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_fenestraeに関するo_keke_nigelのブックマーク (5)

  • 中国/中国人、日本/日本人、フランス/フランス人 ... - fenestrae

    ある時点の世論と国(政府)の対外的態度決定・表明とは異なる。イラク戦争の開戦にあたって、英国人、イタリア人、スペイン人の(大)多数が参戦に反対したが、英国、イタリア、スペインの政府はアメリカ政府の決定を支持し国として参戦した。だから「英伊西が米を支持」と書かれた。世論をもって「英伊西が米を批判」というニュースが配信されたら誤報と言われてもしょうがない。このばあい、どんなに単純化しても、「英国人(の多数)が米を批判」ぐらいのものだ。世論のマジョリティについてでさえそうなのだから、ネット上である運動があるということと、国の外交的意思表明を混同することは、なおのことよくない。 ところが、この簡単で大事な区別が中国にかぎっては、厳密でない傾向があるようだ。ブログや掲示板だけではなく、ちゃんとしたマスコミでも。 2日前の話になるが、 <台湾人気モデル>家族が陳総統支持、中国がネット上で批判 (毎日新

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  • フランスを覆う無力感 - fenestrae

    「無力」という語の流行 «La montée du mot "impuissance"» Libération : samedi 31 décembre 2005 par Nicole PENICAUT 2005年よさようなら。記号学者のマリエット・ダリグランが2005年に政治のことばを支配した語を分析する。 Adieu 2005. Mariette Darrigrand, sémiologue, analyse les termes qui ont dominé le discours politique en 2005. 年末年始に読んだ新聞記事の中でもっとも印象に残ったもの。屋さんが報告しているグラン・パレのメランコリー展と微妙にかぶっている。また、メランコリー礼賛に警戒を示すナンシー・ヒューストンの記事が掲載されたのは同じリベラシオンの翌日の号(また、このナンシー・ヒューストンの

    フランスを覆う無力感 - fenestrae
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/22
    「そして最後には、バンリュウの危機だ。そしてここでもまた、両親の無力、教師の、市長の無力が語られた。」"バンリュウ"=パリ近郊?日本でも、フランスでも、「懸案」への語られ方は同じということか。
  • 連続と切断、内なる歴史をどうするか。 2004-10-29 - fenestrae

    10月19日に書いた、「世に「なかった主義」の...」に関して、10月20日に改めて引用したように、多くのコメントをいただいた。また、もともと議論が沸騰している中に飛び込んだこともあり、論者の一人として他のブログから複数リファレンスをいただいた。 この種の議論の常、論点が多岐に分かれていくが、できるだけ絞って、自分なりに肝心と思うところについて改めて論じたいと思う。ただし、これらをこれらの論点を立体的にまとめて、より大きな論へと構築する知的な詰めが今のところ私にはできない。明確にしたい個々の論点については自覚しながら、この点がまとまらないことに、ここしばらく悩んでいたのだが、できないことを思い煩うよりも、機を逸しないうちに暫定的にでも書いたほうがいいと思いなおした。したがって、ある程度列挙的になることを了解していただきたい。 いただいたコメントやレファレンスについて、明示的に引用したりしな

    連続と切断、内なる歴史をどうするか。 2004-10-29 - fenestrae
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/08
    「自らの軍隊が捕虜や市民を殺害するこを仕方のないことだと思ったりそれに対する批判が許されない世界には生きていないことを幸運に思い、その価値を守りたいと思う。」この一言に尽きる。
  • 2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」

    近日中に風刺画の続きをてがけますが一息のあとのまた一息に日語記事クリッピング↓ 関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件に対する解釈が、映画『ホテル・ルワンダ』との関係で、論争になっているのを id:gachapinfan さん、id:travieso さんのところで知る。この映画も見ていなければ、論争のきっかけになった映画評論や複数いる論争参加者の記事もきちんと読んでいず、なんだかややこしいことになっている論争に参加する気はないが、このきっかけをとらえて、この事件に関して以前から気になっていた証言を、あるから引用紹介することにしたい。コメントも論争の展開を追わずにひとりよがりに適当につけます。さて問題のは、 比嘉春潮『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969) 著者の比嘉春潮は1883年沖縄生まれ。没落士族出身の知識階層に属し、小学校校長、新聞記者、県庁の役人を勤めながら、一方で社会

    2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/09/07
    沖縄の社会活動家の関東大震災時の体験をテーマに。コメント欄も読み応えあり。
  • 慰霊の日 - fenestrae

    id:swan_slab さんの「慰霊の日」の記事 を経由して、id:finalvent さんの極東ブログの昨年の記事「慰霊の日」に思う雑感を読む。この中で 慰霊の日は、日軍の組織的戦闘が終結した日だと言われている。嘘である。組織的な戦闘はその後も続いた。沖縄戦が終結したのは土より遅れて9月に入ってからだ。琉球列島守備軍が嘉手納米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのは、9月7日。沖縄の慰霊の日はこの日に移すべきだと思う。 「嘘」という表現が適切かどうかは分からないが、これは以前からよく指摘されていることにある程度呼応する。例えば、『沖縄大百科辞典』(沖縄タイムス社、1983)の「沖縄戦」の項目で執筆者の大田昌秀氏(現参議院議員、元沖縄県知事、執筆当時は琉球大学教授)は、 6月23日を沖縄戦終結の日とするのが妥当でない理由は、その日は沖縄守備軍司令官の牛島満中将と長勇参謀長が自殺し

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