ちょっと前の科学論のところで「抽象とは何か」についてなんとなく考えていて、ちょっとゲイジュツ方面についてまでヨタが回ってきたので書いてみます。 こないだ科学は現実世界を抽象化した「地図」である、といったように、「抽象化」というのは大体、ごちゃごちゃした「ナマ」の何かから要素を抽出して単純化したりモデル化したり、という作業なわけですよね。 でまあ、世間的な用例として「抽象的な絵」だとか「抽象的な表現」とかよく言いますね。 例えば上に掲げたカンディンスキーとか、典型的な「抽象画」です。 でも待てよ。 じゃあこの絵は何を「抽象」しているのか? そもそも何かを「抽象」していることがこの絵にとって重要なことなのか? とか思ってしまったわけです。 私の感覚では、この絵を味わうにあたってそれが何の「抽象」であるかはそれほど重要ではありません。それよりも大事なのは、色であり、配置であり、質感であり、筆致で
![2007-01-20](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)