ブックマーク / hikarunoir.hatenadiary.org (25)

  • 2013-02-13

    東映さんのご招待で、「ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀」試写へ。「Star Trek Into Darkness」が控えているから、シリーズ一作目のロバート・ワイズをリスペクトしてというわけでもないだろうが、旧作「ヒンデンブルグ」でも有名な飛行船事故をよりリアルに再現。その燃えやすさから、以後作られなくなったのも至極納得の脆さが、冒頭のグライダー場面同様、全編に渡り危なっかしく怖かった。元はドイツテレビドラマを劇場用に再編集したものだが、「U・ボート」とは違って端折られたことで事故原因についての陰謀部分がよりミステリアスになってて、結果オーライではなかろうか。日じゃテレビドラマをこんな贅沢に作って流用することもできないから、まずはその驚異を讃えるべきだし、主役になじみはなくても、鉄板のステイシー・キーチや老けても美人なグレタ・スカッキなど、ハリウッド的キャストにも気を配っているのでキャス

    2013-02-13
    mokkei1978
    mokkei1978 2013/02/14
    「ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀」。"飛行船事故をよりリアルに再現。その燃えやすさから、以後作られなくなったのも至極納得の脆さが、冒頭のグライダー場面同様、全編に渡り危なっかしく怖かった。"
  • 2012-11-02

    プレシディオさんのご招待で「レッド・ライト」試写へ。「オカルト映画」とジャンルが呼ばれなくなって久しいが、あえてそう呼びたい。といってもジャンル自体にもかつては二つ傾向があって、「心霊系〜」に分類される作品は未だに根強いが、「超能力系〜」は絶えて久しかったと思う。まあ俺自身がそういうものを根的に信じてないので観て楽しめないのが大きいんだけど、これはそうした超常現象への懐疑を逆手に取り、「ラスト・エクソシズム」的な童心に帰らせてくれた。要するに能力の実在はともかく、12チャンの「金スペ」、テレ朝の「水スペ」、日テレの「木スペ」みたいな、テレビの古き良きいかがわしさに溢れた頃を思い出すサービスの大盤振る舞いなのだ。懐かしい匂いがするという意味では、「ムー」や「トワイライトゾーン」というより、テーマも絞られてる分、コロコロの「ザ・超能力」を思い出したね。なにしろざっと挙げても、交霊術、ポルター

    2012-11-02
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/11/30
    「レッド・ライト」。超能力映画。"テレビの古き良きいかがわしさに溢れた頃を思い出すサービスの大盤振る舞い"
  • 2012-10-16

    SPOさんのご招待で「ダーケストアワー」試写へ。9.11や震災を経たから、前触れも因果もなく世界が突然終わる物語こそリアリティを感じられるわけで、スタッフによる「『インデペンデンス・デイ』物語上の侵略直後」という着眼点は当を得ている。いきなりデーモンの無差別合体が始まるような、前戯なしの終末であり、その正体に余計な説明もない。要するに「宇宙戦争」、あるいは「スカイライン -征服-」や「世界侵略:ロサンゼルス決戦」といった流れの延長で、少ない予算で大終末乱発という傾向は個人的にありがたい作品。よって物語構造は、多くの犠牲に素人が少しずつカタストロフへのサバイバル知識を吸収し、活用するという、もどかしくも醍醐味となる定番で、あくまで侵略者の姿を見せないために気も抜けない。辛うじて判明するのが、どうも磁場形成によってエネルギーをうエネルギーという能力のみで畳み掛けるので展開も速い。さらに心眼で

    2012-10-16
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/10/26
    「ダーケスト・アワー」。"前戯なしの終末であり、その正体に余計な説明もない。"
  • 2012-10-04

    ファントム・フィルムさんのご招待で「その夜の侍」試写へ。あらすじがショーン・ペンの「クロッシング・ガード」に激似と思ったが、さすがにブコウスキーへの献辞も、石橋凌の出演もなく、より凶暴に日へのスライドに成功していた作品である。俺は観客に想像力で画面の貧困を埋めることを強いる舞台の芝居には全く興味がないので、これは常套的な演出なのかも知れないが、舞台出身の監督の演出は、「下物語」や「ボーイズ・オン・ザ・ラン」に通じる、コンビニや居酒屋などの固有名詞の連発による俗化で地に足が着いていた。さらに、元ネタでのデヴィッド・モースに対応するキャラを演じる山田孝之の、感性が麻痺することによってモンスター化する、ごくありふれた地方のロクデナシ(現実の激安犯罪の主人公)のリアリティが半端ではない。「ちゅらさん」における“恵達”への拒絶を人も行動で表明していたが、「クローズZERO」辺りまではまだ名残が

