*憂国と*歴史に関するmori-tahyoueのブックマーク (355)

  • 威徳院 旧蔵とされる「魔像」について ①|N.N.USAGI

    2017年に、湯豪一氏『古今妖怪纍纍』で発表され話題になったという、いわゆる「魔像」について、筆者は最近までその存在を知らなかった。      先日、福島県立博物館の2021年度の催し物案内のパンフレットの写真(上掲)を見て不思議に思い調べたところ、湯氏がこの像を著書で公開した後SNS等で話題になり、現在は広島県三次市にある 湯豪一記念日妖怪博物館(三次もののけミュージアム)に所蔵されていることを知った。「魔像」の説明文によれば、なんとこの像、元はいわき市の寺院に旧蔵されていたものだという。 「この妖怪像は福島県いわき市で何箇所かに分散されて伝えられていたものだが、言い伝えによると、いわき市泉町にあった玉光山威徳院にあったものといわれる。威徳院は廃仏毀釈で廃寺となり、この像も地元の人たちが受け継いでいたきたものと思われ、「魔像三十六体」と呼ばれていた。この像が寺にあったときに、どの

    威徳院 旧蔵とされる「魔像」について ①|N.N.USAGI
  • 「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥

    【7月27日 一部に加筆修正】 完全フィクション歴史ゲームの「アサシンクリード・シャドウ」がここ最近ずっと炎上して遂には公式が声明まで出るに至ってて、わりと大規模な炎上が発生している。この炎上自体は「『アサシンクリードシャドウズ』が炎上する理由」などでの解説があり、(納得できるかどうかは人によるだろうが)そちらを参照してもらいたい。その炎上のさなかで5月中旬ごろにトーマス・ロックリーという人物が注目される。これは「Who Is Yasuke? Assassin’s Creed Shadows’ Black Samurai Explained」など、5月15日にIGNによって書かれた記事に彼の名前がある事などが理由と思われる。そこから彼自身の検証が始まって、例えば英語版のwikipediaのYasukeの項目を自身による学説で埋めていたとされるなど、普通にダメな行為も見て取れる。 で、その中

    「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥
  • 『アサシンクリードユニティ』におけるフランス革命の描写とそれに対する政治家のリアクション

    2007年に誕生したアサシンクリードシリーズは変貌を遂げながらも、<忠実に再現された時代と場所>、そして<パルクールとステルス>を変わらず武器にして売り出している。 UBISOFTのスタジオは世界各地にあるが、2023年に発売された最新作の『アサシンクリードミラージュ』は会社の国であるフランスのボルドーのスタジオで開発された。 今回は発売されてからすでに10年が経とうとしている『アサシンクリードユニティ』(以下『ACユニティ』)を取り上げたい。とくに、ゲーム内のフランス国民の描写に対する政治家のリアクションに注目したい。 Assassin’s Creed Unity, Ubisoft, 2014 (画像:Epic Games Storeより) はじめに歴史的再現の忠実性がアサシンクリードシリーズの一つのセールスポイントだと書いたが、実は各エピソードの舞台となっている場所や時代と、ゲーム

    『アサシンクリードユニティ』におけるフランス革命の描写とそれに対する政治家のリアクション
  • 1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊
  • ウォルフレン『日本/権力構造の謎』を読む(福井)

  • 『23分間の奇跡』は鳥肌モノの怖さ

    『23分間の奇跡』(ジェームズ=クラベル)という作品があります。 とても怖い話なのですが、あらすじを紹介します。 戦争に敗れ、占領されたどこかの国のある学校の教室に、新任の若い女性の教師がやってきます。 白髪頭になるまで独身で教育に身を捧げてきた厳格な女性教師は、その日からクラスの担任になった新しい教師から校長室へ行くよう言われ、万感の思いを込めて「みなさん、さようなら」と告げ、泣きながら教室を出て行きました。 時刻はちょうど9時。 新しい教師は、学校に来る前にあらかじめクラスの生徒の席の場所と名前を全て暗記していたり、頭ごなしに命令をせず、意味を考えさせ、理解させた上でやらせたり、何より、生徒の意見は、全て受け止め、決して否定しませんでした。 最初は新しい教師に不信と反感を抱いていた子供たちも、歌やゲームを通じて次第に新しい教師と打ち解けていきます。 「国旗への忠誠の誓い」を巡るやり取り

