吾妻連峰雪山遭難事故(あづまれんぽうゆきやまそうなんじこ)とは、1994年(平成6年)2月11日からの三連休を利用して吾妻連峰に出掛けた山スキーパーティー7名のうち5名が死亡した遭難事故[1]。山スキーの聖地として人気を集めてきた吾妻連峰で起きた大きな遭難事故のうちの一つに挙げられ、山岳遭難事故史上に残るものとされる[2]。 概要[編集] 山行二日目の2月12日、家形山避難小屋(標高1700 m〈メートル〉)から滑川温泉(標高850 m)へ下って宿泊する予定だった山スキー7名の一行は、温泉へと向かう霧ノ平の分岐点(標高1300 m)の標柱を見つけられないまま彷徨った末、結局もとの家形山避難小屋へと戻ることとなり、その途上、雪洞を掘って一夜を明かす[3][注釈 1]。連休最終日の2月13日、低い気温に加えて朝から強風が吹き荒れるなか、家形山方面へ向けて山行を続けていた一行は、正午過ぎ、強風帯