![太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/81584743f99f96b1c97a10d735added5b0e7ccd5/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.nhk.or.jp%2Farchives%2Fshogenarchives%2Fparts%2Fcommon%2Fimg2019%2Fogimage202008.jpg)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "名和弓雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年6月) 名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日、94歳没)は、日本の時代考証家、武術家(正木流万力鎖術第10代宗家、江戸町方十手捕縄扱様宗家)、舞踊家。 人物・来歴[編集] 福岡県北九州市生まれ。武蔵野音楽大学卒。先祖は美濃大垣藩の与力を務めたという。時代劇の時代考証、武術指導を行った。捕り物道具を収集し、その捕り物道具コレクションは現在、明治大学刑事博物館に収蔵されている。 評価[編集] 杉良太郎など、史実に近い
宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ) 作者: 神田千里出版社/メーカー: 講談社発売日: 2010/02/11メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 27回この商品を含むブログ (20件) を見る宗教で読む戦国時代 神田千里 講談社選書メチエ 宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆、キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。 序盤から釘付けになって読んでしまった。今年の第一四半期最大の収穫、と自信を持ってオススメできますよ、これは。以下、twitterのメモを元に目次順に内容を紹介します。 1章 宣教師の見た日本の宗教 イエズス会の宣教師たちは、戦国日本が単一言語(都の言葉が共通語)の国と捉えていた。日本通信では改竄されたが、元の書簡では諸大名は国王に、将軍
『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』を読みました。これは個人的に大ヒットでした。面白い。 刺青とヌードの美術史—江戸から近代へ (NHKブックス)posted with AZlink at 2011.1.24宮下 規久朗 日本放送出版協会 売り上げランキング: 233633 Amazon.co.jp で詳細を見る 序章でいきなり打ちのめされた。 私はかつて裸で歩き回るのが好きだった。(中略)しかし、上半身だけ裸になって新宿の繁華街を自転車で走っていたところ、誰かが通報したのか、パトカーに追いかけられて呼び止められ、警官に取り調べられたことがある。下半身は黄色っぽいズボンをはいていたのだが、遠目には何も身につけていないように見えたらしい。 また、一時は裸足で外を歩くことに凝り、裸足で電車に乗ったり大学に行ったりしたものだが、美術館に行ったとき、警備員がスリッパを持ってやってきて、無理に履
「武士から王へ - お上の物語(本郷和人)」(参照)は、日本中世において武士が王に変遷していく過程と体制を新視点から議論ししている。「王」を主題に据えた、日本の王権論でもあるが、読後の印象としては、そうした特定のテーマより、コンサイスな日本史概説として優れた叙述になっていた。 通常の意味で日本史概説なら通史的であるべきだが、本書は古代史と近代史・現代史は除外され、時代区分では中世史のみを扱っている。テーマも時代も限定されるがゆえに、現代人の知的な関心としても限定されるだろうが、その核心を背理的に言うなら、日本史の理解にしばしば必然的に仕組まれる右派及び左派の天皇幻想を解体する点で極めて現代的な知的課題でもある。 例を挙げよう。本書は、中世以降、皇位は誰が決めたのかと問い、武家であると答える。義務教育の範囲の歴史知識でも単純に答えられることだと単純に思う人もいるだろう。しかし、では、承久の乱
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 宮本常一さんの『日本文化の形成』で描かれていた東西で別々の国として存在していた日本に興味をもち、すでにまとめ買いしてあった網野善彦さんのこの一冊を読みはじめました。 ゆがめられた日本史イメージを問い直すという姿勢は網野史学に通底するテーマですが、この本では「同じ現代の日本人である沖縄人、アイヌ人に対する屈折した差別、さらに朝鮮人に対する長年のいわれのない差別は、間違いなく単一の日本民族、古代以来の単一な日本国家を前提とする歴史観にその根拠をもっている」という通説化した日本民族観、日本史像を再検討するため、宮本さんが取り上げた古代以来、歴史的に近い時代までみられた東日本と西日本の差異を主題として取り上げています。 東と西の違いまず、東と西の違いを語るこの一冊は、現在にも残るこ
