大阪駅前の歴史(3) 吉本家篇 梅田の大地主、吉本家は元々曽根崎洲の豪農でした。明治5年頃、梅田に鉄道の駅(梅田停車場)が作られることになり、広大な土地を一反歩(300坪)55円で売ることになります。しかし、そのかわりに駅の西側一帯の土地を手に入れたのです。それを手掛けたのが九代目吉本五郎右衛門という方で、不動産の利殖を知っておられた方のようです。 文章の途中ですがクリック。→ [ 人気ブロランキング ] ランキングページには面白いブログがいっぱいありますよ。 いつもクリックありがとうございます。 (+10ポイントがめちゃ嬉しいです。) 九代目吉本五郎右衛門は、絶家していた清右衛門家の再興をはかります。そしてそのあとを継いだのが息子の吉本彦太郎という方です。それが「東吉本家」のはじまりで、同時に本家を「西吉本家」としました。 「大日本ドケチ教」の教組として有名な吉本晴彦氏は、「東吉本家」に
日曜日。昨夜、自転車に乗って温泉入って酒飲んだら、疲れが出てその場で寝てしまっていた。布団で寝なおしたけれど、やっぱり疲れは残っているなあ…というわけで午前中は、日記でも書きながらゆるゆると過ごす。 昼飯もカレーを食べて、1時前に自宅を出る。天気はどんよりしているけど、雨は降ってこないな…。自転車で横浜に行き、東横線と目黒線を乗り継いで目黒。権之助坂を下って目黒区美術館へ。それにしても寒い!小雨もパラついてきた 本日の展覧会は、『‘文化'資源としての<炭鉱>展』 目黒区美術館 川俣正のコールマインプロジェクトが…なんて書いてあるから、割合、土木萌え、廃墟萌え的な軽い気持ちで来たんですが、ちょっと軽すぎる気持ちで来てしまったなあ、と。Part.1の『<ヤマ>の美術・写真・グラフィック』では、明治以降の炭鉱労働の様子を描いた民衆画的なものに圧倒される。山本作兵衛の『筑豊炭鉱絵巻』、その力強さに
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