    2012-10-04
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/10/10
    「その夜の侍」。"山田孝之の、感性が麻痺することによってモンスター化する、ごくありふれた地方のロクデナシ(現実の激安犯罪の主人公)のリアリティが半端ではない。"
  • 2012-09-20

    ワーナー・ブラザーズさんのご招待で「アウトレイジ ビヨンド」試写へ。唐突なタイトル登場に対し、たけし(大友)登場まで焦らす焦らす!それも前作のように暴力描写ありきで話を膨らましたのではなく、前作からの不自然な繋がりを無効化する布石の必然性があり、ゆえにちゃんと饒舌に物語を転がしてるため、尺もたっぷり使い充実感があるのだ。さらに、前作以上に広がった弱いものいじめの多重構造こそがフラクタルであり、その無間地獄性の萌芽は「TAKESHIS'」から窺えたが、たけし自身の暴力映画のアップデートを図った前作に対し、バッティングセンター(「GONIN」?)のシーンや、クライマックスを観ると、作はやくざ映画(集団抗争映画)という既存ジャンルへのアップデートを図った野心作と痛感させられる。前作も闇中での銃撃の閃光で「ソナチネ」へのセルフパロディを見せたが、今回も、銃を検める振りで…など、「3-4x10月」

    2012-09-20
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/09/21
    「アウトレイジ ビヨンド」。"前作以上に広がった弱いものいじめの多重構造こそがフラクタルであり"
  • 2012-08-23

    ファントム・フィルムさんのご招待で「I'M FLASH!」試写へ。“新興宗教教祖の暗殺”、“トラブルの逃亡先、沖縄でのモラトリアムな時間”と来れば、「ときめきに死す」や「ソナチネ」を想起していた。しかし監督ならではのミュージシャン系人脈の多用と、藤原竜也生来の芝居がかった教祖っぽさのリアリティによって、単なるハイブリッド的な映画ではない、豊田利晃監督らしい禍々しくも挑発的な作品となっており安心した。鮎川誠の同名タイトル曲にインスパイアされた物語とのことで、「チンピラ」が鮎川の曲のトッピングで息を吹き返したように、先述の想起される作品の痕跡を音楽の荒々しさが上書きし、前作の静謐や内向とも違う、新たなイメージを提供している。金子正次と言えば松田優作だが、こっちは松田龍平に意識的な抜けた演技をさせていて、汗ばんで飲みいする様は、親父の「あばよダチ公」なんかを想起させて微笑ましい。ちなみに俺は瑛

    2012-08-23
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/08/24
    「I'M FLASH!」。"豊田利晃監督らしい禍々しくも挑発的な作品となっており安心"
  • 2012-06-05

    ファントム・フィルムさんのご招待で「さらば復讐の狼たちよ」試写へ。とにかく現体制の不満を頑張って娯楽へ娯楽へ昇華しようという思いは涙ぐましいものがある、日人には分かりにくいが大陸的なオールスター映画。分かりにくいといえば先述の現体制への不満はひたすら暗喩として描かれているようなので、娯楽としてや戦術としての整合性に欠けるところもある。しかしその力押しの推進力や適度に交えたギャグ、渾身の暴力描写や素晴らしいロケーションの数々もあいまって、暴れ馬にしがみ付いているようなひと時の娯楽として我々は消費できるのだ。以前から大陸に対して「ヘブン・アンド・アース」や「グッド・バッド・ウィアード」に限らず、ウェスタンからの翻案はいくらでも出来る地の利は感じているが、これなら民主化・自由化さえ進めば、検閲を気にした歴史スペクタクルにとどめず、将来的には雄大な暴力映画あるいはマカロニ的ドラマも実現可能だろう

