*憂国と*文学に関するmori-tahyoueのブックマーク (165)

  • アルカリブログ:村上春樹「ある編集者の死〜安原顯氏のこと」(文藝春秋4月号) - livedoor Blog(ブログ)

    2006年03月10日 Permalink Comments(15) TrackBack(4) 身辺雑記 村上春樹「ある編集者の死〜安原顯氏のこと」(文藝春秋4月号) ■yahoo! でニュース(<村上春樹>直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却 (毎日新聞) - 3月10日3時7分更新 )を見る。さっそく書店で「文藝春秋」4月号を買って読んだ。 「ある編集者の死〜安原顯氏のこと」は、村上春樹氏が、2003年に亡くなった編集者、安原顯さんについて書いた文章だ。新聞記事では、安原さんが生前に村上氏の原稿を古書店に売却したと書かれているが、村上氏自身の文章のなかでも、この「直筆原稿流出事件」が、この原稿を書く直接のきかっけになったとされている。 ぼくは晩年の安原顯さんがオンライン書店ビーケーワンに書いていた「日記」の担当編集者だった。新聞記事にも書かれているが、直筆原稿が流出されたとする

  • スヌーピーとレッドバロン

    レッドバロンは言わずと知れたドイツの撃墜王、マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン男爵です。一人だけ真っ赤に塗った 愛機フォッカーDr.I に乗り、生涯で80機以上撃墜したドイツの英雄です。軍用機は普通可能な限り目立たない塗装をしますが、リヒトホーフェンの機体だけが真っ赤に塗装され、敵のパイロットたちを動揺させる心理的効果もあったようです。撃墜王として恐れられていた存在なので、赤い機体を見た瞬間震え上がったことでしょう。 リヒトホーフェン のことは、小学6年生の時に知って大変興味を持ちました。ウィーンに住んでいた1973年頃、同じ日人の知り合いの家族が日から持ってきていた学習研究社 の小学5年生向けの「科学」に出会いました。そこに連載していた漫画、 平見 修二さん作、 真崎 守 さん作画の「ホモ・ウォラント」に大層感動して、夢中になって読んだ思い出があります。青年が謎の老

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  • 小中の英語教育「小学校700語問題」「英語嫌いが増えて成績が二極化」 - まったり英語育児雑記帳

    2020年に新学習指導要領が導入されてから3年。 小中の英語教育に混乱が起きているようです。 AERA 2023年5月15日号に掲載された記事が、Yahoo!ニュースに取り上げられていました。 dot.asahi.com dot.asahi.com 主に、小中の連携が取れていないことが原因として、 小学校の英語はコミュニケーション重視で読み書きはやらないにもかかわらず、小学校の教科書に出てきた英単語約700語は「既習」となる。 中学校へ進学する前に、英語の基礎的な学習を終えていることが前提。 中学校で習う単語は1200語程度から、1600~1800語程度に増加。(小中合わせて2800〜3000語になる) 会話文を何となく言えても、英文そのものを理解していない。 中学校の授業はオールイングリッシュが基となっていて、無理がある。 中学のテストの平均点は下がり気味、成績分布は『ふたこぶラクダ』

    小中の英語教育「小学校700語問題」「英語嫌いが増えて成績が二極化」 - まったり英語育児雑記帳
  • 指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線

    2月14日に小学校や中学校などの指導要領の改定案が公表され、新聞などでも報道されました。その歴史教科書の改定案を見てみました。文部科学省は、パブリックコメントを受け付けるとのことですので、出しておく予定です。 報道によれば、文科省の説明としては、聖徳太子という名は没後になって使われるようになったため、歴史学で一般的に用いられている「厩戸王(うまやどのおう)」との併記の形とし、人物に親しむ段階である小学校では「聖徳太子(厩戸王<うまやどのおう>)」、史実を学ぶ中学では「厩戸王<うまやどのおう>(聖徳太子)」とする由。 これは奇妙な話ですね。後代の呼び方はいけないのであれば、天皇の漢字諡號は奈良時代になって定められたのですから、欽明天皇も推古天皇も天智天皇も天武天皇も使えないことになります。さらに重要なのは、奈良時代から用いられて定着した漢字諡號と違い、「厩戸王」という言葉は、使われた証拠がま

