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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (2)

  • ドラ1左腕・川口知哉はなぜプロで通用しなかったのか。1年目のフォーム変更が影響「完全にイップスでした」

    川口知哉インタビュー 後編 前編:「川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相」はこちら>> 1997年、平安(現・龍谷大平安)のエースとして夏の甲子園準優勝を果たし、その年のドラフトで4球団競合の末に意中のオリックスへ入団した川口知哉。誰もが前途洋々の未来を想像したが、プロの世界は苦難の連続だった。一軍の通算成績は7年間でわずか9試合、12イニング。0勝1敗、防御率3.75。大半を過ごしたファームでも1試合15四球、7連続四球、シーズン14暴投......苦悩が伝わる"記録"を多く残した。引退後、しばらくは家業を継ぎ、その後、女子プロ野球の指導を10年あまり続け、今春から母校のコーチに就任した。将来を嘱望されたドラ1左腕はなぜプロの世界で羽ばたけなかったのか。川口知哉が振り返る。 オリックスにドラフト1位で入団した川口知哉だったが...この記事に関連する写真を見る ── 一軍の通算

    ドラ1左腕・川口知哉はなぜプロで通用しなかったのか。1年目のフォーム変更が影響「完全にイップスでした」
  • 元オリックス川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相。「思っていることを正直に口にしただけ......」

    webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球元オリックス川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相。「思っていることを正直に口にしただけ......」 川口知哉インタビュー 前編 後編:「ドラ1左腕・川口知哉はなぜプロで通用しなかったのか」はこちら>> 1997年は川口知哉の夏だった。低迷が続いていた平安(現・龍谷大平安)を春夏連続の甲子園へ導き、センバツ8強に続き、夏は準優勝。とくに夏は、6試合すべてを投げきり、3回戦以降は4連投。この大会で川口が投げた820球は、2006年夏に斎藤佑樹(早稲田実業)が抜くまでの大会最多だった。左腕から大きな弧を描いて決まったカーブ。内外へしっかり制球されたストレート。涼しげな目元には強烈な負けん気が宿り、じつに甲子園のマウンドが似合うエースだった。そんな川口が今春からコーチとして母校のグラウンドに戻ってきた。ピッチングだけでなくビッグマウスでも注目

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