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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (201)

  • 崖の上のポニョ(宮崎駿): 極東ブログ

    DVDになって初めて見た。面白かった。公開時よく言われていたように不可解な映画でもあり、なるほどこれは一部の人々に謎解きを迫るような仕掛けが随所にあるとは思った。そして率直に言って、私にはこの謎解きができるだけの文学知識はないと早々に観念もしたし、さらに率直に言えば、謎解き用に見える各種の鍵はポエジーとしての手法の部品であって、いわゆる謎解き風に謎を解くことはこの映画理解の質ではないのではないか、そうも思った。 この手法は私には、吉隆明の、おそらく詩人としての最上の仕事である「記号の森の伝説歌」(参照)や、西脇順三郎の、これも最上の仕事である「旅人かへらず」(参照)を想起させる。個人の人生に出現する具体的な体験の情感を、その具体個物から共有的な無意識に移し、瞑想的に深遠なるものを暗喩する手法である。なぜこの手法が存在するかといえば、個人の人生の体験とは、おそらく個人の人生を場として顕現

  • [書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ

    私は竹田青嗣氏の著作はデビュー作からほぼ網羅的に読んでいるので、初期の欲望論、そしてその基礎方法論としての一連のフッサール・現象学解説著作から、近年の「人間的自由の条件 ― ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)による、フッサールからヘーゲルに至る社会思想への深化・変遷のあたりで、竹田氏は一つの頂点を迎えたのか、あるいは学生や実際上のお弟子さんたちの教育に忙しくなったか、しばらく思想的な展開は見られないものだろうと思っていた。 そうした流れで、書「中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ」(参照)も見ていたので、書店で見かけたときは、またこれも初期の副産物的な作品かと思っていた。実際、書はかつての類書「「自分」を生きるための思想入門」(参照)とよく似ている。なお、同書については「極東ブログ: 社会システムとルール社会を越えていくもの」(参照)で触れたことがある。また竹田

  • [書評]1Q84 book1, book2 (村上春樹): 極東ブログ

    文学は社会が隠蔽すべき猥雑で危険な思想をあたかもそうではないかのように見せかけつつ、公然に晒す営みである。日の、物語の出で来初めの祖なる「竹取物語」は天皇とその体制を愚弄する笑話であった。日歴史を俯瞰して最高の文学であるとされる「源氏物語」は天皇の愛人を近親相姦で孕ませ、それで足りず少女を和姦に見立てて姦通する物語である。 同様に村上春樹の「1Q84」(book1参照・book2参照)の2巻までは、17歳の少女を29歳の男が和姦に見立たて姦通する、「犯罪」の物語である。また国家に収納されない暴力によって人々が強い絆で結ばれていく、極めて反社会的な物語でもある。それが、そう読めないなら、文学は成功している。あたかも、カルトの信者がその教義のなかに居て世界の真実と善に疑念を持たないように。いや、私は間違っている。「1Q84」は、私たちの社会がその真実と善に疑念を持ち得ないような閉塞なカル

    mshkh
    mshkh 2009/06/06
    ふーむ.この本が売れてるというのも興味深い...
  • [書評]離婚(色川武大): 極東ブログ

    離婚」(参照)は、「麻雀放浪記」(参照)などで有名だった麻雀小説作家、阿佐田哲也(あさだてつや)が、文学者、色川武大(いろかわたけひろ)として1978年(昭和53年)に著した短編で、同年に第79回直木賞を受賞した。単行は同年に書かれた他の関連三作を併せている。私としては、直木賞受賞作より続編的な性質の「四人」、また前段の作品ともいえる「少女たち」のほうが優れていると思う。 「離婚」は男女の機微を軽いタッチで描いた笑話として読まれた。作者、色川に擬された、40歳ほどの一人暮らし独身フリーライターの主人公、羽鳥誠一の住居に、25歳ほどの美女、会津すみ子がその父親の暴力を逃れるべく転がり込み、「ねえ、あたし、お妾にしてくんない」とそのまま同棲したものの、2年ほどして形の上では結婚し、さらに6年後に「離婚」した。が、すみ子は羽鳥の家を出たはずなのに、今度はすみ子の家に羽鳥が住み着いてしまった。

