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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (14)

  • 坂口安吾 明日は天気になれ

    私は二ヶ月前からゴルフをはじめた。しかしゴルフ道具一式は何年も前から持っていた。ゴルフもボールも何ダースも買いこんで持っていたが、二ヶ月前までゴルフをやらなかったのである。 なぜやらなかったかというとむろん然るべき理由はある。そしてそれは一つの訓戒を守ったためであるけれども、訓戒を守ることは大切だということを、その結果として近ごろ痛感しているのである。 私は子供の時から胃弱で、それが唯一の持病である。そのため適度の運動が必要で、終戦後キャッチボールをやった。手軽にできる運動はそれだけだからだ。 ところが私の年齢ではキャッチボールは無理だ。十ぐらい投げただけで肩の痛さが堪えがたくなり、運動の役にたたない。 そのとき、さる人がゴルフをすすめて、胃弱にこれぐらい適当なスポーツはないから是非これにしなさい、道具を格安でゆずろうという。その人は大金満家でゴルフ狂であったから、最高級のゴルフセットを

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    noto92 2020/03/01
    なぜ急に
  • 佐藤春夫 井伏鱒二は悪人なるの説

  • 2392_41387.html

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    noto92 2018/05/08
    “丸善炎上の記”
  • 夏目漱石 満韓ところどころ

    一 南満鉄道会社(なんまんてつどうかいしゃ)っていったい何をするんだいと真面目(まじめ)に聞いたら、満鉄(まんてつ)の総裁も少し呆(あき)れた顔をして、御前(おまえ)もよっぽど馬鹿だなあと云った。是公(ぜこう)から馬鹿と云われたって怖(こわ)くも何ともないから黙っていた。すると是公が笑いながら、どうだ今度(こんだ)いっしょに連れてってやろうかと云い出した。是公の連れて行ってやろうかは久しいもので、二十四五年前(ぜん)、神田の小川亭(おがわてい)の前にあった怪しげな天麩羅屋(てんぷらや)へ連れて行ってくれた以来時々連れてってやろうかを余に向って繰返す癖がある。そのくせいまだ大した所へ連れて行ってくれた試(ためし)がない。「今度(こんだ)いっしょに連れてってやろうか」もおおかたその格(かく)だろうと思ってただうんと答えておいた。この気のない返事を聞いた総裁は、まあ海外における日人がどんな事を

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    noto92 2012/05/30
    南満鉄道会社っていったい何をするんだいと真面目に聞いたら、満鉄の総裁も少し呆れた顔をして、御前もよっぽど馬鹿だなあと云った。
  • 宮本百合子 ことの真実

  • 岸田國士 観光事業と文化問題 ――日本観光連盟第六回総会に於ける講演――

  • 豊島与志雄 台湾の姿態

    台湾の印象は、まず山と川から来る。比類ない断崖と深潭と高峯とを以て成るタコロ峡のことは、ここに云うまい。また、蘇澳から花蓮港に至る間の海岸絶壁を縫うバス道のことも、ここに云うまい。それらは余りに有名だからである。然し、台湾東部の山と川はすべて、一般に強い印象を与える。 台湾には、一万尺を越える高山が主峯だけでも四十八ある。それらの峯は大体、岩層と風化との関係で、西方が削ぎ取られて、謂わば西天に向って屹立している。然しそれらの峯を載せた中央山脈は、東海岸寄りに連っていて、東側に於て急峻であり、随って、東側に於て谿谷も深い。狭い平地に独立してる山々も、みな急峻である。 それらの山々は、麓と中腹と頂とが、同時に人に迫ってくる。山というものは、普通、人がそれに向って進む時、麓や中腹は次第に人に迫ってくるが、頂は後方に逃げてゆくものだ。頂上は捉え難く、裾だけが捉え易い。然し台湾東部の山々はそうでなく

  • 石原莞爾 最終戦争論

    戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日を脅迫しております。どうも日は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。 戦争の特徴は、わかり切ったことでありますが、武力戦にあるのです。しかしその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。武力の価値が他の手段にくらべて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の戦争――これを私は決戦戦

