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差別。「差別はいけません」。「なくそう差別」。 うーーん。どうなんでしょうね。ちょっと、小山エミ(こやま・えみ、macska)さんの解説を みてみましょう。 macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え まず、一番大事なこと。わたしは「差別」という言葉で社会の諸制度や、それを含んだ社会システムのことを指す用法を取り、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為や発言などは「差別的」と呼んで区別している。つまり、特定の人々に対して「不利益・不平等な扱いをすること」という行為のレベルではなく、特定の人々が「不利益・不平等な扱い」を受けるような社会のありかたを「差別」と呼び、個々の不平等な扱いは「差別的」もしくは「差別行為」として区別している。それは、「差別」とは主に社会のありかたの問題であり、個々の行為や発言などのことではないと考えているから。 いやあ、すばらしい。そのとおりですよね。
20 スティグマ論 20−1 社会的弱者を苦しめる社会心理現象 役割としての社会的弱者 この章では、権力作用の問題を〈医療と福祉の対象となる人びと〉を中心に考えてみよう。 このような人びとは、どのような役割を担っている人びとだろうか。たとえば、それは子ども・高齢者・病者・障害者・低所得者・失業者・公害被害者といった役割である。これらの役割におかれている人びとは一般に「社会的弱者」とよばれている。能力中心主義の近代産業社会にあって、社会的弱者はなんらかの不利益をこうむることが多かった。そこで現代社会では、さまざまな福祉サービスを保障することによって、実質的な平等への努力がなされつつある。 とはいうものの、社会的弱者は一般に暴力や犯罪の対象にされやすいし▼1、こと企業社会においては、あいも変わらず成年男子の健常者中心の組織文化が支配している▼2。 それでも、弱者への暴力や犯罪・酷使といった逆行
インターネットに掲示するにあたって 1992年に活字にした「戸籍制度」というこの論文は、「嫡出推定・否認制度の将来」以上に古い論文であるが、日本家族法理解のためには必須の情報であると考えるので、インターネットに掲示することにした。いわゆる「300日」問題が生じたのも、戸籍制度故であって、民法の嫡出推定制度の問題ではない。 日本の戸籍制度がどれほど特異な制度であるのかは、それが存在する社会の中に長年暮らしている我々には実感できない。これほどに完璧に国民の身分を把握できる制度を作り上げ、また公開原則の下で運営してきたことが、日本人の生活にとってどれほど大きな意味を持ったのか、はかりしれないものがある。 平成19年5月11日法律第35号によって戸籍法の公開原則は、従来より大幅に制限されることとなった。待たれていた必要な改正であったが、最終的な改正は、私の希望していた水準よりはかなり後退した制限と
日本国憲法では、国民という言葉が使われていますが、国民という言葉は国籍法でしか定義されていません。国籍法では国籍のあるものが国民と定義されています。国籍という言葉の定義はどこにあるのでしょう?現在は戸籍のあるものが国籍所有者とされています。戸籍に不備がある場合は、法務省が国籍の確認をしてくれるようです。法務省は何をもとに国籍の確認をするのでしょう? 戸籍ができたのはいつでしょうか? 歴史の教科書を見ると、 中国の唐の律令制度に倣って、文武天皇の701年に大宝律令が完成し、行政組織や行政区が整備されたのに伴い、人民を戸籍・記帳に登録させたとあります。戸籍には戸主とその家族の姓名・年齢などが記され、さらにその下にいろいろな注記があったようです。戸籍は6年ごとにつくられ、それにもとづいて班田収授法により、6歳以上の男女に一定額の口分田が与えられました。男子が約11.7アール、女子がその3分
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
