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*_Son:曽野綾子に関するo_keke_nigelのブックマーク (5)

  • ★ 電脳ポトラッチ: それはあなたの「当然の権利」じゃない。〜曽野綾子ミニスカ論争関連

    ◆ニュース・思想系気になるニュース・ネタ [35]心理 [37]宗教・哲学 [10]思想 [7]ジェンダー [39]ネットウォッチ [32]◆趣味映画 [15] [9]アニメ・ゲーム [12]コミックス [16]人形玩 [18]シムピープル [1]◆眠れぬ夜の奇妙な話 [8]◆作品イラスト [16]4コマ漫画 [7]◆雑記散文的日常 [36]Movable Type [8]◆脳内物質 [10] それはあなたの「当然の権利」じゃない。〜曽野綾子ミニスカ論争関連 ● ここ最近ブックマークしていた曽野綾子発言をめぐる一連の議論について。 ・【曽野綾子】ミニスカ論争〜被害者語り【まとめ】 ・性を盗むのはなにが悪いんでしょうね、どうすれば理性を保てるでしょう、と、わたし(性を盗まれた者)に聞くことの意味をかんがえてくれ ・「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 男は

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/12/08
    ふとこのエントリを思い出した→http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20070116/p1(「オーウェル的になる方法」)
  • 予防拘禁はレトリックなどではない - シートン俗物記

    忙しいので手短に。 http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091205/p1 獣のようでも、汚物のようでも、人は人だ。獣なら汚物なら予防拘禁・消毒していいんだろ、ってレトリックが、どちらの側の発想か、もう分かるよな? (同コメント欄) http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091205/p1#c1259980616 人がまだ為してない悪をもって罰を受けることがあってはならない、というのと、服装がどうだろうがレイプされていいわけがない、というのとは、どっちが先とか交換条件とかじゃないだろうに。なんでそういうわけの分からん関連付けで脅しつけられなきゃならんのよ。 相変わらずですな。洒落にならない事を云うなら、 http://b.hatena.ne.jp/welldefined/20091204#bookmark-1

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/12/08
    >左系の人が「予防拘禁」という革新を否定するような言葉に鈍感…ええーそれ全く逆でしょ。「オトコなんか予防拘禁してしまえ」じゃなく「既に女性がその状態にある」ことの非対称性の指摘が本旨でしょう。
  • 彎曲していく日常 -誰が血みどろの犯行を犯したのか私は言わない。

    『チビチリガマの集団自決(下嶋哲朗著、凱風社)にこう記されている箇所がある。』 太平洋戦争時の沖縄戦において集団自決は、あちこちで引き起こされた。しかしそのほとんどは、日軍の命令あるいは自決用の手りゅう弾を配るなどの直接、間接命令にしたがう自決だった。ほとんどということの意味は、今回のチビチリガマの調査のように、まだまだ明らかにされてはいない集団自決が、相当あると思われるからである。 事実、今回の調査を通して読谷という小さな村の中だけでも、ほかに二か所の集団自決があったことを確かめているこれらなどもチビチリガマと同様に知られてはいない http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro10-330.pdf 330-戦時下の精神状態.−チビチリガマの集団自決へと追い詰められていく経過 いわゆる「集団自決」問題に関連した村尾建吉さんのホームページをもう一度読んでみ

    彎曲していく日常 -誰が血みどろの犯行を犯したのか私は言わない。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/09/07
    沖縄戦での集団自決を「生み出したものはなにか?」と問うことが実は重要だ、と。「誰が」命じたのか「誰が殺したのか」を単に問うだけではなく。
  • 2005-08-20

    私にとって第一の関心事は、「私においてどのような表現が可能なのか?」「どのような私が可能なのか?」にあります。 「私は有罪だ。」という表現は成立可能でしょうか。不可能だと思います。有罪とは、それを言表することにより致命的なダメージを私が受けるという意味である。したがって何らかの裁判装置に私が受動的に掛けられるなら、「あなたは有罪だ」という言表は装置から発せられるであろう。もちろんわたしの内にも良心がある。良心は反省し認罪することができる。だが実行した私も、認罪した私も同じ私に過ぎない。前者ではなく後者が優越すべきだとする根拠は何処にあるだろう。戦争の時代に戦争に加担し、反省の時代に反省に加担する。それでは時流に合わせているだけですね。時流としてはまさに現在、反省への反動が押し寄せている。 わたしというものが“どこまでも述語となって主語とならない時間面的自己限定にほかならない”*1なら、反省

    2005-08-20
  • 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤り...産経新聞より - あきやん 's journal

    産経ニュース 先の大戦末期の沖縄戦で日軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。 訴えを起こすのは、 沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。 訴状などによると、 米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日

    先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤り...産経新聞より - あきやん 's journal
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