  • [書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫): 極東ブログ

    書標題「シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)」(参照)に含まれる「シリコンバレー」は、米国の情報技術先端地域であり、著者梅田望夫が10年以上も情報産業コンサルタントをしている土地でもある(参照)。標題が意味しているのは、最先端の情報技術の視点から、日の伝統な将棋の世界で得られる最先端技術への啓発である。 将棋を単に優れた伝統だからとして見直すのではない。すでに現代将棋の渦中にあり、伝統を踏まえつつそれを乗り越えようとする若き天才棋士羽生善治の現在の姿のなかに、情報産業の未来のありかたをとらえようとしている点が書の特徴だ。なぜ現代将棋に情報産業の未来を見ることが可能なのだろうか。そこには羽生に始まる現代将棋の天才たちの達成があるからだ。 梅田が羽生に注目したのは、ちょうど梅田が起業した時期にも重なる時期に、将棋専門誌「将棋世界」に連載された羽生による「変わりゆく

    mshkh
    mshkh 2009/05/25
    これはすばらしいエントリ.やっぱりこの本は読もう
  • ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番: 極東ブログ

    30代の終わりだったか40代に入ったころだったか、なぜか毎日、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とピアノ協奏曲第3番を聞かずにはいられない日々があった。脳がそれを欲しているという奇妙な状態だった。だったのかもしれない。あるいは、激だったのかもしれない。そういう精神状態に陥っているときは自分でもよくわからない。不思議な日々だった。 なぜラフマニノフのピアノ協奏曲だったのだろうか。なぜ脳がそれを欲していたのだろうか。神経内のある種のシナプスたちがピアノの離散的な音に反応するみたいだったが、ピアノの演奏ならなんでもよいわけではなかった。複雑な演奏でないといけなかった。 昔からそういう傾向はあった。離散的な音を聞いていると脳がデバッグされるような感じがした。ピアノ曲が好きだったのは、そういう脳の性向の結果に過ぎなかったのかもしれないが、30代まではメロディアスで情感的な曲は好きではなかった。ショ

  • 成人の日に: 極東ブログ

    さっきNHKの「爆笑問題のニッポンの教養 成人の日スペシャル」(参照)という番組を見ていた。爆笑問題(漫才師)、立花隆(評論家・ジャーナリスト)、 糸井重里(コピーライター)、矢口真里(タレント・歌手)という面子。番組は現代らしく、40歳過ぎの面々が一様に、20歳になったからといって大人になったという自覚はなくて、そう思えたのは、40歳過ぎてから、人を雇うにようになってから、子どもができてからみたいな話だった。爆笑問題が二人とも40代半ば、糸井が60歳、立花が68歳で、矢口が25歳ということで、そうだな、俺みたいな50代はなかったが(今年で私は52歳になる)。 話の流れで、糸井さんにお子さんができたのはというのがあって、1981年と聞き、ふーんと思った。33歳くらいにできた子で今27歳くらいになるのだろう。その話はそこでぷつんと切れたが。 番組を見たのは偶然だったが、今日街中で成人式の女性

  • [書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里): 極東ブログ

    今日、NHK教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 とういこと。 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉隆明,・糸井重里)」

  • フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せ: 極東ブログ

    先日NHKラジオ深夜便でフランスからの話を聞いていて、へえと思った。フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せだというのだ。年を取るとあまり幸せなことってないなと自分は思っていたので、意外でもあった。 話は個人的な感想といったものではなく、国立統計経済研究所の発表によるものらしい。同研究所はINSEEというので、ネットでオリジナル情報を探してみたが、サイトはわかったが該当情報はわからなかった。インターネットはフランス語の情報になるとてきめん不便になるような気がするが私がフランス語ができないせいものあるだろう。 統計は、1975年から長期にわたっての分析とのことで、特定の世代や景気の要素は排除されているらしい。つまり、フランス人にしてみると、概ね、65歳を過ぎると人生最高の幸せの時期となるとのことだ。いや、単純になぜなんだろ、うらやましいな、なにか秘訣でもあるのかとしばし思いを巡らした。

    mshkh
    mshkh 2008/12/05
    65歳から70歳が人生で一番幸せっていう社会は,理想の社会のような気がする.今の日本は,いろんな意味でそうではない気がして残念
  • 極東ブログ: 仮にイスラム教徒が米国大統領になったとしてそれが問題なのかとパウエルは問うた

    米国大統領選挙はオバマが勝つだろうというか退屈な話題になった。最終局面ではありがちのネガティブキャンペーンも両陣営から続出したが、そのなかで、オバマはイスラム教徒だというのがあった。これに対して、パウエル元国務長官がオバマを擁護し、オバマを大統領候補として支持した。そのときのワシントンポスト社説”What Colin Powell Also Said”(参照)をとあるきっかけで思い出した。標題は「コリン・パウエルがこうも語った」ということ。つまり、オバマを支持することに加えて重要なもう一つのことを語ったというのだ。 NATURALLY, WHAT garnered the most attention on the day after former secretary of state Colin Powell's endorsement of Sen. Barack Obama was

    mshkh
    mshkh 2008/11/17
    すばらしいエントリ
  • 知人の自殺をきいて: 極東ブログ

    ごく私事といえば私事なのだがなんとなくブログに書いておきたくなった。知人が自殺した。一歳か二歳年上のかただった。パソコン通信時代からの知り合いだった。そのころの知り合いは、私が言わなくてもこのブログのことをは知っているものだが、彼についてははっきりとこのブログを書いていると告げた数少ない人だった。当初は私が珍妙な古代史観をもっていることに興味を引かれたらしくそんな交流をしていたものだった。 あのころの私は今のようにネット上での交友関係から引きこもるふうでもなく、よくオフ会なども出たものだった。でも不思議と奇妙な縁で彼と面識をもつ機会がなく、初めて会ったのはこの夏の終わりだった。そしてそれが最後になった。それから数日して彼は自殺したということになる。 彼とは喫茶店で二時間も尽きぬ話をした。その後の古代史観についても話した。古代史というのは、素人にはトンデモ説花盛りの幻想の領域だし、彼もそこを

  • [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子): 極東ブログ

    流れる星は生きている(藤原てい)で、当時26歳の藤原ていは、6歳の長男正宏、3歳の次男正彦、1か月の長女咲子を連れて壮絶な満州から引き揚げた。「祖国とは国語」(藤原正彦)はその次男、「父への恋文―新田次郎の娘に生まれて」(藤原咲子)はその長女が、それぞれ、それから半世紀の時を経て書いた作品である。 「祖国とは国語」は、数学者藤原正彦が雑誌などに書いたの軽妙なエッセイをまとめたものだが、なかでも雑誌「考える人」に掲載された「満州再訪記」が満州引き揚げに関連して興味深い。彼は、半世紀の年月を経て、彼は自分が生まれた満州の地を母と訪れたかったというのだ。帯の引用がよく伝えている。 混乱の中で脱出した満州の地を訪れることは、長い間、私の夢であった。母の衰えが目立つようになったここ数年は、早く母と一緒に訪れなくては、と年に何度も思った。母が歩けなくなったり、記憶がさらにおぼろになったら、二度と私は、

