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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (15)

  • 京都アニメーション放火事件: 極東ブログ

    個人的な視点で平成史を書いていてその後中断しているが、平成初年の陰惨な事件を振り返ったとき、それが平成という時代の幕開けを象徴していたかのような錯覚を覚えたものだった。そして、令和という時代が始まったときも、そこは人の世である、なにか時代を象徴するような陰惨な事件が起こるのかもしれない、という、不安のような取り越し苦労のような直感があった。そんな思いが、ずっと鈍く重く続いていた。そして、昨日の京都アニメーション放火事件を知り、ああ、これか、とうなだれる思いがあった。亡くなられた方に哀悼したい。 真相はわかっていない。だが、知りうる範囲だけでも不気味な事件に思えた。まず、これはテロ事件であると捉えてよいように思うが、何がテロかという問題は難しく、今回の事件政治的な意図をもつ旧来型のテロとはいえないだろう。むしろこの事件のテロ的な意味合いが「令和」を象徴するものになりそうだ。 33人が亡くな

    nisemono_san
    nisemono_san 2019/07/19
    この反応がまさに典型なのだが「無意識では勘づいている(でなければこんな反応は起きない)のだが、直視できないので了解不能なところを凝視する」という否認形態が何処に行っても見られるのが興味深い。
  • [書評]不可知の雲(The Cloud of unknowing): 極東ブログ

    「不可知の雲(The Cloud of unknowing)」は、14世紀末中世の英国で書かれた瞑想のガイドブックあるいは指導書である。かなり割り切って言えば、瞑想のハウツーである。 なんのための瞑想か。神を知り、原罪の苦しみを軽減するいうことだが、現代人にとって精神的に得るところ部分だけ取り上げれば、つらい気持ち、、怒りといった心に安らぎをもたらすことである。その点では、禅やその他の宗教の瞑想とそれほど変わらないとも言えるだろうし、道元の禅によく似ているとも思った。 当然、なんともスピリチュアルなであるし、実際にキリスト教神秘主義の有名な著作でもある。作者の名前は伝わっていない。匿名ということだが、これは謙遜として名を残さなかったということなのだろう。 このを読むきっかけは偶然だった。先日、スワミ・ラマの自伝(参照)を読んで、近代インドにおけるキリスト教神秘主義を知り、その関連の

  • [書評]知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン): 極東ブログ

    [書評]知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで(イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン) 思想や知識について現代日人の私たちは、定式として扱いがちだ。例えば、リベラリズムなど何々イズム。あるいは概念。例えば、一般意志、絶対精神といったもの。そしてそれをつい思想家または思想家の系譜として考えてしまう。リベラリズムなら、ジョン・ロックやジョン・スチュアート・ミルなど。概念についてはそれを生み出した思想家としてルソーやヘーゲルといったふうに。その配列や一覧表が思想史や思想と呼ばれてしまい、あたかも現代社会に生きて知を営むありかたが、その帰結であるように考えてしまうことがある。 だが思想や知識というものは社会への機能からすれば、それらを枠付ける、知の制度にこそ重要な意味を持つのではないか。別の言い方をすれば、リベラリズム、一般意志、絶対精神といっ

  • コンベクションオーブンとスロークッカー: 極東ブログ

    ココログ投稿できるのかテ・ス・ト。 先日日記にしょろっと料理のコツみたいなしょうもないことを書いた(参照)。要点は、料理なんてものは二十分以上も手間かけるもんじゃないよということ。料理が好きな人もいるだろうし、母の手作りとか嘘くさいこと言う人もいるけど、実際の生活、夕作りに二十分以上もかかるようだと嫌になってしまう。やってられるかよ。やってらんなきゃ、外とか中とかデパチカになる。というわけで、日頃の事なんてさっさとやってできるだけ健康ない物で嫌いでないレパートリーを巡回するだけ、でいいと思う。 それでも、できたら、ということで、鍋とフライパンは厚手のしっかりしたン万円のがいいと思うし、浄水器もン万円のがいいだろうとは思う。できたらということだけど。そんなのに併せてコンベクションオーブンもお勧めした。 「デロンギ・コンベクションオーブン」だが、私が使っているのは旧型。東京に引っ越す

  • フランス新移民法案、雑感: 極東ブログ

    結局それが政治ってもんかなと考えてもみるのだが、フランスの新移民法案は十六日上院でも可決した。下院では先月十七日に可決していた。話が少し古くなったせいかネットのリソースは少ない。共同で残っていたのが”仏・新移民法が成立”(参照)である。新移民法案の問題点が簡素に描かれている。一言で言えば、フランス社会から移民を排除していこうとするものだ。 新移民法は、移民が家族を呼び寄せる条件などを厳しくする一方、優秀な外国人は積極的に受け入れるとする内容。 また、不法移民が10年間住めば滞在許可証を取得できる従来の手続きを廃止。これまでフランス人と結婚した外国人は2年後に滞在許可証を取得できたが、3年後に変更した。このほか、移民を仏社会に融合させるため、10年間の滞在許可証を取る際にフランス語習得を義務づけた。 記事はこれに続き、野党からの批判などが多少加わっている。問題の波及というか深刻さは朝日新聞”