    『23分間の奇跡』は鳥肌モノの怖さ
  • オタクの歴史のまとめ そして未来|元オタクが語るオタクの歴史

    お久しぶりです。オタク史の総まとめとしてオタクを世代分けし、将来の展望を書きます。今回は岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』(2008年 新潮新書)を参考にしました。岡田斗司夫氏は最近はYoutuber化しているので若干軽んじられているように感じていたのですが、この書籍を再読して氏の頭脳明晰さを再認識しました。オタクに関する名著だと思います。 ↑このの元となった講演です。 ・オタク世代論 まずは岡田斗司夫のオタク世代論を見ていきましょう。 ①オタク原人(1950年代生まれ、当時50代) SF界・アニメ界の長老クラス。オタク的特徴は少ない。理由は1970年代に若者だったので、当時はオタクに限らず全員ファッションに興味が無かったから。 ②オタク第一世代(1958年~60年代生まれ) 岡田斗司夫世代。テレビっ子で70年代に10代、80年代に20代だったので世間にオタクという言葉が浸透しておら

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  • 「兵隊を笑かすために」靖国神社には戦死した吉本漫才師が祀られている 慰問団「わらわし隊」に起きた悲劇

    満州駐屯軍のもとに芸人を送り込んだ 明治創業の吉興業の歴史をたどれば当然、戦争の記憶や傷跡は多く見つかる。はっきりと戦争に結びついているのが、戦争慰問だ。 1931年(昭和6年)、満州事変が始まったあと、満州駐屯軍の慰問に芸人を送り出したのが最初になる。 小規模な編制ながら慰問団にはコンビ「エンタツ・アチャコ」も含まれていた。朝日新聞と提携したものだったので記事になることも多く、エンタツ・アチャコの名が、全国に知れ渡るきっかけにもなった。エンタツ・アチャコは、この二年後の満州慰問にも参加している。 1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、翌年、やはり朝日新聞が慰問団の派遣を企画した。このときから、吉の慰問団は「わらわし隊」を名乗るようになる。航空隊が「荒鷲」と呼ばれていたのをもじって「笑鷲隊」としたのだ。 その後も、わらわし隊は何度か編制されて、戦地へ派遣された。規模も最初より大

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  • 「正史」も「稗史」も読まない人の史論 - 枕流亭ブログ

    中国四千年は改竄史、真の歴史は日にあり 嘘で固められた南京大虐殺、尖閣事件・・・(JBpress 日ビジネスプレス) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4971 ……ツッコミがいのありすぎる記事ですね。「改竄」され「嘘で固められ」てるのはこの筆者さん(森清勇さん)の頭の中の「歴史」のほうだと思うのですが。あー、ちなみに「南京」とかには、僕はツッコまないですよ。そのへんはほかに適任者がいると思いますし。ただ中国の正史に関しては黙ってられないので、つっかえたら困るものを吐き出しておくことにします。 中国の王朝交代は「易姓革命」と呼ばれる。現実には新興する一族が、衰弱する王朝を武力で打倒して帝位に就くもので、権力の簒奪以外の何物でもない。新に帝位に就いた王朝の最初の仕事は、前王朝の歴史を書くことである。 「易姓革命」が実は武力による「簒奪」と言っている

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  • nix in desertis:2024受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

    今年も書き上げることができたので公開する。いきなり告知から入るが,もうすぐ4巻が発売する予定なので,お買い求めいただけると幸いです。4巻の校正作業はほぼ終わっているが,この2024年の記事と作業時期が重なったので,今年は少し大変だった。 【速報】突然ですが『絶対に解けない受験世界史4』を出版します! 著者は稲田義智さん@nix_in_desertis です! https://t.co/orMarDPCeo pic.twitter.com/bMYXPPMiss — パブリブ (@publibjp) March 15, 2024 <収録の基準と分類> 基準は例年と同じである。 出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。 悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。 → 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せ