  • [書評]流れる星は生きている(藤原てい): 極東ブログ

    「流れる星は生きている」(藤原てい)は満州にいた日人家族の引き上げの物語である。家族といっても、この物語に夫の藤原寛人(新田次郎)はなく、26歳の、藤原ていが、6歳の正宏、3歳の正彦(藤原正彦)、1か月の咲子(藤原咲子)のみだ。この幼い子どもを連れて、若い女性が死線をさまよいつつ壮絶な脱出劇を展開する。 この物語は、戦後の大ベストセラーとなり、ある一定の年代以上の日人なら必ず読んでいるものだ。あるいは、書籍で読んでいなくても、テレビでもドラマ化されたので、知らない人はない。 しかし戦後60年近い年月が去り、この物語を読んでいない日人も増えてきたようにも思われる。日人ならこのを読まなくてはいけない、とまで言うつもりはない。率直に言って、現代の日人がこのを直接読んでも、かつての日人が読んだときとはまったく異なることになるのではないだろうか。 このが当初、出版され、読まれた時

  • ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル: 極東ブログ

    この間というかこの数年ハイデガー「技術論」のゲシュテル(Ge-stell)の視点から情報技術や超国家性について折に触れて考えているのだが、うまくまとまらない。そんなことを書くのはつらいし、およそ読みに耐えるものでもなかろうと思っていたのだが、なんとなく年越し前に少し書いておきたくなった。 ハイデガーの「技術論」は一九六三年に発表されたもので、その後七〇年代から八〇年代、九〇年代と、いわゆるテクノロジー来の人間という枠組みで問われてきたように思う。子細に見るなら、七〇年代はサルトル流実存主義の系譜、八〇年代にはニューアカ的な例えばデリダの背景的な後期ハイデガー論とも関係しているだろう。九〇年代には浅薄にジャーナリスティックなハイデガー論も起きたが、今となっては収束したかに見える。現在、ハイデガー「技術論」がどのように問われているのか、もはや時代に問われることはないのか、よくわからない。自

  • [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫): 極東ブログ

    ウィキペディアの赤塚不二夫の項目(参照)は比較的充実しているが、ネットのリソースが多く、漫画以外の赤塚不二夫の単著についての記載はない。来歴の記載もネット上のリソースに偏っていて、誰が執筆したものかはよくわからないが、ヴィレッジセンターの情報(参照)と公認サイト(参照)が参照されている。 参考文献としては、1997年の「ギャグにとり憑かれた男 赤塚不二夫とのマンガ格闘記(長谷邦夫)」(参照)と2005年の「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!(武居俊樹)」(参照)の二点が挙げられている。 赤塚不二夫には平成五年(1993年)にNHK出版から出された書、つまり人による単著の自伝的エッセイ「これでいいのだ」(参照)がある。2002年に日図書センターから刊行された「赤塚不二夫 これでいいのだ (人間の記録)」(参照)は書の改題である。 軍人気質で潔癖、一徹なおやじ、なんでもできてガンバリ屋、

  • 雑感、関心がすれ違っていく: 極東ブログ

    ブログを初めてもうすぐ5年になる。よくやっているなというのと、このところのエントリの書けなさからするともう終わった感もないわけでもない。そのあたりは自分のありかたに自然なままで推移していくしかないだろう。個人のブログなんだし、自分が多少なり社会に問い掛けたい(あるいはそれをもって世相のログとする)という以上には目的のないブログでもあったし、その限界で終わりというものは必ずある。 ただ、「書けなさ」感みたいのは、ある程度は自覚的だ。世間の物事に自分の関心がなくなっている。そしてさらに関心を持たないようにしている自分もいる。そのあたりことを、この間、書かなかったなということの言い訳のようにざっとメモ書きしておきたい。 どこからでもいいのだが、連想のようにして思いつくのは、八王子で起きた無差別殺人だろう。凶器は包丁だったのでさすがにこれを取り締まれというナンセンスな意見は見かけなかった。秋葉原の

