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*_Sha:社会と_Arisanに関するo_keke_nigelのブックマーク (5)

  • 「自分で語ってみる」ことをめぐって - Arisanのノート

    『Freezing Point』さんの、こちらのエントリーは、ぼくにはたいへん重要なことが書かれていると思われたので、紹介しながら、自分の考えも書いてみたい。 「人が、自分で語ってみる」 もちろん、ueyamakzkさんが書かれている趣旨とは大きくずれてしまうところが多いだろうから、くれぐれもそちらのエントリーの方を、より精読していただきたい。 法学(訴訟法)でいう「当事者」とちがって(参照)、ひきこもりや不登校の支援業界では、「当事者」はもっぱら弱者=逸脱者のことを指すが、そのことが議論を硬直させているように思う。 弱者が為す「当事者発言」は、単に特権化して優遇するためではなく、力関係の分析と再構築のために提出される――そう考えるべきだと思う。弱者を差別的に優遇する態度は、必要な一ステップだとは思うが、「弱者に無理に語らせる」という態度にもなりかねない*1。無理にでも語らせるべきなのは

    「自分で語ってみる」ことをめぐって - Arisanのノート
  • 宮台真司の「左翼批判」批判 - Arisanのノート

    『G★RDIAS』さんや、『Kawakita on the Web』さんでお知らせのあった以下の番組(宮台真司、小林よしのり、萱野稔人の各氏が出演)、前半のパート1だけを見たので、その感想を簡単に書いておこう。 http://www.videonews.com/ 話の出だしのところでは沖縄のことが話題になってたわけだが、ひとくちに言って、小林が近著『沖縄論』の執筆前後に、とりわけ沖縄に行ってみて感じた驚きとか戸惑いとか憤りといったものが、宮台の語る図式的な左翼批判のなかに回収されてしまっているという印象を受け、そこに不満をもった。 沖縄の現状に強い違和感をもつというのは分かるのだが、その理由として「保守にも左翼にも共通する構造」みたいなものが提示され、それはそれで正しいとも思うのだが、すべてがそこに還元されることによって、現実に感じられた「動揺」が解消されてしまう。 たしかに、この鼎談で語

    宮台真司の「左翼批判」批判 - Arisanのノート
  • 他者としての「ひきこもり」 - Arisanのノート

    このことは以前に書いたかどうか忘れたが、ぼくはこれまでに何度か「ひきこもり」の経験者というような立場で大勢の人を前に喋ったことがある。そのころは、学生時代に学校に行かないことが多かったとか、卒業してからも普通に勤めている期間が短かったりとか、そういったことから、自分を「ひきこもり」という範疇にあてはめて考えることが妥当であるように思ってたのだ。 だがその後、とくにブログを始める頃から、「ひきこもり」と呼ばれる人たちの深刻な状況や生き方を知るようになり(直接お会いしたことはないが)、これはとても「自分の問題」として、つまり当事者的に話したり考えられるような事柄ではないことが分かった。 だから、「ひきこもり」についてぼくが書くことは、基的には「他者」についての思いであり、考えである。 そのうえで、どうしても言っておくべきだと思うことがある。 それは、「ひきこもり」と呼ばれる人たち、とくにたい

    他者としての「ひきこもり」 - Arisanのノート
  • 『沖縄密約』 - Arisanのノート

    また良書の悪口を書く。 自体は、すごく大事なことが書いてあるので、ぜひ読んでください。 沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟 (岩波新書) 作者: 西山太吉出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2007/05/22メディア: 新書購入: 15人 クリック: 56回この商品を含むブログ (31件) を見る 2006年11月の知事選および2007年四月の参院補選(投票率は最低の47・8%)でもわかるように、報告の中の核心部分を占める沖縄においてさえ、そうした議論はほとんどなかった。最大のテーマである米海兵隊のグアムへの移駐などは、すべて日米軍事再編から派生する問題であるのに、肝心のその再編が日にとっていまなぜ必要なのか、それは将来の日の国際的地位にどんな影響を与えるのかという質的な論議が、精力的に展開されることはなかった。主に取り上げられたのは、基地の移転をめぐる局地論だけだった。日の安

  • 労働しているだけで困窮者を救うことにつながる、という言説について - Arisanのノート

    前回のエントリーに対するnatamaru氏のコメントだが、人は、『あまりの怒りで手が打ち震えてきます。』とか『何度読んでも怒りが湧いてきますな。』とか書いてるが、何度読み返しても、「怒り」の感情がまったく伝わってこない内容である。 想像された他人 (彼が言う「勤労者」の人たち) の人生の体験や、自分の感情までダシに使って、相手の迷惑を顧みず、自分の空疎な主張とレトリックの手際をこれ見よがしに開陳する自分位さは、今に始まったことではないが、呆れるしかない。 この人による被害が、これ以上拡大しないことを、心から願うばかりである。 さて、それとは直接関係ないのだが、表題のこと。 これは無理な理屈のように思えるが、意外と人をひきつけてしまいがちな言い分である。 労働することが世の中を豊かにすることや、技術の発展にもつながり、そうなることによってだけ困窮者の救済は可能となるのだから、無駄な社会

    労働しているだけで困窮者を救うことにつながる、という言説について - Arisanのノート
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