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戦争に関するmkyuriのブックマーク (3)

  • 「(空襲から)逃げちゃダメだ!」

    http://anond.hatelabo.jp/20170116162327 リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山大空襲のことだろう。 それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月の空襲は市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言はネットでも複数読める。 で、だ。問題は ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。 というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮

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  • 婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

    今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、 戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、 当に熱心に動いてくれたらし

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  • 僕は、戦争を知らない - カメントツのブログ

    2016 - 01 - 07 僕は、戦争を知らない こんにちはカメントツです。 今回は、諸事情で原稿にならなかった「ネーム」を公開します。 なぜ原稿にならなかったかと言いますと企画が立ち上がりが2015年の終戦70年に「何か戦争に関わる企画ってできませんか?」と某出版社の方からお話があり 「でしたら戦争を体験をした人の話を聞いて漫画にするプロジェクトを立ち上げたいのですが、どうでしょう?」という提案と一緒に以下のネームを添付したのですが色々と折り合いがつかず企画が頓挫してしまいました。 もともと書籍のプロローグとして使うエピソードだったのですが、このまま眠らせておくのももったいないと思い思い切って公開します。 ほぼ1年前のネームなので読みにくい箇所恥ずかしい箇所多々ありますが…よければどうぞ! ↑追記:後に調べたところ焼夷弾って絵のような長いものではないそうです。 何か、昔見たの映画で槍の

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