  • アベノミクス「3本の矢」 | 首相官邸ホームページ

    このページは現在更新しておりません。「日再興戦略」改訂2014(成長戦略2014)の内容をわかりやすく解説したページです。最新の情報は、こちらをご覧ください。 「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない」という日経済の課題を克服するため、安倍政権は、「デフレ※からの脱却」と「富の拡大」を目指しています。 これらを実現する経済政策が、アベノミクス「3の矢」です。 ※物価が持続的に下落する状態のこと すでに第1の矢と第2の矢は放たれ、アベノミクス効果もあって、株価、経済成長率、企業業績、雇用等、多くの経済指標は、著しい改善を見せています。 また、アベノミクスの丸となる「成長戦略」の施策が順次実行され、その効果も表れつつあります。

    アベノミクス「3本の矢」 | 首相官邸ホームページ
  • 教育勅語への元田永孚の推敲に、朱筆の真髄を見た (太郎次郎社エディタス 須田 正晴) | 版元ドットコム

    ▽話題になるわりには読まれていない教育勅語 2月に刊行された、高橋陽一『くわしすぎる教育勅語』を担当しました。 国会での失効決議から60年あまりを経て、いまなお話題にのぼることの多い教育勅語ですが、このごく短い文章の内容を、読めていない人があまりに多すぎる、というのが企画の端緒でした。 いわく、「ふつうの道徳が書いてあるだけ」とか、「国際的な協調を重んじる」と書いてあるとか、「国民を戦争に駆りたてるのが目的」などなど文意に反した解釈がされています。使われ方の経緯においても、「当時にあってはごく穏当」「昭和期に使われ方が熱狂的になっただけ」というような、事実に反する解説が何度もくりかえし流布されています。 以下のコラムで、著者の高橋陽一さん自身が、報道や論文への違和感を語っています。 「だれも教育勅語を読んでいない?」 教育勅語には何が書かれているのか、その一字一句をつまびらかに解き明かし、

  • 『土偶を読む』を読んだけど(番外編)ーー僕も土偶の謎を解いてみた。|縄文ZINE_note

    『土偶を読む』というが売れている。noteでは、このの説には妥当性が全然無いよ、簡単に鵜呑みにしないでね。ということを再三に渡り警告してきたわけですが、その甲斐も虚しく順調に売れ、巷には目からウロコを落とした人が増えているようだ。 とはいえどんなが出版されようが、または売れようが、別に構わないし、人がどんなを楽しもうが意見するつもりはない。そんなことは余計なお節介でしかない。ただ、『土偶を読む』を読んで、無邪気にその説を信じてしまう人があまりにも増えてしまうと、今まで地道に研究し、縄文時代についてわかっていることを説明してきた人たちの苦労が一歩も二歩も後退してしまう危険性もある。だからこそここであらためて、ちゃんと否定しておこうと思う。ーー以前の一連のnoteは最後にリンクを貼っておく。 『土偶を読む』が売れるのは当然で、養老孟司さんをはじめ、中島岳志さん、いとうせいこうさん、な

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  • めちゃくちゃ不仲!吉田茂と河野一郎の険悪エピソード3つ | 歴史スター名鑑

    外務大臣や総理大臣を務めた吉田茂には、犬猿の仲といわれる人物がいました。 同じ政治家である、河野一郎です。 河野は農林大臣や行政管理庁長官を歴任し、総理大臣候補として名前が挙がるほどの大物でした。 吉田と河野は同じ政党に所属していましたが、折り合いが悪く、非常に険悪な間柄だったようです。 彼らの不仲さを象徴するエピソードと、ふたりが嫌いあった理由を紹介していきます。 吉田茂は新聞記者にインタビューを受けた際、嫌いな政治家を問われたことがあります。 そのとき彼は「李承晩(りしょうばん)と河野一郎」と答えました。 李承晩は韓国の初代大統領です。 竹島や領海の不法占拠、親日韓国人の断罪、沖縄と対馬を自国の領土と主張するなど、徹底した反日政策を行いました。 吉田は「李承晩のせいで、日韓はこの先100年まともな外交ができないだろう」とぼやいたといいます。 そしてこの李承晩と並べる形で、吉田は河野一郎