  • 手抜きうどんの作り方: 極東ブログ

    うどんの作り方というのはネットにもにもあると思うし、これから紹介する手抜きうどんこと、簡単うどんの作り方もあるのかもしれない。それはそれとして、私のやりかたを、連休でもあり、ご紹介。慣れれば15分ほどでうどんができあがる。 二人前で。 うどん粉だが、これは私はパンに使う「はるゆたかブレンド」を流用している。うどんには国産の地粉がよいと言われているし、自分でも以前はそうしていたが、パン作りと別の粉を管理のするのがめんどくさい。地粉だと中力粉に相当するがパン用「はるゆたかブレンド」は強力粉。粉のうまみはあまりないけど、同じくパン用のカメリア粉でもいいとは思う。これを300g。量は計量すること。 水は150cc。つまり、粉の半分。粉によって水量が違うかもしれないが、そうむずかしいことは言わない。これに塩を大さじ一杯弱入れて溶かす。自然塩(海塩)がいいだろう。たぶん、普通のうどんよりも塩分は少な

  • 米の研ぎ方・飯の炊き方: 極東ブログ

    身近な者が、「米はあまり研いではいけない」といった話をしているので、なんとなく聞いていると、どうにも馬鹿なことばかりいうので、つい「その馬鹿な話はどこから聞いてきたのか」と問うと「あるある大事典」らしい。この番組は私はまれにしか見ない。まだネットにサマリーは出てないので、馬鹿話がその番組どおりかわかからないが、米の研ぎ方・飯の炊き方について、以前ネットで試しに調べて唖然としたことがあったので、実践的な方法を書いておくのもいいのかもしれない。というわけで、書いておこう。 と、人の方法を馬鹿だのぬかすわりに、以下の方法が正解というものでもない(この手のことはそんなものだ)が、私はこれで通していてなんら問題ない。私がっている飯よりうまい飯にありつくこともあまりないので、これでいいのではないか。なお、米の話は今日はあえてしない。 まず研ぎ方。研ぐには木桶がいいようだが、なければしかたない。いわゆ

  • 「センター試験以降の世代」という壁と知識化人: 極東ブログ

    草莽堂さんのココログ@ニフティから興味深い指摘を受けて、実はこのことを考えていたこともあって、ちょっと書いてみたい。ただ、話はかなり難しくなってしまうだろうと思う。まず、草莽堂さんの日記からの引用。 外から「センター試験以降世代」と規定されちゃうと、規定されちゃった人はどうしようもない(規定された側はどうしたらそうした規定の外に出られるのか分からない。出たつもりでいても、判定者が「出てない」と言えば、そうなのかと頷かざるを得ない)という側面があって、その点少し引っかかるのだが、極東ブログさんが「人間」に寄せる思いは少し分かる気がする。 それはわかる気がする。バカの壁ではないが、センター試験以降の世代の壁みたいなものを自分が作り出しているなという反省は、多々ある。というのは、自分もかつて若い世代だったし、団塊の世代のちょうど下にいたので、かつて私も団塊さんとかに理屈をこくと単純に「音を言え

  • ブッククロッシング(bookcrossing): 極東ブログ

    先週の話になるが、英国の公共放送BBCがブッククロッシング(bookcrossing)の支援を始めた。ブッククロッシングは、書籍を共有物として社会のみんなで読み回すという試みだ。たとえば、駅のベンチにを意図的に置いていく(あたかも置き忘れたかのように)。それを別の誰かが拾って読む。読んだらまたどこかに置いておく。別の人が拾って読む…。こうしてみんながそのを読む。これがブッククロッシング。のほうにもそういう意図のラベル(あるいは電子タグ)を付けておく。インターネットなども連携して、拾ったの感想などを書き込む。国際的にはbookcrossing.com(参照)が有名だ。 BBC主導のブッククロッシングの試みについては、インディペンデント"Bookcrossing scheme puts paperbacks into the 'wild'"(参照)が詳しい。ここに、英国のブッククロッシ

  • 罪のない者と罪を犯したことのない者: 極東ブログ

    ブログだったか他の記事だったかごく最近のことだが、ネットを眺めていて、このところ何回か、「あなたたちの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」というヨハネ八章の聖句を見かけた。いや、正確に言うと「罪を犯したことのない者が」という表現だったと思う。そのあたりで、あれ?という感じがした。この聖句の引用のされかたの文脈もあれれ?という感じがしたが、それは以前からそうでもあるのだが。 「罪を犯したことのない者が」としている日語の聖書があるのだろうかと疑問に思った。福音派の新改訳だろうか。自分ではカトリックの響きがするなと思って、ちとグーグル先生に聞いてみると新共同訳のようでもある。カトリック教義との妥協的な表現なのか、あるいは日語だと「罪」という言葉につられて「犯して」という成語になっただけだろうか。手元にギリシア語の聖書がないのだがここでの「罪」αμαρτιαだろうか。ヨハネ書な

