「移人称小説」というレッテルがピンと来なくて。命名したのは渡部直己だが、次のように書いている。 ここにひとつ、昨今の小説風土の一部にかかってなかなか興味深い(中略)現象がある。/一種の「ブーム」のごとく、キャリアも実力も異にする現代作家たちによる作品の数々が、その中枢をひとしく特異な焦点移動に委ねるという事態がそれである。 (渡部直己「移人称小説論」『小説技術論』、強調は原文では傍点、以下同様) 「語りの焦点が、一人称と三人称とのあいだを移動し往復する点」が「特異」なのだというが、「焦点」という概念と「人称」という概念がごちゃまぜになっていて、ちゃんと理解しようとすればするほど、言葉の不透明さが増すようだ。 渡部の論では、「移人称小説」がさらに細かく「越境系」と「狭窄系」に分けられる。たとえば岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』に収められた2つの作品のうち、「わたしの場所の複