    指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線
  • 小林秀雄が解釈する、本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」

    諸君は居さんのものなどお読みにならないかも知れないが、「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌くらいはご存じでしょう。この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。先(ま)ず第一、山桜を諸君ご存じですか。知らないでしょう。山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分るはずはないではないか。宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。花が咲いて、赤い葉が出ています。山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。

  • 「君が代」の歴史的変遷

    吉海 直人(日語日文学科 特任教授) 日の国歌に制定されている「君が代」について、みなさんはどの程度のことをご存じですか。ここでその歴史を少しばかりたどってみましょう。まず出典ですが、一番近いのは『古今集』賀の巻頭にある、 我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(343番) です。これは題知らず・読人知らずの歌ですが、年賀に天皇の長寿を讃美・祝福したものと考えてよさそうです。なお初句は「我が君は」とあり、「君が代」という文異同は認められません。 この歌は、以後いろんな歌集に再録されます。その一つが『和漢朗詠集』ですが、その鎌倉時代の写に初めて「君が代は」文が登場していますが、主流は依然として「我が君は」でした。それが江戸時代になると、狭義的・主観的な「我が君は」より広義的・客観的な「君が代は」の方が使い勝手がよいということで、広く流布していきました。この「我が君

    「君が代」の歴史的変遷
  • 新連載『サバキスタン』のお知らせ|Yuki Inoue

    新連載のお知らせです。 普段はこういう告知みたいなことはあまり書いたりしないのですが、今回はかなり特殊な事例なので最初に説明があったほうがいいかもしれないと思いまして、ここに書きます。 端的に言いますと、ロシアからとあるコミックが届きまして、その日語翻訳をはじめることにしたのです。 ちょっとだけ紹介しますので、よかったらお付き合いください。 その作品の名は『Sobakistan(サバキスタン)』(露語表記『Собакистан』)といいます。 【追記】2023年8月にが出ることになりました! 単行について詳しくはこちらに書いています。 https://note.com/inocotokyo/n/na06a3996c281 第1巻が8月9日に発売されます。日版ブックデザインは森敬太さん。ロシア語で「Cобака」(サバーカ)とは犬、「スタン」は中央アジア地帯で「国」を表す言葉なので、

    新連載『サバキスタン』のお知らせ|Yuki Inoue
  • 中島隆博『中国哲学史』(中公新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    4月5 中島隆博『中国哲学史』(中公新書) 7点 カテゴリ:思想・心理7点 「哲学」というと、どうしても西洋のものということになり、中国や日のものは「思想」という形で括られることが多いですが、書は、あえて「哲学」という言葉を使い、西洋哲学や仏教との比較や対話も試みながら、中国哲学の歴史を描きだしてます。 中国の思想を紹介するは数多くありますが、基的には諸子百家を中心にそれぞれの違いなどを論じたものが多いです。そうした中で、書は、中国内の関係(例えば孔子と老子)だけではなく、中国の外から来た思想との関係(例えば儒教と仏教、キリスト教)を見ていくことで、より立体的な中国哲学の姿を構築しています。  索引なども入れれば360pを超えるで、内容的にも難しい部分を含んでいるのですが、今までにないスケールで中国の思想を語ってくれているであり、中国社会を理解していく上でも興味深い論点を含ん

