質問1 まず、間違いなく言える事は、1905年の編入の時点で、明治政府は、「無主先占」による編入と考えた、という事ですね。No.10の方が回答されたように、明治政府は、それ迄は、日本領ではないと考えていたのですから、当然と言えば当然です。(そこら辺の事情は、↓の島根県庁の広報を参考にしてください。) http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/photo/161/05.html 一方、日本政府が「1905年の編入は、領有の意思を再確認しただけ(それ以前から領土だった)」と主張する最大の根拠は、江戸時代に「伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から竹島を拝領していた」という事にあります。(伯耆藩という藩はなかったので、おそらく鳥取藩の事) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/ なぜ、これが重要かというと、領土問題では、単にどち