戸籍とは、身分登録簿です。かつての奴隷簿です。奴隷所有者が、自分の所有する奴隷を記録するために作った帳簿なのです。それゆえ、所有者は記載されません。ですから、日本国民(ここでは日本国籍を有する者とします)全てが戸籍に記載されているかと言えば、そんなことはないのです。戸籍に記載されていない(戸籍に記載することができない)人はいるのです。それは、皇族です。皇族は、未だに戸籍上支配者であり続けているのです。その証拠に、皇族には姓がありません。名しかないのです。中学校の歴史の授業で、明治時代に誰もが名字を付けることができるようになったと、まるで権利獲得のように習った記憶はありませんか? しかし実際は戸籍編さんに当って、姓というインデックスが必要だったため(全国民を戸籍に記載し、管理支配する目論見があったため)なのです。姓の文化がなかったアイヌの人々や独自の文化を持つ琉球の人々にも、姓は強制されまし
やはり障害者差別の本質は、施設にあるのだと思う。 町でいろんなトラブルが起こる。 けれどもそれらはすべて人前で起こる。 だから、衆目にさらされることで、社会に何らかの動揺をもたらしうる。 けれども、施設内で起こることは、たとえ職員のネグレクトによる見殺しであろうとも、一切問題にならない。 今、施設(の管理者)と大きくもめている。 たとえ施設内で、入所者の人権侵害があったとしても、救済の手立てはほとんどない。 施設という大型組織は、それを隠し通せるだけの権威をもっている。 施設の理念には、利用者の自主性と主体性を尊重するという文句が大きく掲げられている。 しかし実態は、すべて施設管理者の判断で入所者の生活・行動が決定される。 見えないところで何かをしたら、お仕置きがまっている。 今日は、ある知的障害者と夜遅くまで格闘。 怒声の浴びせあい。 今日の彼はかなりいっちゃっていた。やばい目つき、声。
昨晩は、昨日も書いたとおり、ある知的障害者と大もめ。 怒声をかなり浴びたため、あまり寝つけず5時前に目が覚める。 今日は、朝早くから、とある施設入所者のガイヘル。神戸に日帰り旅行。 ただの日帰り旅行だが、施設とこれも大もめ。 これを許可するだけでも、施設側はかなりしぶり、しかもこちらがそれなりに譲歩すると、優越感たっぷりに、外出させてあげているんですよ、感謝してほしいわよ、これからは私たちの言うことをちゃんと聞くのよ、って感じの、対応。 われわれアテンダントが施設のいいなりにならないと、ぶち切れするタイプの人々。 いうまでもなく、本人が施設の意向に従わなければ、指導、しつけの応酬。 ちょっと施設の言うなりになってあげると、あげくのはてになんというと、若い20代くらいの施設職員が50代の大人の障害者に向かって、 「ようやくKさんも社会人としての常識が身についてきましたね」と。 これは実は施設
いろんな はなしを します。 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー いろいろと反響を いただきました。 さて。わたしが気になるのは、民族的少数派が どのように主張しようとも、「民族的なもの」として色づけられる。それにたいして、社会の多数派による議論は、「民族的に色づけられる」ことなく、「正論か、だめな議論か」という点で評価されるということでした。この非対称な関係が、気になるわけです。 「ヤマト人」「和人」と いわれて、ぱっとくる ひとは、ほとんど いないと おもいます。わたしも そうです。なにが なんだかです。けれども、それは そのように名づけられてこなかったからではないでしょうか。もし、日常的に「ヤマト人」や「和人」と よばれつづけていれば、自覚を もってみたり、あるいは違和感を もってみたりする。そして、そのようなカテ
ひらがな だけの ぶんしょうは、よみにくすぎて たまらない。さいきん、よく いわれる。 ひらがなせいかつ を はじめてから だいぶ たっていて かなり めが なれたし、しんりてきな ていこうも まったく なくなった ぼく ですら、よみやすさの ひかくをすれば、あっとうてきに かなかんじまじりぶん (いか、よくつかうのに ながくて よみにくいので、かかまぶん と よぶことにします。わわ) の ほうが よみやすいと かんじるのだから、さいしょから うけいれる きが まったくない ひとたちが、そう いいたくなる きもちは 120% りかいできる。 すこし あたまの おかしい ぼくだけが こういう はためいわくな ことを かってに やるのなら まだしも、なにか しんえんな いとがあるに ちがいないと かんちがいした おひとよしたちが こんなくだらないことを まねしはじめては たまらないと、ないしん