  • 昔の茨城弁集/小説の中の茨城方言

    ◆長塚節の作品 1.小説『土』 小説の中で描かれた茨城弁の代表はなんといっても、長塚節(1879-1915 )が33歳の時発刊した『土』(1912:大正元年)です。日の農民文学の頂点をなす作品の一つになっています。 長塚節は当時の結城郡石下町国生(現在の地名は町村合併によって不明)生まれです。茨城県西部にあたります。『土』の中で描かれている農民の悲惨さを思うと彼の出を邪推してしまうのですが、実は豪農の生まれで、満四歳で尋常小学校に入学したようにとても頭の良い子だったと記録されています。その後現在の水戸一校へ主席で進級しましたが四年(17歳)の時脳神経衰弱とされて退学してしまいました。その後の療養生活の中で正岡子規が主催する『子規』に入門したことがきっかけになってついに文壇に入ったのでした。しかし、彼が描いた農民の貧しさには、現代人がついに失った田舎や自然の環境がアンチテーゼのようにこぼれ

  • ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』、土屋京子さんによる訳者あとがき全文公開 - 光文社古典新訳文庫

    『アンクル・トムの小屋』は、じつは、こんなに難解な作品なのである。子供向けの抄訳でこの作品を「読んだことがある」読者の皆さんは、原作の全訳である書に接して、ずいぶん趣の異なる作品を読んだような印象を抱かれたかもしれない。 原作は、文章表現そのものの難解さもさることながら、奴隷制度についていろいろな側面から考察する内容が概念としてかなり複雑なのである。物語に登場するオーガスティン・サンクレア氏の懊悩のように、奴隷制度を単純に悪と決めつけるだけでは問題の解決につながらないという厄介な現実を前にして、当時のアメリカ市民は、知識人や宗教家から卑しい奴隷所有者にいたるまで、それぞれの立場でさまざまな矛盾を抱えて魂の迷路をさまよっていた。抄訳ではそうした難解な部分は大部分がカットされて、「善人で信心深い黒人奴隷トムが極悪非道な奴隷所有者の手で残虐な殺され方をしました、だから奴隷制度はまちがっています

    ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』、土屋京子さんによる訳者あとがき全文公開 - 光文社古典新訳文庫
  • e国宝 - 日本書紀巻第十

    (指定名称)日書紀巻第十残巻 紙背 性霊集 1巻 紙墨書 巻子 墨界 縦28.0 長493.1 平安時代・9世紀 奈良国立博物館 1190(書93) 養老4年(720)に完成した『日書紀』30巻は、わが国最古の勅撰(ちょくせん)の歴史書で、神代(じんだい)(神々の時代)から持統天皇11年(697)8月までの出来事を、漢文の編年体で記している。 『日書紀』は宮廷で繰り返し講義されるなど重要視されたため、現存する古写は数十種にのぼる。それらは卜部家(うらべけ)に伝来した写およびその系統の諸と、卜部家の系統に属さない諸に大別できる。前者には、(1)京都国立博物館所蔵(兼方(かねかたぼん)/弘安9年〈1286〉書写/神代紀/国宝)、(2)天理大学附属天理図書館所蔵(兼夏(かねなつぼん)/乾元2年〈1303〉書写/神代紀/国宝)など、後者には、(1)奈良国立博物館所蔵(田

  • 日本書紀の写本一覧と複製出版・Web公開をまとめてみた | 八木書店グループ

    書紀の写一覧と複製出版・Web公開をまとめてみた■現存しない「原」 日の古代を知るためにもっとも重要な史料の一つが、『日書紀』です。奈良時代の720年に成立した、いわゆる六国史(りっこくし)の第一にあたる歴史書で、文全30巻と系図1巻とがあったとされます。文、系図ともに奈良時代の原は現存していませんが、文の全30巻については後世の人々により書き写されたが残っており、原を知るよすがとなっています。 『日書紀』は教科書にも取り上げられるほど有名な史料で、文庫などでも読むことができます。ともするとこうした歴史書が現代でも読めることは「当たり前」のように感じますが、必ずしもそうではありません。 たとえば六国史の3番目にあたる『日後紀』(840年成立)は、全40巻のうち10巻しか残っておらず、残りの30巻は書写されたものの、戦災などで消失してしまい、(他の史料に引用され

