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歴史認識に関するmojimojiのブックマーク (4)

  • 歴史修正主義の手口について - 児童小銃

    表題について書こうと思ったのだけど既に議論されていた。 なにが歴史修正主義の問題なのかが未だに知られてない件 (思いて学ばざれば) 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 (Close to the Wall) 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 (Close to the Wall) これらにほとんど付け加える事はないのだけど、自戒の意味も込めて自分の言葉で簡単にまとめておこうと思う。 「議論の捏造」による「足止め効果」 ホロコースト否定論でもそうだし、南京事件否定論でもそうですが、過去に論破された主張をそのまま、あるいは微妙に変形して繰り返す、ということがよくあります。というか、この手の「議論」に遭遇したら8割か9割くらいの確率でそういうループ化した「議論」の一部だと考えて間違いないです、経験上。 こういうのは議論とは言いません。これが議論だというなら全ての

    歴史修正主義の手口について - 児童小銃
  • 「防衛隊」を「日本軍」の統制下にあるというのはゴマカシか?:イザ!

    「集団自決」について、沖縄の体験者の証言を欺くためにホンドでは驚くべき「子供騙し」がいま横行している。  それはこういうことだ。  渡嘉敷村では米軍の上陸直後の「村民は北山(にしやま)に集合せよ」という命令を、かなりの人が「玉砕(自決)命令」が出たと受け取ったらしい。その証拠に外は豪雨であるにもかかわらず、子供に晴れ着などを着せて北山に向かう家族も多かった。死出の旅装束であった。 そのように受け取ったのは、『もし米軍が上陸したら軍は最期の一兵まで闘い、婦女子は足手まといにならないように自決せよ』、と教え込まれていたから、当然のことだった。  手榴弾が配られたり、軍部隊から運ばれたりしたことは、島民にとっては「玉砕(自決)命令」をより確実視するものだった。北山(にしやま)集合を必ずしも「玉砕命令」だと思わず避難命令だと思って集まった人もいたが、手榴弾が配られるに至って、彼らも「玉砕命令」を

  • そのクリーシェはもう聞き飽きた - Apeman’s diary

    「Stiffmuscleの日記」さんの「夢のコラボ 秦郁彦氏と古森義久氏の対談」より。論壇の『ムー』こと『WiLL』10月号における、「バターン死の行進」についての秦郁彦の発言。 (…)もっとも「なぜ捕虜を車に乗せなかったんだ」と非難されても、護衛の日兵も歩いていた。日の兵隊は歩くのが文化なんです。 今の日人の若者が聞いても理解できないような文化的差異を、時代も国も違う人間が理解するのは難しい。だから時効という制度は人類の知恵なんです。 「歩くのが文化」ですと! 単に貧乏で工業生産力に劣るため軍の機械化が遅れてただけじゃないですか! それとも、全師団を自動車化するだけの生産力と予算はあったけど、「文化」ゆえに歩いていたとでもおっしゃるので? 実際、旧日軍の戦争犯罪の背景には多く日の貧しさがあると思われます。略奪は料を前線にまで送る輸送力が欠けていたのが一因ですし、工業生産が熟練

    そのクリーシェはもう聞き飽きた - Apeman’s diary
  • 宮台真司、河野談話と南京事件について語る(追記あり) - Apeman’s diary

    前々からPodcastの購読リストにはいれていたものの、あんまり聴いてなかった宮台真司のラジオ番組『週刊ミヤダイ』(http://www.tbsradio.jp/miyadai/)。3月2日放送分で従軍慰安婦問題(河野談話)や南京大虐殺について語っていると複数の方からご教示いただいたので聴きました。小室直樹の弟子を自称していて、ロッキード事件陰謀論に与するようなことを発言していたことから判断すると、予測可能な範囲に収まる発言でした。 発言のベースにある基的なスタンスは 事実に基づかない批判に対してはなんとしてでも反論しなければ、スティグマとして貼りついてしまう 旧軍の戦争犯罪をめぐる議論はとかく「ゼロか100か」になりやすい。そうじゃない議論をするための知恵が(双方に)足りず、日側の反論は「ゼロ」と主張しているように思われてしまう の二つだ、とみました。これは「反論するにしても、旧軍や

    宮台真司、河野談話と南京事件について語る(追記あり) - Apeman’s diary
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