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コラムとアニメに関するmizu-odori_from1993のブックマーク (3)

  • 佐藤順一さんの本を作りましょう - 編集長メモ

    一昨日の取材の後に、佐藤順一さんに「佐藤さんのをつくりませんか」という話をしました。 のコンセプトは「追悼」です。誤解を呼びそうなコンセプトですが、まあ、半分はそのつもりなんです。勿論、佐藤さんはお元気であり、重たい病気にかかっているというような事はないんです。では、何故、追悼なのか。 先日のイベントも言ったけれど、できる事なら、誰かの追悼をつくったり、追悼の特集をやったりしたくないんですよ。だって、特集だって、ご人がお元気なうちにやった方がいいものができるのは間違いないんです。これもイベントで話したことですが、10年ほど前に小松原一男さんが亡くなった後で、僕はアニメージュで追悼特集の編集を担当しました。その時に、ああ、追悼特集なんてやるもんじゃなあ、特集をやるなら、ご人が生きているうちにやりたいと思ったんです。それで、今、亡くなられて「ああ、特集をしておけばよかった」と思

    佐藤順一さんの本を作りましょう - 編集長メモ
    mizu-odori_from1993
    mizu-odori_from1993 2011/07/05
    小黒さん(@animesama)のブログより。「誰かの追悼本をつくったり、追悼の特集をやったりしたくないんですよ。本だって、特集だって、ご本人がお元気なうちにやった方がいいものができるのは間違いないんです」
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第59回 つとむのこと

    飯田勉もいなくなってしまった。 誰のことだかわからない、という人も「飯田馬之介」という名前でならわかるのじゃないか。 だが、我々の仲間内では、誰も馬之介だなんて呼んでなかった。我々というのは例えば、はらひろしだとか、今では多摩美の先生になっている片山雅博、斎藤紀生、同業のアニメーション監督・郷みつる、角銅博之、それから出版業界の島谷光弘、さらにはなみきたかしだとか。 通夜、葬儀に集ったり、あるいはあまりに遠すぎて来られずメールでやり取りする中で、みんな「ウマノスケ」だなんて呼ばず、「勉」「つとむちゃん」「飯田君」といっていた。まだ「馬之介」でも「飯田監督」でもない、それどころか駆け出しのアニメーターにさえまだなっていなかった19歳、20歳の彼のことを知っていたからだ。葬儀場に飾られていた個人の写真何点かを眺める中にも、「ああ、これがいちばん勉らしいやね」と、口々にいっていたのが、1980

    mizu-odori_from1993
    mizu-odori_from1993 2010/12/06
    「マイマイ新子」の片渕須直監督 @katabuchi_sunao によるWebアニメスタイルの連載コラム。今回は飯田馬之介(つとむ)監督の追悼文。最後の三行を読んでジーンときた。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第419回 『うる星やつら』LD BOXを買った

    1987年くらいから、LDソフトを買うようになった。仕事するようになっていたので、収入があるにはあったが、LDは安価なものではないので、次々に買うわけにはいかなかった。OVAに関しては、サンプルビデオやレンタルで観て、内容を確認してから、どうしても欲しいものを購入するというかたちだった。 僕はアニメビジョンで仕事をしていた。アニメビジョンを製作していたのは日ビクターであり、日ビクターは、LDとライバル同士だったVHD側のメーカーだった。アニメビジョンもVHDソフトとしてリリースされていた。いわば、僕はVHDソフトを売る仕事をやっていたわけで(アニメビジョンには、VHDの販売促進的な意味もあったと記憶している)。LDソフトを購入するのが、日ビクターやVHDに対する裏切り行為のような気がして、躊躇していたというのもあった。 そんな僕が、LDで最初に散財したのが『うる星やつら』のLD BO

    mizu-odori_from1993
    mizu-odori_from1993 2010/07/31
    小黒祐一郎さんのコラム。「本当に馬鹿だなあ。だけど、馬鹿な事をやり続けるのがマニアの人生だ」という最後の一文に思わず頷く。しかし3話分しか見てないって…(^^;)。
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