    日本書紀の写本一覧と複製出版・Web公開をまとめてみた | 八木書店グループ
  • 文芸評論家の北上次郎氏逝去

    文芸評論家の北上次郎氏が、2023年1月19日、肺がんのため逝去されました。享年76。葬儀は近親者のみにておこない、後日、お別れの会をとりおこなう予定です。 1946年東京生まれ。明治大学卒。1984年、『冒険小説の時代』で日冒険小説協会大賞最優秀評論大賞を、1994年、『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』で日推理作家協会賞評論その他の部門と日冒険小説協会大賞最優秀評論大賞を受賞。 北上次郎名義のほか、名・目黒考二として《の雑誌》を創刊、藤代三郎名義では競馬エッセイストとして、幅広い分野で活躍しました。 北上氏と弊社とは、1970年代終わりから《ミステリマガジン》で冒険小説の大ファンとしてお付き合いが始まり、同誌の連載をまとめた『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』や『感情の法則』、『息子たちよ』の著作のみならず、多くの解説やミステリ評論、書評、雑誌の特集企画などで

  • ゆる言語学ラジオさんとの金谷武洋氏をめぐるやりとりについてちょっとだけ - 誰がログ

    はじめに 「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeのチャンネルに金谷武洋氏を肯定的に紹介している動画があります(紹介が目的ではないので直接リンクをはることはしません)。 金谷武洋氏の著書の内容には専門的に見ていろいろ問題があり,以前いくつか批判記事を書きました。 dlit.hatenadiary.com さいきん金谷氏がそこまで集中的に話題になっているのを見ていなかったことと,動画がけっこう話題になった(ている)ので最初の感想は「参ったな」というのが正直なところでまず嘆くようなツイートをしました。 さいきん三上文法,金谷武洋氏の話題でブログの記事を紹介していただいて何があったんだろうと思ってたんだけどネタ元らしき情報が流れてきて動画見てしまった…いやこれはちょっとダメでは…— Takumi TAGAWA (@dlit) 2021年5月18日 ただこのあとゆる言語学ラジオの方からリアクション

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  • 禁じられた落語を弔う「はなし塚」にお参りする

    大阪生まれの大学院生。工作や漢字が好きです。ほら貝も吹けます。先日、教授から「あなたは何を目指しているのか分からん」と言われました。 前の記事:西宮名塩は近未来神殿でテンションがあがる > 個人サイト 唐沢ジャンボリー 落語研究部でした 私は大学時代、落語研究部におりました。 着物きて正座して、人前で一人で喋ってた 部室で『AKIRA』読んだり、ボードゲームに興じたりと文化部らしいダラダラも一通りやりましたが、コンスタントに寄席があったので、たくさんネタを覚えました。(もちろんその分たくさんスベりました。) どういう風にネタを覚えるかというと、伝授してくれる師匠がいるわけではないので、​落語番組を録画したDVDとか、市販のCDをもとにセリフを書き起こしてました。「落語ってこんなインディーズでええんや」と最初はびっくりしたものです。 ネットのサイトでセリフを確認することもあり、そのネットサー

    禁じられた落語を弔う「はなし塚」にお参りする
  • 吉田松陰が歩いた道を一緒に歩いてみませんか? - 津軽半島観光アテンダント

    みなさん、こんにちは!みっちょんです(*´▽`*) 五所川原立佞武多、今別荒馬まつりもそれぞれ始まり青森県内全域で祭り番!!という感じになってきましたねぇ。 昨日、みっちょんも曳き手としてお祭りに参加してきました! 参加してくださったお客さまも立佞武多の大きさにまず驚き、曳き手の体験も楽しんでくださったようでみっちょんもとっても嬉しかったです♪ 今日も曳き手頑張るどー! と、いうことで。 今日のお題はコチラ。 日山岳ガイド協会公認ガイドと行く ~みちのく松陰道コース~ 実施日:2016年9月10日(土) 7:45 津軽三味線会館駐車場に集合! その後、バスで小泊まで移動しトレッキングスタートです♪ 一生懸命歩いた後には美味しいご飯タイムが待っています? 算用師峠に到着したら昼です(*´▽`*) お昼ご飯でお腹を満たした後は再び歩き出します。三厩に到着は15:00を予定。 津軽三味線会

