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2005年8月27日のブックマーク (2件)

  • 栗原貞子:生ましめんかな - kitanoのアレ

    栗原貞子が3月6日に亡くなっていたことを知りました。 私にとっては“ヒロシマの怒り”を代表する母親的な存在の方でした。 ご冥福を祈ります。 こわれたビルデングの 地下室の夜であった。 原子爆弾の負傷者達は ローソク一ない暗い地下室を うずめていっぱいだった。 生ぐさい血の匂い、死臭、 汗くさい人いきれ、うめき声 その中から不思議な声が 聞こえて来た。 「赤ん坊が生まれる」 と云うのだ。 この地獄の底のような地下室で 今、若い女が 産気づいているのだ。 マッチ一ないくらがりで どうしたらいいのだろう 人々は 自分の痛みを忘れて気づかった と、「私が産婆です、私が 生ませましょう」と云ったのは さっきまでうめいていた 重傷者だ。 かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた。 かくてあかつきを待たず 産婆は血まみれのまま死んだ。 生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも… (栗原

    栗原貞子:生ましめんかな - kitanoのアレ
    mojimoji
    mojimoji 2005/08/27
    忘却の穴の淵に、思いがけず私たちが立つという経験。
  • http://homepage2.nifty.com/seiyu/monthly25.html

    毎週火曜日更新 大正期の高支持内閣 小泉政権発足直後の支持率はいづれも80数%と空前の高率を記録している。前回欄で私も「小泉氏に期待する」と述べたし、世間がこれを歓呼して迎えた理由もよく理解できるのだが、それにしても有権者の9割になんなんとする人々が支持する政権というのは尋常ではない。 空前と言ったが、こうした前例がないわけではない。例えば大正3年の第二次大隈重信内閣や昭和12年の第一次近衛内閣の発足時に現出した世人の圧倒的歓呼は、今回の小泉政権に比肩するものであった。 そこでこの連休は、とりあえず大隈内閣成立に至る明治末年から大正初めの政治史を読み直すこととにした。 この時期、第一次護憲運動、大正政変、シーメンス事件の経過の中で、当時政権を担当し得る4大政治勢力であった貴族院、政友会、陸軍、海軍のいづれもが政治的に傷つき、政権担当の資格を喪失していた。このため山縣ら元老たちは

    mojimoji
    mojimoji 2005/08/27
    小泉と大隈重信のダブり具合がすごすぎる