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戦争とノーベル賞に関するmohnoのブックマーク (3)

  • 「国家補償していない」 田中熙巳さん、受賞演説で「予定外」発言 | 毎日新聞

    ノーベル平和賞を受賞した日被団協の(右端から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日午後1時28分、猪飼健史撮影 被爆者の立場から核兵器廃絶を国内外に訴えてきた日原水爆被害者団体協議会(日被団協)へのノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で開かれた。 日被団協を代表し、長崎で被爆して親族5人を亡くした田中熙巳(てるみ)代表委員(92)は受賞演説で、当初予定にない言葉を加える場面があった。 田中さんは1994年に制定された被爆者援護法に触れ…

    「国家補償していない」 田中熙巳さん、受賞演説で「予定外」発言 | 毎日新聞
    mohno
    mohno 2024/12/11
    ↓うん、「ロシアがウクライナに核兵器をぶち込んだら、その被害はウクライナ政府が補償すべき」って理屈になるよね。当人、それを理解してるかどうか分からないが。/報道がスルーするのかどうか。
  • 核兵器廃絶運動の課題: 極東ブログ

    2024年のノーベル平和賞は日の核兵器廃絶運動に大きな希望の光を当てた。しかし、その栄誉が果たして現実に即したものであるかどうかについては、疑問の声も上がっている。核兵器廃絶は確かに人類の理想であり達成すべき目標であるが、その過程において様々な団体がそれぞれの立場を持ち、運動はしばしば分裂と対立に満ちた歴史があったことは、現在日では忘却されやすい。この背景には、国際政治の複雑な駆け引きや核抑止力に対する日国内の多様な見解が存在する。 核兵器廃絶運動の歴史 核兵器廃絶運動は1954年の第五福竜丸事件を契機に始まった。米国のビキニ環礁での水爆実験により被曝したこの事件は、日国内における反核の機運を高めうことになった。1955年には「原水爆禁止世界大会」が広島で開催され、翌年には「日原水爆被害者団体協議会(日被団協)」が結成された。被団協は、広島・長崎の被爆者を中心に結成され、核兵器

    mohno
    mohno 2024/10/13
    「ウクライナのようにNATOによる核の傘を渇望している国もあり」←というか核兵器の管理をロシアに譲渡する代わりにロシアが独立を認めたわけだよね。そしてあっさりクリミアを持っていかれたわけで、どうしろと?
  • ノーベル平和賞受賞団体「市民を守る唯一の方法は軍しかない」 | NHK

    ロシアによる軍事侵攻からまもなく2年半となるウクライナでは、いまも、連日、激しい戦闘が続いています。ロシア軍の戦争犯罪を記録する活動を行い、ノーベル平和賞を受賞した人権団体の代表は「市民を守る唯一の方法は軍しかない」と話し、平和的な手段で侵攻を止められない現状への苦しい胸の内を明かしました。 おととしノーベル平和賞を受賞したウクライナの人権団体「市民自由センター」の代表で、弁護士のオレクサンドラ・マトイチュクさんが、先週、首都キーウでNHKの単独インタビューに応じました。 マトイチュクさんの団体では、ロシア側がウクライナの人たちに行ったとする暴力や性的暴行などの戦争犯罪を聞き取り、記録する活動をしていて、マトイチュクさんは「プーチンと、ロシア政治や軍事の幹部を侵略の罪で訴追するという歴史の前例を作らなければならない。将来の戦争を防ぐためには、現在の戦争を始めた国家とその指導者を罰する必要

    ノーベル平和賞受賞団体「市民を守る唯一の方法は軍しかない」 | NHK
    mohno
    mohno 2024/08/21
    「市民を守る唯一の方法は軍しかない」←戦争しないという約束で核兵器の管理をロシアに移転した後であっさりクリミアを持っていかれたウクライナが、他にどうしたら領土を維持できたんだろうね。
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