  • 日本文化の誤訳のほうがわかりやすいとか: 極東ブログ

    雑談である。昨年の日版ニューズウィーク12・14号のカバーは「ニッポンを誤訳するアメリカ」というものだった。話は映画『SAYURI』に寄せて書かれたもので、リードには「芸者を演じるのは中国人女優、せりふは英語。話題作『SAYURI』が映すハリウッドの誤解と偏見の元凶に迫る」とある。記事の英語版はネットに見あたらないようだが、あるだろうか。で、この記事だが、日通のデーナ・ルイス女史も加わっているせいか、読めたもんにはなっている。もう一つ釣りを引用する。 いよいよ日米で同時公開される映画『SAYURI』が描くのは 中国人女優が英語のせりふで芸者を演じる、ファンタジーとしての日 文化を「意訳」するハリウッドの手法はステレオタイプを助長し 日への誤解やアジア文化の混同をさらにアメリカ人の間に広めかねない そうはいっても、日文化を広く米人に理解させようとしても無理は無理。となると逆に、相手

  • [書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所): 極東ブログ

    米国の有名なシンクタンクの一つであり、インターネットの生みの親とも言えるランド研究所が人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊ののリストを昨年年末に提示していた。”50 Books for Thinking About the Future Human Condition”(参照)がそれである。各書籍にはなぜそれが重要かという簡単な解説もある。 日人にしてみるとこうした書籍はできるだけ邦訳で読みたいものだ。なので、この機に邦訳があるものの対比リストをざっくりとだが作成してみた。 間違いもあるかもしれない。邦訳がないもので自分のわかる範囲については代替のを挙げておいた。 なお、米国のシンクタンクの重要性については、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文春新書)」(参照)を一読されるといいだろう。 過去 The New Penguin History of the World 図説 世

  • 人生ゲームから自由意志について偽科学哲学的に考える: 極東ブログ

    人生ゲーム? いや、いいよ。と、その先は言葉を飲む。そんなの大の大人のするゲームじゃないよ、人生っていうのはだな云々。 しかし、横目で見るとルーレットが回っている。あれ? そういう仕様だったか、昔。思い出すに、子供のころから人生ゲームっていうのはやったことがなかったか。三十代、一時期モノポリーに嵌ったのでそんな気がするだけか。あれはエグイ面子でやると実に愉快というか不愉快なゲームである。ほいでこれはダイス(さいころ)だったか。バックギャモンのように欧米のゲームらしく、ダイスを二つ使っていた。もっともバックギャモンの場合は云々。 人生というのはルーレットかダイスのようなものではある…と若いころも思った。十代とか二十代の頃。あの頃、私は人間に当に自由意志というものが存在するのかと考えていた。 例えば、一つのダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一。さて、この命題は正しいか。議論を端折るが、こ

  • クリスマスが象徴する神の愚かさ: 極東ブログ

    またクリスマスが来る。毎年よくやってくるものだと思う。毎年やってくるのはクリスマスと限らないのだが、なにかとそこに刻む思いが多いのでそんな気がするのだろう。信仰という意味での宗教に私はほとんど関心を失ったが、逆に神学者ティリヒについてはその組織神学を学ぶより平易に米語で説かれた説教集のほうが歳を取るにつれ心に響くようになった。そりゃ組織神学など凡人まして日人には理解できないからだとも思っていたが、逆なのかもしれない。ティリヒは説教においてその組織神学を越えるなにかを語っていたのではないか。 第三説教集「永遠の今」には「考え方では大人となりなさい」という題の説教があり、終わりのほうにクリスマスの言及がある。クリスマスの際の説教であろうか。標題は凡庸なまさにお説教という印象を与えるし、最初に引かれる聖句(第一コリント一四の二〇)もそれだけ読めば特にどうということはない。訳は白水社著作集より。

  • iPodが学習ツールとして普及すればいいのに: 極東ブログ

    「キャンパスはiPod革命前夜」という記事が今週のニューズウィーク日版があった。話は大学の講義がアイポッド用に配信されるというのだ。そりゃそうだろうなと前から思っていたので、現状の確認という感じで記事を読んだ。すでに始まっている大学もあるようだが、概ねこれかららしい。そのあたりが邦題の「革命前夜」であろう。原題は "Professor in Your Pocket"でオリジナルはMSNBCのサイト(参照)で読める。 米国は以前からオーディオブックの文化でもあり(特に啓蒙書の音読を通勤に聞くというのが多いようだ)、大学の講義などもそうなるだろうとは思った。が、実際の米国の講義というのはディスカッションや演習が多いので、アイポッドで聞く講義の部分はリーディング・アサインメントの延長のようなものでもあるのだろう。日の一般的な大学の講義のほうがアイポッドに向いているのかもしれない。と書いたとこ

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