  • 寺田寅彦 災難雑考

    大垣(おおがき)の女学校の生徒が修学旅行で箱根(はこね)へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流(けいりゅう)に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋

  • 徳冨健次郎 みみずのたはこと

    儂(わし)の村住居(むらずまい)も、満六年になった。暦(こよみ)の齢(とし)は四十五、鏡を見ると頭髪(かみ)や満面の熊毛に白いのがふえたには今更(いまさら)の様に驚く。 元来田舎者のぼんやり者だが、近来ます/\杢兵衛(もくべえ)太五作式になったことを自覚する。先日上野を歩いて居たら、車夫(くるまや)が御案内しましょうか、と来た。銀座日橋あたりで買物すると、田舎者扱いされて毎々腹を立てる。後(あと)でぺろり舌を出されるとは知りながら、上等のを否(いや)極(ごく)上等(じょうとう)のをと気前を見せて言い値(ね)でさっさと買って来る様な子供らしいこともついしたくなる。然し店硝子(みせがらす)にうつる乃公(だいこう)の風采(ふうさい)を見てあれば、例令(たとえ)其れが背広(せびろ)や紋付羽織袴であろうとも、着こなしの不意気さ、薄ぎたない髯顔(ひげがお)の間抜け加減、如何に贔屓眼(ひいきめ)に見て

  • 小林一三 宝塚生い立ちの記

    四十年前の宝塚風景 私が宝塚音楽学校を創めてから、今年でちょうど四十一年になる。今日でこそ、大衆娯楽の理想郷としてあまねく、その名を知られている宝塚ではあるが、学校をはじめた当時は、見る影もない寂しい一寒村にすぎなかった。 そして宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日のような地名ではなく、しかもその温泉は、すこぶる原始的な貧弱極まるものであった。その温泉の位置はやはり現在の旧温泉のある附近ではあったが、ずっと川の中へ突き出した武庫川の岸にささやかな湯小屋が設けられていて、その傍らに柳の木が一植わっていた。そして塩尾寺へ登って行く道の傍らに、観世音を祀った一軒の小屋があって、尼さんが一人いた。湯に入るものはそこへ参詣をしてから、流れの急な湯小屋の方へ下りて行ったものだ。その湧出する鉱泉を引いて、初めて浴場らしい形を見せたのは、明治二十五年のことであり、それ以後保養のために集って来

  • 作家別作品リスト:永井 荷風

    公開中の作品 浅草むかしばなし (新字新仮名、作品ID:60610) 「麻布襍記」叙 (新字新仮名、作品ID:60133) 畦道 (旧字旧仮名、作品ID:50437) 畦道 (新字旧仮名、作品ID:51970) あぢさゐ (新字新仮名、作品ID:60659) 吾橋 (新字旧仮名、作品ID:56168)     →永井 壮吉(著者) 吾橋 (新字新仮名、作品ID:60611) 雨瀟瀟 (新字新仮名、作品ID:58169) 亜米利加の思出 (新字新仮名、作品ID:60612) 或夜 (旧字旧仮名、作品ID:50438) 或夜 (新字新仮名、作品ID:60613) 一月一日 (新字旧仮名、作品ID:50275) 一夕 (新字旧仮名、作品ID:49632) 上野 (新字新仮名、作品ID:49633) 浮世絵の鑑賞 (新字新仮名、作品ID:58332) 噂ばなし (新字新仮名、作品ID:6061

  • 青空文庫 Aozora Bunko

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    noto92
    noto92 2011/06/22
  • 紀貫之 土佐日記

    男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。 廿二日(にイ有)、和泉の國までとたひらかにねがひたつ。藤原の言實船路なれど馬の餞す。上中下ながら醉ひ過ぎていと怪しくしほ海のほとりにてあざれあへり。 廿三日、八木の康教といふ人あり。この人國に必ずしもいひつかふ者にもあらざる(二字ずイ)なり。これぞ正しきやうにて馬の餞したる。かみがらにやあらむ、國人の心の常として今はとて見えざなるを心あるものは恥ぢずき(ぞイ)なむきける。これは物によりて譽むるにしもあらず。 廿四日

    noto92
    noto92 2011/06/22
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