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*_R:倫理と文学に関するo_keke_nigelのブックマーク (9)

  • 2009-02-23 - 弯曲していく日常 -言説摩滅装置との戦い

    Palestinian_man_returning_home.jpg 月だけが壁を越えゆく地にありて闇にも届けよ春の樹のこえ http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20090220/1235141488 詩人の想像力においてここでは卵は月に(おなじ円形で白いものだから)姿を変える。鳥だけが越えられる、月だけが越えられるといった比喩は洋の東西を問わずかってはとてもポピュラーな比喩だった。越えられない格差が世界の至るところにあったからだろう。いまではわざわざ詩人のために高くて高い頑丈な壁を建ててくれるような酔狂な国家、でしかそうした比喩は使えない。 >tmsigmundさんへ (1)をもう一度読んでからRESしようとして遅れております。すみません。 巨大な言説摩滅装置 さて、すべての批判を(少なくとも政治的には無化する)巨大な言説摩滅装置としてイスラエル国家とそのシンパ

    2009-02-23 - 弯曲していく日常 -言説摩滅装置との戦い
  • 本気でパレスチナに寄り添うつもりなら - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【末尾にブコメへのレスを追記しました。】 村上春樹が誰に向かって何を言ったのか。この点を明瞭に押さえておく必要があるでしょう。単に、「イスラエル人に対して語った」というだけでは、十分ではないでしょう。彼は、ガザの攻撃も含めてイスラエルの政治的正当性を疑っていない人に対して、政治の一つ手前にある前提について語りました。彼は、正真正銘、生粋のシオニストに向かって、倫理を説きました。そのことの意味を、考えておきます。 「シオニストに倫理を説く」ことの必要性 シオニストに対して、倫理を説く。その必要性は明瞭だと思いますが、確認しておくべきことではあるようです。基的なことから確認しましょう。パレスチナ問題は、いかにして解決されるのでしょうか?イスラエルの占領終結によってです。その後、どんな状態が待ち望まれているのでしょうか?イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国が形成されることです。 言

    本気でパレスチナに寄り添うつもりなら - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/02/26
    "政治性"というときに、どうしても”政治的情勢論”しかイメージできない考え方、に向けてのエントリと読んだ。
  • 要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090223/1235394696 ごく簡単に。と思ったけど、結局、随分長くなった。 一億総懺悔とは違います 責任が、全員にたいするひとまとまりの責任としてあることは述べましたが、全員が同じように果たすべき、という話をしているのではありません。一億総懺悔の話とは、全然関係ありません。皆に責任があるということと、皆に等しい責任があるということは、別の話です。村上の責任を問うときに、自分の責任について考えるからこそ、それは当に村上に対して問える責任なのか、ということを反省的に考えられるのです。 逆に考えますが、天皇の責任を考えるときに、日社会に生きた一人の人間としての責任を考えないではいられません。戦後に生きてその相続者たる自分の責任を考えないわけにはいきません。それらは同じではありません。同じではありませんが、一つのあ

    要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 村上春樹についてのmojimojiさんへの返答 - ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog

    mojimojiさんから、わたしが書いたことへの応答と反論を以下の 「自分を棚上げにするということ、隠喩の問題」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090222/p1 というエントリーとしていただきましたので、できるかぎりわかりやすくお答えします。 「えげつない国家」とはどこの国のことか 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのかしないのか、という問題だと思いますけど。 mojimoiさんのご意見にある面では同意します。自分の国家のやってきたこ

    村上春樹についてのmojimojiさんへの返答 - ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog
  • 自分を棚上げにするということ、隠喩の問題 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈」@ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog だいたい、断りがない限り、文章の順に引用しています。 「えげつない国家」とはどこの国のことか あんなえげつない国家に加担しないというのは、まあ、まともな感覚といえる。ただし「どんな国も支援しません」と最後に付け加えるとき、イスラエル国家のやっている極端な不正義を、村上は絶対視せず相対化してしまっている。 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。 と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのか

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  • 村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と

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  • asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 - 文化

    「エルサレム賞」受賞式に出席する村上春樹氏=ロイター  【エルサレム=平田篤央】イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。  ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。  村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側

  • 日本ペンクラブ:電子文藝館

    E会員 あきとし じゅん あきとし じゅん 評論家 大学教授 1940年9月 京都生まれ。掲載作は『関西文学』(関西書院)昭和五十八年十一月号、初出。同年の第十八回関西文学賞(評論部門)受賞。 高橋和巳における狼疾 かなり以前から高橋和巳の文学の特質において、心のなかに蟠(わだかま)っていることがある。いったいかれは、だれの影響をもっとも受けていたのであろうか。いうまでもなく、これまでの高橋和巳論は、その多くが性急に埴谷雄高を結論的に導きだしているが、かれの憂なる作品を前にしたとき、はたしてそう結論づけていいものかどうか、はなはだ疑問である。 高橋和巳自身、比較的早く「近代文学」の読者として、第一次戦後派作家に親近感を覚えたといっていることからわかるように、かれの文学的出発にあたっては、たしかに埴谷雄高の存在は無視できなかったであろう。しかし、かれの文学の質は、かならずしも当初から埴谷

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/02/05
    「『悲の器』なくしてかれを語ることはできない。ここには、かれの自負と矜持が、近代の憂愁に揺れる自己否定の世界と深くむすびついて、<知の哀しみ>が刻印されている。」
  • 村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なにやら「村上春樹の作品を読まずに批判している」みたいなことを書く人があちこちにいますね。一例をあげれば、「非読検閲官」などとおっしゃってるid:mnemoさんとか。というわけで、言うべきことをハッキリいっておきたいと思います。 わたしは、村上春樹の作品への評価を、一切行っていません。*1 エルサレム賞の受賞のしかたによっては、村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということは、まったく明瞭なことだと思います。 村上春樹の作品と関連付ける形で、別様にも言っておきましょう。エルサレム賞の受賞の仕方によっては、村上春樹は「村上春樹の作品の立場から批判される」か、「村上春樹の作品とともに

    村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    mojimojiさんに、ではなく-fujiponさんの「政治観」に向けて。
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