    2012-06-05
    mokkei1978
    mokkei1978 2012/06/08
    「さらば復讐の狼たちよ」。"とにかく現体制の不満を頑張って娯楽へ娯楽へ昇華しようという思いは涙ぐましいものがある"
  • 争いこそが世界なのだよ。 - ひかる暗黒日記

    一観客として「アンダーワールド 覚醒」へ。こちらも3Dを意識して急遽制作された作品だが、作品の存在自体が露骨に蛇足だった「バイオハザードIV」より、3Dの導入が丁寧で、飛び出させたい部分の描写もこれ見よがしでウザくない。つまり、レン・ワイズマンが「トータル・リコール」監督の合間に物語をコントロールしている(監督ではない)ので、もっと物語に没入できる安定した展開なのだ。ただし、セリーンが最後に登場した「アンダーワールド2」の直接の続きとなっており、ブランクがあるため、過去を振り返りながら単純化。舞台も未来へと移し、「デイブレイカー」的要素も加味した狭いシチュエーションでアクションと暴力と残酷の濃度を上昇させている。依然敵として登場するライカンおよび生き残りのヴァンパイアはキャラ立ちが弱いが、よりローナ・ミトラ化してきているケイト・ベッキンセイルの骨格美、その娘の可憐さ、ウェス・ベントレー、サ

    mokkei1978
    mokkei1978 2012/04/12
    「アンダーワールド 覚醒」。"「デイブレイカー」的要素も加味した狭いシチュエーションでアクションと暴力と残酷の濃度を上昇させている。"
  • 鑑賞を通して己を振り返る過程。 - ひかる暗黒日記

    アルシネテランさんのご招待で「超能力者」試写へ。主人公が超絶的なハンサムガイなのに、画期的に社会のヒエラルキーにおいての上昇志向が欠落しているという点では、明らかにチョン・ウソンの「トンケの青い空」の系譜に連なる作品だと言える作だが、タイトル通り、その敵として登場する超能力者にそのバカさ加減の突破力(根性)で戦いを挑むというのが作品としてのキモ。しかし、特に遺恨らしい遺恨もないまま、単に主人公だけが他人を思いのままに操るという、超能力者の能力の及ばない人間として対抗せざるを得なくなるという行き当たりばったりな感覚がアイドル映画っぽくて気楽に観られる。とはいっても韓国映画特有の暴力描写や不具の人間への容赦のなさは散見され、韓国映画を見たという満足感は高いところがポイント。 一観客として「哀しき獣」へ。女が原因であるのと、コントラストが効いている点は間違いなくノワールだが、ここに描かれている

    mokkei1978
    mokkei1978 2012/02/21
    「哀しき獣」。"果ては観客の善悪そのものを麻痺させる問いかけ、などの引用を交えつつ作られた、本年最高レベルの作品であることは間違いがない。"
  • 2011-08-17

    20世紀フォックスさんのご招待で「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」試写へ。アルツハイマー治療ウィルスの披験体を母に持つため、生まれつき優秀なチンパンジー、シーザー君は、自分を匿ってくれた研究者の育成からほぼ人間として自我を持っていたが、倫理は別腹なのでトラブルを起こす。彼は人間社会に畜生として貶められ、虐待と抵抗の中で、猿としての新たな自我に覚醒して行くのだ。だからティム・バートン版のように笑いや色気は排除した、ハードな反逆の物語であり、あれは忘れた方がオリジナル一作目の繋がりも自然。まさしく伴ジャクソンさんご指摘の、「暴動島根刑務所」のようなプリズン・ムービーとして鑑賞する方が燃えるし、猿に感情移入したもん勝ちの爽快感である。類似のビギンズ系映画でも「アンダーワールド ビギンズ」が反逆作品だったが、こっちの類人猿も「暴力脱獄」におけるジョージ・ケネディばりの役回りとか、種類も豊富で交流法

    2011-08-17
    mokkei1978
    mokkei1978 2011/08/18
    「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」。"プリズン・ムービーとして鑑賞する方が燃えるし、猿に感情移入したもん勝ちの爽快感"
  • これもまた「試みの水平線」かね。 - ひかる暗黒日記