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  • 『土偶を読むを読む』出版後、四方山話|縄文ZINE_note

    今年(2023年)4月28日に出版された『土偶を読むを読む』。皆さんお手にとって頂けたでしょうか? 検証・批判する元『土偶を読む』の存在を前提としているため、普通に考えると、非常に間口の狭い書籍であるにも関わらず、6月に2版、11月に2版2刷、実質3刷となり、部数も1万部を越えることができました。ひとえに読んでいただき楽しんでいただいた皆さんのおかげです。もちろん部数だけで言えば『土偶を読む』(現在9刷?)に今のところ全く歯が立ちませんしベストセラーとは言いませんが…。 このの企画は簡単ではありませんでした、出版後に起こり得る状況がある程度想像できるだけに、何度も逡巡し、どう編集すればいいのか途方に暮れ、そもそも検証し反論するためにあらためて勉強しなければならないことの多さに、編集・執筆を始めてからも何度もイヤになっちゃったりしていました。 ですが、この年を振り返り、今となっては当に

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  • 【寄稿】連載第1回:柳田國男で読む主権者教育 『青年と学問』を読む/柳田國男と日本国憲法/大塚英志 - atプラスweb

    民俗学者として一般に知られる柳田國男は、その晩年である1960年5月、公的な場(といってもそれは彼が多感な少年期を過ごした村からそう遠くない場所での小さな集まりだった)で「日民俗学の退廃を悲しむ」と題する講演をおこなったとされている。柳田の「最終講演」として語られるものである。実際にはこの後も小さな集まりで話をした記録は残っているが、その題名から柳田の遺言のように受け止められてきた。 死の二年前のことである。死後、柳田が残した物の「遺言」には彼の学問については何も語られていなかったとされる。 柳田はその晩年、彼の創り上げた学問が彼の望んだのとは違う形になってしまったことに、憤っていたといわれる。あらためて、そのことが伝わってくる題名である。聴衆の一人・菱田忠義によってノートがとられ、後に、柳田のいささかかわった弟子であった千葉徳爾によって公開されている。それを読むと、興奮して声もかすれ

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  • 妖怪業界に冷遇されている…「あ、わたしもそうだ!」荒俣宏が著者に聞きたい、南方熊楠についての“重大疑問”とは | 文春オンライン

    『未完の天才 南方熊楠』(志村真幸 著)講談社現代新書 こんどの熊楠のは新書判だ。重力があって、しかも中心がない人物を、軽気球に乗せて体重を量るかのような、とんでもなく勇敢な挑戦だと思った。著者が『熊楠と幽霊』を書いた人なので、もしかすると、もしかするかもしれない発見が期待される。 読み終わって感じた第一印象は、こうだ――むずかしくて長大な基調講演のあと、すっかり気楽になって自由に質疑応答をぶつけ合った二次会の感じ? 格的なむずかしい基調講演については、書はたくみに体をかわしている。まあ、聞いても聞かなくても問題はないからだ。その代わり、談論風発の質問大会で盛り上がる。ときどき出る鋭い突っ込みが刺激的だった。 つまり、「熊楠は何をなしとげたのか?」という大疑問は、この場合の基調講演に相当する。まともに論じると、普通の読者には眠くなる。しかし、席を替えて大喜利のような「にぎやかな知識」

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  • 文事ある者は必ず武備ありとは? 意味・原文・書き下し文・注釈

    出典:『史記』孔子世家(ウィキソース「史記/卷047」参照) 解釈:文に優れている者は、必ず武にも優れている。転じて、文武は一方に偏(かたよ)ってはならないということ。「文事」は、学問・文芸などに関する事柄。「武備」は、軍備。 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。 定公(ていこう)十(じゅう)年(ねん)春(はる)、斉(せい)と平(たい)らぐ。夏(なつ)、斉(せい)の大(たい)夫(ふ)黎鉏(れいしょ)、景公(けいこう)に言(い)いて曰(いわ)く、魯(ろ)、孔(こう)丘(きゅう)を用(もち)う。其(そ)の勢(いきお)い、斉(せい)を危(あや)うくせん、と。乃(すなわ)ち使(つか)いをして魯(ろ)に好会