日本人は歴史好きといわれるが、大人になってから学び直す機会は少ない。歴史に材を取った小説やドラマも古い学説にのっとっていることが多く、最新の研究成果が一般の人まで届いていないのだ。●「意識の移植」が問う倫理 脳科学者・渡辺正峰氏 令和の知をひらく(1)●ネットの「無」に抗う時 作家・上田岳弘氏 令和の知をひらく(2)●他者の性と欲望認める 哲学者・千葉雅也氏 令和の知をひらく(3)大学で教え
ついこの間、ツイッターで「海外にいるのにネトウヨになってしまう人間って何が起こっているんだろう」という意見を見た。気持ちはわかる。ツイッターで海外情報を発信する様な人って、海外のリベラルな雰囲気が好きな人が多いし、多くは海外在住だ。そうした人の周りに集まるのはやはり似たような思想の人。「海外に行きさえすれば、差別発言に敏感になる」と思う様になるのも無理もない。 自分も海外に約7年住んでいた。外国人のみならず、海外在住の日本人も人種差別に断固反対、ネトウヨなんてもってのほかという人が多い。日本在住の日本人がなんの気もなしにポロリと漏らす一言が海外なら顔をしかめられる程の差別発言だったりする事があるのも身に染みているし、同じ日本人としてちょっと恥ずかしいと思う事もある。 ただ、そんな私も昔ネトウヨになりかけていた。今では恥ずかしい黒歴史だが、11歳の時に親の都合で某欧米諸国に移住、高校卒業まで
教育勅語が出されてから50年後、1940年に明治神宮外苑で開かれた記念式典。平成の現在も一部の国会議員は、全文の額を掲げたり、「奉読会」に参加したりするが…… 国民の代表たる国会が戦後に否定した127年前の文書について、閣僚が「取り戻そう」と叫ぶ平成ニッポンである。文書とは、森友学園問題で注目された「教育勅語」。稲田朋美防衛相をはじめ、安倍晋三政権の周辺には肯定論を唱える人が多い。彼らの主張は正しいのか?【吉井理記】 「皇国史観」と「国家への服従」思想 明治期、「古くて偏向」と改定の動き 戦時期には「玉砕」を助長 まず教育勅語を読んでみよう。戦前・戦中は小学校令などでは勅語の写し(謄本)に最敬礼するのが義務だったが、今は平成の世である。落ち着いて読んでほしい。 教育勅語は、1890年に明治天皇が国民に与えた。戦前教育のベースとされたが、敗戦後の1948年に「主権在君や神話的国体観に基づき、
七・七人民大集会において華僑青年闘争委員会の代表が行った発言の要旨を次に掲載する。これはメモから再生したものなので不正確であることを免れないが、文責はすべて編集局にある。 本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君! 本日盧溝橋三十三周年にあたって、在日朝鮮人・中国人の闘いが日本の階級闘争を告発しているということを確認しなければならない。芦溝橋三十三周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人民はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない。 今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった。 今日、日・朝・中人民が分離されたかたちでマルクス主義が語られており、日本国家権力と日本人民、日本国家権力
ライデン大学から名誉学位を授与(1965年) ロバート・キング・マートン(Robert King Merton、1910年7月4日 - 2003年2月23日)は、アメリカの社会学者。 略歴[編集] フィラデルフィアのスラムの、ユダヤ系ロシア人の家庭に生まれる。南フィラデルフィア高校の生徒の時代、マートンはカーネギー図書館やカーティス音楽院やフィラデルフィア美術館等の文化施設に足繁く通っていた。姉の恋人の影響で手品師を当初目指し、手品の舞台でのステージネームがRobert Mertonであった[1]。テンプル大学で奨学金を貰う際にもこの名前を用い、それから終生この名前を名乗るようになった。生来の名前はMeyer Robert Schkolnickである。テンプル大学の指導教授ジョージ・E・シンプソンに連れられてアメリカ社会学会の年次総会に出席し、そこでハーバード大学教授のピティリム・ソローキ
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