    注意:「ソープに行け!」という話とは今回(あまり)関係ないので悪しからず。 前回も書いたように、まとまった思考と単発的な思考はしばらく分けるが、その単発的思考は試験的に、またここにその日ごとまとめて反映させてみようかと。確かにここにはパーツとしてtwitterを反映させてはいるが、最新のいくつかが出るだけだ。それにそもそも「はてなダイアリー」だの、「twitter」に書き込まれる全ての記録は、言い切ってしまえば誰かと対話がしたいのでも、取り立てて主張したいのでもなく、脳内に去来した思考や感情を誠実に記録したいだけなのだから。ここのコメントをブロックしているのも、そうした理由が大きく、素性の知れない書き込みに“延々”対応するのも時間の無駄になる。「twitter」なんかにしても素晴らしい方には意見させていただくし、誰かが意見くれる場合は、ある程度までならもちろん対応はするが、その意見や対応し

    mokkei1978
    mokkei1978 2010/07/22
    韓国ノワール「シークレット」。"チャ・スンウォンが、本作では主役の刑事を演じている時点で、早くも不穏な空気"
  • “活餌”と“本”になるための五年間。 - ひかる暗黒日記

    要するに始めて五年が経過したわけだ。別に誇ることもないし、そもそも誰かに言うことではない。俺が俺のために始めただけなので、その節目として一つの感慨があるというだけに過ぎない。 ではなぜ始めたか。それは当時、ここ(はてな)で書くということが著作権を放棄することにはならず、さらに後々記述内容を個人的に書籍化することができるということを知ったためだ。俺は俺の思考を極力転写したいということはしばしば主張しているが、俺は何かを書いて書物として知らしめるというよりは、俺を見舞った極めて異常な出来事や、それによる意識の変容を記録したいというだけだったのだ。つまり、俺は単純に自分のために俺自身を書籍化したかったのだということになる。 俺は異常な出来事により生きることを絶たれた。だが俺にはまだ、俺が存在することを奇跡と感じてくれる人たちがこの世界にいる以上、死ぬわけには行かないのだ。だからその死んだ自分を標

    mokkei1978
    mokkei1978 2010/04/16
    「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」。"復讐の念と侍同士の美学が拮抗する構造に重なっており、従って今回も笑顔で生命を賭けるアンソニー・ウォンたち殺し屋に、主人公がどう報いるかが見どころ"
  • 「オシオ式」人生有効活用法。等。 - ひかる暗黒日記

    オシオ裁きを前にして、宣言するのもなんだが、実は周囲から見られるほど俺には、コイツに対して特段の関心はないのだ。だが元々ごく僅かながら、画像やその名前をあくまで情報ベースで認知はしており、知らなかったわけではない。 ただ、コイツが世に出るようになってというもの、俺の目にする映像、耳にする音楽、その全てにオシオは入っていなかったからだ。ひいては俺の関心のあるものにオシオが少しでもクロスしたことがかつて全くなかったというだけのことである。言い切ってしまうと、生き死にさえどうでもいい路傍の石だったのだ。 人間が所詮は時間に振り回される存在である限り、人間が一生に知ることには限界がある。それが実は知れば面白かったものであるにせよ、歩む道にブレを生むよりはいい。そうは言っても、後追いながら調べてみるにつけ痛感されるのは、やっぱりどう転がしてみても、オシオの人生は俺にとって興味も持てず、楽しめる要素も

    mokkei1978
    mokkei1978 2010/03/24
    「コララインとボタンの魔女3D」。"子供は純粋に面白くも怖がれて、悪夢好きな大人には全てが狙い打ちの濃密な時間が約束されている。"
  • “超・出会い系”がもたらした幸福!++ - ひかる暗黒日記

    的に金遣いが荒いと自分では思わないが、「マルサの女」において、“びっこ役の山崎努”が語ったほどの吝嗇の美学といったものもないので、特に節約貯金を心掛けているわけでもない。つまり自分で意識されるほどカネへの執着はないということだ。それは所詮人間が作った概念だから、という点に尽きるのだが、一方、俺の中での物についての執着はかなりのものを感じる。 しかしそれは、金銭的な価値を持っている、あらゆる物品のことではなくて、中でも知識を与えてくれる、などの“物”についての場合である。実際キリのいいところまで読みかけていたので大事にはならなかったが、最近電車で寝ていてを落としてしまったことから、その実感を改めて思い知らされた(結局は新たに買い求めた)。 だが、これはよくよく考えてみると「を失くしたから悔しい」ということとも違うようで、を通して時空を超え、その著者と語らっていた行為が中断され

    mokkei1978
    mokkei1978 2010/02/18
    「第9地区」。"本作が描こうとしている“差別”の本質について我々も試される"
  • 観過ぎが誘った失禁、その恥ずかしいシミ。 - ひかる暗黒日記