  • [書評]母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子): 極東ブログ

    4月に出ただけど暑苦しい夏向けのホラー物、とちゃかしたい気もするが、というかカバーを外した書の装丁のように、少しはそんなアソビっ気もないとやってらんないよなというすごい話がテンコモリでしたよ、「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子)」(参照)は。 表題を見て、何かピンと来た人、とくに女性は、場合によってはこのは劇薬級のインパクトがあると思う。でも、率直に言えば、「鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール」(参照)とか読んで人生をさらにこじらせてしまった人には、そうしたインパクトが必要なのかもしれない。 釣書的にはこう。 母との名状しがたい関係に苦しみながら、それでも罪悪感にとらわれている女性たちが数多く存在している。書では、カウンセリングの経験に基づいて、墓守娘たちの苦しみを具体的に取り上げた。進学、就職、結婚、介護…。どこまでもついてくる母から、どう逃げおおせる

    mshkh
    mshkh 2008/07/09
    心底恐ろしい
  • 極東ブログ: [書評]仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山本ケイイチ)

    仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山ケイイチ)」(参照)だが、最初書名を見たとき、「ああ、これは最近乱造されているネタかな」と思って敬遠していたのだが、なんとなく面白いのではないかなとも思ったので購入し、ざっと目次でもブラウズするつもりが、ぐいぐいと引かれてそのまま読み切った。面白かった。知らないことをこので知ったという部分はそれほどないが、読みながら、現代日やこれからの日社会がどういうふうに変化していくか、ある具体的なビジョンが得られたように思った。 ということは、書名「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」が当然暗示するような、「筋トレすれば仕事ができるようになる」だから「こうやって筋トレしなさい」ということがこのの面白さではなかった。その話が描かれていないわけではないし、筆者は、一流の筋トレのトレーナーとして多くの人にきちんと筋トレをやって欲しいと願っていることは

    mshkh
    mshkh 2008/07/06
    そういうグロテスクな雰囲気は何となく感じますね.アメリカンな価値観のせいかとも思ってたのですが,根は深いかも?メタボに対する扱いもそうですが,なんか歪な感じがします
  • 対馬丸メモリアルデー: 極東ブログ

    1944年の8月22日、那覇港から出た学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷により撃沈された。氏名判明者に限定すれば、学童775人を含む1418人の民間人がこの攻撃で殺された。僅かに59人の学童は救出された。この殺戮については日では当時機密ということになったが、県民の多くは戦中この惨劇を知っていたようだ。 それから60年を経た今日、この惨事を追悼すべく、那覇市若狭の遭難学童慰霊「小桜の塔」近くに「対馬丸記念館」(参照)が開館されることになった。 なぜこれほどの惨事になったのか、なぜ米軍は民間人を大量殺戮したのか。しかし、冷徹に歴史を見ればそれほど不思議はない。当時187隻の疎開船により約8万人にもが安全に疎開できていた。また、米軍はすでに商船も攻撃対象としていた。対馬丸は商船と見られていた。 当時、潜水艦ボーフィン号で魚雷発射任務に就いていた米海軍下士

  • 米国モルモン教徒とリアリティショーのこと: 極東ブログ

    書こうか書くまいか気になっていたけど、簡単に書いておこう。そしてこの話題、ごく簡単に最近流行の3行で言え的に言うと、タイトルは、「米国におけるモルモン教徒とリアリティショーの関係について」だ。 米国のリアリティショーでモルモン教徒が目立つようになった。リアリティショーというのは、実録物で、「サバイバー」(参照)などがある。日でも以前、似たようなのがあったし今でもあるのかもしれない。 モルモン教徒とリアリティショーというと、たぶん、普通の米人なら、「ああ、あれか」、「そうだよね」というふうに普通にわかることで、しかし、だからといって日人が知っておくべきことでもないような、ちょっと微妙な話題だ。ただ、この話題の根には日社会の今後の変化に関係する何かがありそうな感じはする。 気になっていたきっかけは、日版ニューズウィーク日版5・28の記事”元気印のモルモン教徒”というコラムだ。副題は「