian nations and later rededicated as the city's Peace Tower has been a source of local discomfort for decades. In 1965, authorities restored an Imperial-era slogan on the 36-meter stone tower, despite opposition from critics who felt it sent the wrong message. The four-character phrase is "Hakko Ichiu"
すでに多くの読者の方がご覧になった記事だと思いますが。 朝日新聞 2015年1月6日 「旧日本軍の偽札用紙見つかる 民間巻き込んだ製造裏付け」 「偽札」というなら、敗戦が不可避になって以降も発行された軍票なども良心的な当事者なら「偽札同然」だと認識していたでしょうね。紙屑になることは目に見えていたわけですから。 この偽札作戦が実際にどの程度の経済的な打撃を中国社会に与えたかはともかくとして、ただでさえしっかり認識されていない大日本帝国の戦争加害のうち、略奪や軍票の乱発に代表される経済的な加害というのはさらに過小評価されているように思います。 しかし占領地に暮らす特に貧困層の人々にとっては、経済的な収奪というのは直ちに命の危険に結びつくものです。その典型的なケースが大戦末期に現在のヴェトナムで発生した多数の餓死でしょう。餓死に至らなかったケースでも成長期に飢餓状態に晒されたために長らく健康被
日本が戦争へ突き進んだ昭和初期に川柳で反戦を訴え、当局に逮捕されて短い生涯を終えた鶴彬(つるあきら)(一九〇九~三八年)。その生き様をテーマとした演劇や映画観賞、講演会が相次いで企画されている。研究者らは、特定秘密保護法制定や集団的自衛権行使容認の閣議決定が強行された現代と当時を重ね「鶴彬のように沈黙しない勇気が必要だ」と声を上げる。 (杉戸祐子) 「日中戦争が始まるころ、草の根の文芸の広がりを絶とうとする『言葉狩り』が広まり、鶴彬も逮捕された。今、国は着々と戦争へと進んでいるが、大衆の表現を黙らせてはならない」。二十日に東京都文京区で開かれた講演会で、文芸評論家の楜沢健(くるみさわけん)さんは訴えた。
理由は簡単、圧倒的に国力の勝る国と戦争をして、いくら負けても降伏を許さなければ当然の結果として戦死者数が膨大なものになります。山本五十六は「負けるに決まった戦争するやつがいるか!」と言っていた。その「負けるに決まった戦争」を東條英機は「精神力があれば米英といえども恐れるに足りず」と始め、惨敗しました。 東條が出した戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」はもちろん御存知と思います。武器弾薬は欠乏し食糧もなくなって人肉食にまで追い込まれても、降伏して国際法が保証する戦時捕虜の保護を受ける事を禁じられていた日本兵は、死ぬのが目的の「バンザイ突撃」で倒され、あるいはジャングルの奥深くを文字通り死ぬまで彷徨して朽ち果てていきました。重傷者、重病人は自決を強要され、自決も出来ない重症のものは味方の兵隊に殺されました。戦記ものによく出てきますが、「死にたくない」と泣く戦友をこちらも泣きながら殺した、と。日
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