    そう、漏らしてしまった。だから、以下は漏れ出てきたものを、消化されたもの、未消化なもの、そのままに並べておく。昨年入院した時に、病院より「おしり日記」というものを支給され、逐一記録させられたが、その映画版ということ。我慢していたが、どうやら脳からも漏れ出てしまうものはあるようだ。だが一旦漏れるのに身を委ねてみたら、こちらは気持ちが良かったとは言えない。全てが崩れていく感じは、あっちの方が上で、確実に気持ちいいな。 アルシネテランさんのご招待で、「誰がため」試写へ。第二次世界大戦時における、デンマークの対独レジスタンスの話。邦題からは分かりにくいが、原題は核となる二人のレジスタンスのコードネーム、“フラメン”と“シトロン”を指しており、物語もまさに今まで歴史の光が当てられなかった、彼らの生き様そのもの。あまり賛同が得られにくい中で自国を侵略されていると感じたレジスタンスたちがゲシュタポを敵に

    mokkei1978
    mokkei1978 2010/01/27
    「ボーイズ・オン・ザ・ラン」。"特にソープ嬢を演じたYOUはそのリアリティの高い佇まいと空気感が素晴らし過ぎ、単純にソープに行きたくなる。"
  • 「水嶋ヒロ=イチハシ」的なる笑い(世界の解釈法)。 - ひかる暗黒日記

    「水嶋ヒロ=イチハシ」説というのがある。別に逮捕をきっかけに盛り上がったものではなく、逃亡中から俺が個人的にず〜っと周囲に主張してきた説である。だから周囲の人は当然知っているが、別に俺がこの両者を似ているとも、イチハシなる者がイケメンだと思っているということでも全くないのである。というか、どっちもぜんぜん思わない。 その発端は、そもそもこの両者を似ているというか、「区別がつかない」と主張した、身近な“あるオバサンの説”に非常に惹かれたためである。ハッキリ言えば見た目でこれほど違いが分かるものもないのだが、なぜその主張に惹かれたかと言えば、世の中を単純化して二種類に分けるなら、“水嶋的なるもの”と“イチハシ的なるもの”は、“それら以外のもの”と相容れないのであり、故に“水嶋的なるもの”と“イチハシ的なるもの”は同じなのだ、という極めて乱暴な分類が現に存在し、オバサン的なある種の衰えとガサツさ

    mokkei1978
    mokkei1978 2009/11/27
    豊田利晃監督の「蘇りの血」。"広げられた傷口を丁寧に見せるような野蛮さが前面に出ている点は確実な新境地"
  • 主体性のないババアは、スクリーンからの流れ弾を食らえ。 - ひかる暗黒日記

    アクションやホラー映画映画館での鑑賞において、個人的に知り合いではなくても場を共にする年配の女性は、観察していると、残虐な流血場面であろうが苛烈な暴力描写であろうが全く臆せず、菓子などをモリモリわれている方がたまにいる。そうした年配の女性をお見受けするたびに、性的な関心は全く湧かないにしても、非常に気持ちが安らいで、心が暖まるのである。 なぜならそれ以上に見かける、残虐な流血場面やら苛烈な暴力描写に対しては、自らの手で顔を覆ったり、あからさまに顔をひしゃげさせて目をつぶったりするババア(=“女言葉”という厄介なものを使う世代、と定義しておく)が、作品としての映画を冒涜するために来ていることを強く感じるからである。 まだ主体性があって、誤った作品選択のゆえにそうした行動に走るババアなどは、単に映画質が、人間のあらゆる性質に対する“ルドヴィゴ療法”的な効果があることを弁えていないだけな

    mokkei1978
    mokkei1978 2009/11/05
    「ライアン・ラーキン路上に咲いたアニメーション」。"4本の短編アニメーションだけで世界的な評価を得ながらも、自発的に遁世し浮浪者となった作家の全作品を含む、7本の短編による特集上映"
  • 夏、ガキどもに見える世界の歪みの遠因。等。 - ひかる暗黒日記

