「優しくて立派な人」と聞いていた祖父はなぜ、住民を戦闘に巻き込む非情な決断を下したのか-。75年前の沖縄戦で旧日本陸軍第32軍を率いた牛島満司令官(1887~1945)の孫、牛島貞満さん(66)=東京都=はその答えを探すため、沖縄に足を運び続ける。「過去に目をつむるのではなく、事実を未来に生かす。それが祖父と1文字違いの名を持つ孫の宿命と思っている」。沖縄戦体験者の証言に耳を傾ける中で、あの戦争の現実が見えてきた。 【写真】祖父の牛島満司令官 祖母の家の応接間には、軍服姿の祖父の大きな写真が飾られていた。祖父が自決した日と伝わる6月22日には一家総出で靖国神社を参拝していたが、中学2年からはついて行くのをやめた。文献を読んで沖縄戦や司令官としての祖父を知り、周囲の評価とのギャップに疑問を抱くようになっていた。祖父は沖縄本島南部へ撤退し、持久戦を続ける決断をした。その結果、多くの住民が犠牲と
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