  • 岡真史 著『〈新編〉ぼくは12歳』より。ぼくはしなない。なぜならば……。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ぼくはしなない ぼくは しぬかもしれない でもぼくはしねない いやしなないんだ ぼくだけは ぜったいにしなない なぜならば ぼくは じぶんじしんだから(・・・・・・・・・) (岡真史『〈新編〉ぼくは12歳』ちくま文庫、1985) こんばんは。先日、授業でコラボしている大学の先生が、新年会の席でこんなことを言っていました。曰く「人間だけが、死ぬことができる」云々。それから、同じテーブルを囲んでいた某・作家さん曰く「臨床にはエロスがある」云々。臨床 ≒ 現場です。 種々、考える。 こういった言葉に反応してしまうのも、人間だからでしょう。人間以外の動物は、自ら命を落としたり、ジョルジュ・バタイユのエロティシズム論に反応したりしません。人間だけが思考を止めることができない。なぜならば、人間は、考える葦だからです。 新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫) 作者:岡 真史 筑摩書房 Amazon 岡真史く

    岡真史 著『〈新編〉ぼくは12歳』より。ぼくはしなない。なぜならば……。 - 田舎教師ときどき都会教師
  • 庚申山 八犬伝

  • 『宮沢賢治とサハリン』

    先月に刊行された、『宮沢賢治とサハリン 「銀河鉄道」の彼方へ』(藤原浩著,東洋書店)というを読みました。 著者は、鉄道・旅行ライターで、有名な旅行ガイドブックシリーズ『地球の歩き方』において、「ロシア」篇や「シベリア&シベリア鉄道とサハリン」篇を執筆しておられる方です。 そのような著者の専門性のおかげで、大泊(コルサコフ)、栄浜(スタロドゥプスコエ)、豊原(ユジノサハリンスク)など、賢治が訪れたであろう場所に関する案内や解説は、とても丁寧で詳細です。私のように、サハリンに憧れつつもまだその地を踏んだことのない者にとって、このわずか63ページの薄いは、いつか実現したいサハリンへの旅の際には、ぜひとも携行したいガイドブックです。 さらにこのには、そのような現地の案内としての意味あいとともに、もう一つ「あとがき」において著者が次のように書いているような要素も、含まれています。 旅行ガイド

    『宮沢賢治とサハリン』
  • 撮りがいのあるギャルに感銘をうけた日|マスダヒロシ

    とかく変わったもの、突飛なものはネタにされやすい。 先日の話。成人式の前撮りにいった。前撮りとはいえ、この蒸し暑い時期に振袖とは珍しい。 聞けばおじいちゃんの体調がよろしくないそうだ。元気なうちに振袖姿を見せたいという御家族の心遣い。いい話だ。きっと黒髪で清楚でどこか古風な芳根京子みたいなお嬢さんが、はにかみながら待ってるはずだ。そう思い、ご自宅にうかがった。 芳根はいなかった。代わりと言ってはアレだが気合いの入ったギャルがいた。 撮られることに積極的な子。上のポージングも僕の指示じゃない。カメラ向けると自分でやってくれる。ありがたい。 最初の話を思い出してみる。ギャルなんてそれこそネタにされやすい。 「成人式であんなカッコして、10年後見返した時に恥ずかしく無いのかね」 こういう言葉をよく耳にする。実際、彼女の親御さんも「カメラマンさん、すみませんねぇ、こんな感じで」と苦笑いしながらおっ

    撮りがいのあるギャルに感銘をうけた日|マスダヒロシ