    この時期、肌の露出がコケットリーだと勘違いする女のガキが増殖するのが陶しい。俺はガキに欲情できるほどヤワなセクシャリティの持ち主ではないので、ガキの未成熟な肌の露出など、単純に見ていて不快なのだ。何より大人のそれと違い、露出すれば異性の歓心を買えると思い込んでいる動物的な下心がよりストレートに下品である。そうした見た目の不快さだけの問題ではない、錯覚したコケットリーの無差別放射が、自爆テロの巻き添えをうように迷惑なのだ。 昆虫や動物が、夏場活発に生の喜びのエネルギーを発し、生殖に走るのは、死が目前に控えているので理解できるし、それゆえの切実さが愛おしくもある。まして昆虫や動物はそれらを教えられたわけでもないところが感動的なのだが、人間のガキは教育を受け、自ら考えることができるだけでなく、死が目前に控えてもいないので、死に想いを巡らせる特権を持っているのだ。そのくせ、そうした貴重な特権を

    mokkei1978
    mokkei1978 2009/08/17
    「バーダー・マインホフ 理想の果てに」。"70年代に西ドイツを席巻したドイツ赤軍派の興亡を描いた作品だが、権力の暴虐描写の圧倒性や、テロ描写のリアリズムは本当に素晴らしい。"
  • 美醜なんぞどうでもいいんだよ。 - ひかる暗黒日記

    俺を古くから知る奴ほど、俺が女に対して面いだと思っているらしい。実際鑑定する立場としての視点ではそうした部分もあるため、俺もかつてはそれを認め、「愛しのローズマリー」のジャック・ブラックのように、私生活もそのままかのように烙印に甘んじてきた。 しかし、周囲からの指摘や自身の内省によって、実は全然そんなものを求めていないと分かってしまい、以来けっこうな時間が経過している。もちろん内面の要素も大きいが、外見の好みについてのみ考えると、結局のところ俺は美醜ではなく、視覚による自身の混乱を相手に求めているだけなのだ。脳内でその外見を反芻し、美醜の判定がつかないまま混乱し続けたいらしく、恐らくはそれが、俺にとっての“恋する”状態であって、相手に興味を持ち続けられる原動力のようだ。 だから、一見して美人だと分かる女には、話をして内面に魅力を感じるのは別にしたら、全く興味も湧かないし、殺菌された表現の

    mokkei1978
    mokkei1978 2009/07/19
    「ノーボーイズ,ノークライ」と、「セルラー」のリメイク「コネクテッド」。”実際は圧勝ながら、最後まで紳士的に気持ちのいいリメイクだ。”
  • “ふりだし”で得た感覚と、観た真実。 - ひかる暗黒日記

    自信喪失と疑心暗鬼に固められて身動きの取れないまま、そうした鎧に閉じ込められた俺の選択力、決断力は共にどんどん弱まっている。よって、この境涯は、自ら妥協の果てに選び取った産物だったとしても、その細かな決断時に残った疑問が蓄積し、いつしか思い描いた環境と、現実の決定的な分裂に気づいた時には遅く、単なる肉体の不快感で、ようやく置かれている状況に目を覚ますほど鈍っている。どうやら俺は、心の反射神経も落ちているらしい。 だから鞍を着けられて初めて、馬具一切で拘束されたことのない俺は、肉体が猛烈に反発することが分かった。なぜかそこでは、牝に鞍は強制されておらず、馬具一切が強制されているのは牡だけだった。すべての牡はそこに疑問を持つ教育すらされていないので、不自由であることも理解できず、汗を流して放牧されている。 しかも環境一切は牝のご機嫌取りに全て調整されており、牡の不快感を軽減するような配慮は一切

    mokkei1978
    mokkei1978 2009/05/07
    「パニッシャー:ウォー・ゾーン」。"人間のエロ描写と暴力描写への希求は、構造がかなり似ているので、結局のところパニッシャーは“暴力を楽しむポルノグラフィ”、これでいい。"