— あるいはマイノリティーの運動における共同幻想の論理 — 豊田 正弘 はじめに 本稿の主要な目的は、本質的に社会全体で取り組まれなければならない問題、あるいは社会の歪みから派生している問題など、元来社会がその責務を負うべき様々な社会問題が、社会全体の問題とされることなく、狭義の当事者性に封じ込められていることの現状と問題点とを明らかにすることである。 問題の本質の社会性にも関わらず、マイノリティと称される社会的少数者の問題の多くが同様の現状にあり、この現状は深化することによって問題の本質を拡散させる傾向にある。例えばそれは障害者、在日韓国・朝鮮人、あるいは外国人、女性、被差別部落などの問題である。これらの問題はいずれも社会的なそれであるにも関わらず、一方では当事者の問題と言われる。あるいは自衛隊演習場・在日米軍基地・原子力発電所・ダム・ごみ処分地などの様々な施設、道路・空港・港湾施設など
柴村仁が嫌いである。 いやまあ、本人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している
金石範さんが、1994年に「週刊金曜日」(!)に書かれた「天皇制とチマ・チョゴリ」という文章があります。 金石範さんは、その昔、強制されていた外国人登録証の指紋押捺を拒否されていた方であり、トーロク(わたしは、こう読んでいます。外登証とは言いません)の「常時携帯」にも反対をされていて、ふだんは、机の引き出しの片隅へ放りこんだままにされていたそうです。もし、外出先などで「不携帯」が見つかり、警察へ連行されたとしても、それなりに対処しようと思われていたそうで、それよりも、毎日トーロクを軀(からだ)にまとって歩くことのほうが、面倒なだけでなく、他に原因のない気分の悪さに見舞われたりする、だから不携帯であった、そのように書かれていました。 この「天皇制とチマ・チョゴリ」の冒頭部のこのくだりを読みながら、わたしは、とてもうんうんとうなずいていました。わたしも、普段はトーロクは不携帯で、もし「不携帯
“裏”日記に「怪獣使いと少年」に関して書いた事もう少し突っ込んで語ってみたいと思います。 ただ、ちょっとコアな部分にも触れる事になるので、一応“隠しページ”扱いとし、御意見、御感想等がございましたら、掲示板は御遠慮願い、メールにてと言うカタチをとらせて頂きますので、御協力の程を・・・ これが作られた時代は70年代初頭で、この頃の社会問題やら人種問題がかなり色濃く反映されてます。 ただ“直接的”にそうだとは語られていない為に今までおめこぼしを受けてる様なもので、ヘタしたらセブンの「遊星より愛をこめて」や怪奇大作戦の「狂気人間」以上に、相当“ヤバイ”空気を孕んでます。 ホント、よく今まで人権なんたら協会とか、そのテの“オツムの不自由な方々”にインネン付けられなかったもんだと思いますよ(まぁ、これからは分からんけどね(^^;) この回のテーマの大きな柱になってるものの1つは、ズバリ“偏見”と“差
「自分の身を守るために、ほかに方法がない時にしか争ってはいけない。そして戦うなら、左手のみ。利き手の右は絶対に使わないこと」。少年の父親は常にこう諭しながら、彼にテコンドーの特訓をしていたそうです。 この15歳になる少年は、数年前に家族とともに韓国からカナダに移住してきました。トロント北部にあるオンタリオ州ケスウィックという小さな町に住み始めたのですが、ここの住民はほとんどが白人。アジア系はあまりいないそうです。いま、少年が通っている高校もアジア系の生徒は10人にも達しません。そして残念なことにマイノリティである彼らは、イジメのターゲットにもなりやすかったのです。 ある日の体育の時間。白人の生徒が少年に向かって人種差別的な悪口を叫びました。彼に近寄るとケンカ腰になり、肩もぶつけてきます。それでも少年は父親の“教え”を守って、手出しをせずに黙っていました。 しかし、今度は顔をめがけて殴りかか
2009年05月01日 通称(通名)が犯罪の温床だっていう嘘っぱち!! 先日から「在日特権」とか妄言に関わっている性で、ちょっと「名前」というものに興味が沸いてきた。 戸籍の名前って、本人確認の役に立つの? 外国人登録証の「通称」って、本人確認の役に立たないの? で、外国人登録について、ちょっと調べてみた。 ネット内には、2つの誤解があると思った。 ①外国人登録証の「通称」は、コロコロ変えられて、そのたび別人扱い。しかも履歴が残らない。 ②外国人登録者は「転出届」がないので、住所の履歴がない。だから犯罪を犯してもさかのぼって追跡できない。 上記は、ふたつとも「×」。 正解は ①外国人登録証の「通称」の履歴はバッチリ記載される!ついでに、外国人登録原票に記載されるから、履歴はバッチリ残る。 (役所に問い合わせたら「通称の変更履歴は、外国人登録証に記載されていく」のだそう。
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