太平洋戦争が1945年に終わり、二、三年後、ベビーブームと呼ばれるが、新しい日本人が多く生まれた。その子供たちが青春を迎えた1960年代後半は、日本の歴史においても特異な時代となった。戦後のリアルな貧困は体験しているものの、戦争を知らずに育った多数の若者たちは、その時代、親の世代や、因習と米国に盲従する日本というシステムに反抗した。 戦後世代の反抗。そう概括することはたやすい。現在からあの時代を記録のような大著にまとめることも、簡単とは言えないまでも、難しい作業とは言い難い。難しいのは、あの時代に生きて、その反抗の総括をその後の人生において成し遂げること。「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)は、その見事な達成だった。 昨今のネット時代では、1957年生まれの私なども爺扱いされ、団塊世代とごっちゃにされることがあるが、私はポスト全共闘世代で、それなり
・裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘
#もの書き予備 今年の過去ログ | 創作者向けサービスCRE.NE.JP | チャットサーバ案内(irc.cre.jp) | 2010-07-28 の他の公開チャンネル全リスト | #もの書き予備 文章を書くことと読むこと関係。自作の批評や市販書籍の紹介分析、執筆ソフトの使いこなしや出版業界情報など。#もの書きの予備。 過去ログを示すのにはHTML版の#もの書き予備 2010-07-28をご活用くださいませ。 先日分(2010-07-27) ← 表示中(2010-07-28) → 翌日分(2010-07-29) 2010/07/28 00:00:02 00:11:19 ! lute (Connection reset by peer) 00:12:14 + lute(~lute@pl271.nas851.p-osaka.nttpc.ne.jp) to #もの書き予備 00:12:28 Ya
http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50314491.html ここでは、『読売』と『毎日』の記事が引用されている。浅草の「三社祭」で、「神輿」の上に乗った連中が「都迷惑防止条例(粗暴行為の禁止)違反や公務執行妨害容疑」(『毎日』)で現行犯逮捕されたという。「浅草神社は祭りの開始前、神輿に1人でも乗ったら、境内から出る時の「宮出し」と呼ばれる行事を中止すると、担ぎ手側に通告しており、今後の対応を協議している」(『読売』)。これに関しては、 現場では「神輿に乗るな」と警官が注意していたけど、夕方のテレビのニュースを見たら、やっぱり乗ってるのがいた。見ればどれも倶利伽羅紋紋の怖そうな方ばかり。あの方々に下りろというのは、一般人ではなかなか難しいだろう。 見ているほうからすれば、神輿の上に人が乗っていたほうが絵になるような気もするけれ
有元正雄氏の話を聞いて非常に面白かったので、『近世日本の宗教社会史』と『真宗の宗教社会史』を読む。 蒙を啓かれた思いがした。 『近世日本の宗教社会史』は、関東と周辺地帯(関八州、駿河、遠江、伊豆、甲斐、信濃)、近畿と周辺地帯(近畿諸国、若狭、因幡、伯耆、備前、備中、備後、美作)、真宗篤信地帯(越後から越前北陸諸国、飛騨、西美濃、西尾張、安芸、石見、周防、長門、筑前、筑後、西豊前、肥後)の三つの地帯に区分し、江戸時代中後期におけるそれぞれの地帯の文化的、精神的特徴を考察した本である。 関東と周辺地帯では堕胎、間引きが広く行われ人口が減少している。 近畿の中心部では堕胎が珍しくなかったが、「えた」は堕胎を行わないので人口が増加している。 というのも、近畿以西の被差別民はほとんどが真宗寺院に属しており、殺生忌避を忠実に実行していたのである。 真宗篤信地帯では堕胎、間引きをしないので、人口はおおむ
→紀伊國屋書店で購入 著者、松方冬子の博士論文をもとにした『オランダ風説書と近世日本』(東京大学出版会、2007年)を読もう読もうと思いながら、延び延びになっているうちに、この新書が出た。 本書は、1960年代まで支配的であった「江戸時代の日本は国を鎖していた」という、いわゆる「鎖国論」を訂正されるかたちで進んだ近世日本の対外関係史の研究成果のうえにある。「鎖国」と考えられたのは、外の世界としてヨーロッパとアメリカだけを想定していたためであり、その後、東アジアに力点を置いた対外関係史研究が進むと、「江戸時代の日本は「対馬口(つしまぐち)」で李氏朝鮮(イシチヨソン)と、「薩摩口(さつまぐち)」で琉球(りゆうきゆう)と、「松前口(まつまえぐち)」でアイヌと、「長崎口」でオランダ人や唐人(とうじん)(中国人が主体だが東南アジアの人々も含む)とつながっていた」ことが明らかになってきた。 これらの「
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